last update 2009/12/20
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■カリタス■
=CARIAS=



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優しい夜


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『俺の修行は厳しいぞ』
 銀髪の長身の男は、ルージに背を向け、短くそう言った。





◆◆◆◆◆





 円卓を囲むように席についていた一行を、ラ・カンはゆっくりと見回した。
「とりあえず今後の進路だが…」
 静かな口調で言う。
「ジンゴ殿が今、台帳を調べてくれている。明日にはジェネレーター職人の住所が分かるだろう」
「何年も前の台帳みたいだしな。調べるのも時間がかかるだろう」
 ロンが手伝いに行ってるみたいだが、と付け足して、ガラガがそう言った。
「バラッツを修理にこられる距離なんだから、それほど遠くはないはずだし…。何とかめどがつきそうね、ルージ」
 コトナの言葉に、ルージは大きく頷いた。
「はい!」
 早く村に帰りたい。気が急ぐのをルージは押さえられない。
 その様子を察したのか、ラ・カンは小さく笑った。
「そうだな、明日、朝いちで出立できるように準備をしておくか」
 そういって立ち上がるのと同時に、ミィもそれに倣う。
「私も手伝うわ、おじ様!」
 ぴょんと跳ねるように、軽やかに椅子から立ち上がり、戸口まであっという間に駆けていった。
「じゃあ私は、食事でも用意しておこうかな」
 コトナも席を立ち上がり、ガラガを見遣る。
「薪を集めてきてくれない?ガラガ」
「おう!」
 愛しのコトナに頼まれたこととあらば、とでも言うように、勢い良く立ち上がり、大きな体を縮めるように戸を潜っていった。
「じゃあ俺もなにか手伝いを…」
 一人取り残されたように座っていたルージは、皆につられるように立ち上がった。
「お主は」
 ラ・カンは言いながら、悠然と腕を組みながら瞑目し、窓辺に立つ銀髪の青年を見遣った。
「他にやることがあるだろう?」





◆◆◆◆◆





「はあ、はあ、はあ…」
 息が喉に詰まる。ルージは乱れる呼吸を整えるように、二度、三度と大きく深呼吸をした。汗がじわりと眉間を流れる感触がする。土埃が汗で喉元に張り付いているせいか、妙にけだるい感じがする。
 対照的に呼吸ひとつ乱していない銀髪の男は、無造作に木刀を横に構えている。切っ先はあさっての方向をむいている。傍から見れば、無防備そのものだ。だが、それでもルージは彼から一本も取ることができない。それどころか、木刀同士を交わすことすら叶わないのだ。
「…ッ」
 こめかみを伝って落ちてきた汗を、手の甲で拭うと、ルージは木刀を握りなおした。汗の染みた木刀の柄は、じわりと生ぬるい感触がする。
 隙などあろうはずもない。相手は玄人なのだ。ない隙は、作らせるしかない。
「てぇええいッ!」
 裂帛の気合を込めて叫びながら、ルージはセイジュウロウに切りかかる。薄く開かれた濃紺の瞳が、じっとこちらを見据えている。眉ひとつ動かさない。瞬きすらしていない。
『最小限の動きでかわさないと、体制が崩れるんだよね』
 模擬戦をした時の、ロンの言葉が脳をよぎった。

 おそらくセイジュウロウも、そういう動きをしているのだ。無駄な動きがない分、消耗も少ない。
 最小限の動きということは、体が大きく射程範囲からずれることはない。少なくとも、木刀の間合いからはずれはしないだろう。

 …それならば。

「やぁっ!」
 勢い良く木刀を振り下ろす。セイジュウロウは紙一重の瞬間に、横にすり抜けるようにかわす。

 今だ!

 ルージはそのまま鋭角に木刀を横に薙ぎ払う。木刀の切っ先が、地面をかすかに抉り上げ、草の切れ端が宙を舞った。

「!」

 瞬間、セイジュウロウは手にしていた木刀を、初めて振るった。
 滑らかな曲線を描くように、最速のスピードで木刀が空を切る。
 自分の胴をめがけて飛来してくる切っ先を、寸前のところで叩き伏せた。
「ッあ!!!」
 がつん、という鈍い感触に、ルージは思わず木刀を取り落としていた。
 初めてまともにまみえた剣だったが、想像以上の衝撃だ。
 長時間木刀を振るい続けていたせいもあって、筋肉も疲労し、握力もだいぶ落ちていたのだろう。

 しびれる掌を叱責するように握り締め、ルージは反対の手で木刀を拾い上げた。

「……」
 挑むような直なまなざしを真っ向から受け、セイジュウロウは静かに少年を見遣った。

 反応速度は申し分ない。それに見合うだけの動体視力もある。
 剣術には不慣れな点が多いようだが、十分な素質がある。すぐに克服できるはずだ。
 不慣れな点を補う洞察力もある。

 …なによりも。
 いい根性をしている、とセイジュウロウは思った。
 決して諦めないというのは、資質のうえでも非常に有意義だ。

「……」
 セイジュロウは小さく息をついた。
 唐突に手を緩め、握っていた木刀を柄の方をルージに向けて差し出した。
「片付けておけ」
「は、はい…」
 ルージはあっけに取られたように一瞬呆然とした。
 あたりを見回せば、いつの間にか陽は傾き、丘陵の端に沈みかけている。
「もうこんな時間だったんですね」
 話しかけようと師を仰ぎ見たが、そんなことはお構いなしとでもいうように、セイジュウロウはさっさと歩き始めていた。
 ルージは小さく笑って、その背を追うように小走りに駆け寄った。
「やっぱり筋力もつけないとダメですね」
 未だにしびれている右手を、確かめるように何度か握り締める。
「このくらいのことで、手がいうこときかなくなっちゃうなんて…」

 自分に足りないものに素直に気づくことができるのは、彼の長所なのだろう。自分の短所を認識することは、成長に欠かすことはできない。

「明日からは、腕立て伏せとかもやってみますね!」
 屈託なく笑う少年に、つられて微笑みそうになる。セイジュウロウは視線だけ一瞬ルージに向けた。
 ルージは身振り手振りを加えて、盛んにこれからの鍛錬について熱く語っている。
 その懸命さや健気さに、セイジュウロウは酷く穏やかな気持ちを感じていた。





◆◆◆◆◆





 全員で食卓を囲みながら、少し早い夕食を取り終わるところだった。

 掻き込むように食事を胃に流し込むルージを見て、コトナは苦笑いを浮かべていた。
「ずいぶん扱かれたのね」
 泥まみれ、汗まみれのルージを見れば、どれだけ厳しい修行だったかは、想像に余りある。
「大変だったでしょ?」
 言いながらルージを見、そのままセイジュウロウを見遣った。
 静かに茶をすする青年は、ルージと比べ、ほとんど疲労の色がないのが、ずいぶんと対照的だった。
「はい、でも凄く勉強になります!」
 口にあった食材を嚥下して、ルージは明るく笑った。
「俺、剣術ってやったことなかったんですけど、凄く難しいですよね」
 手にしていた匙を木刀に見立てて、握り手を見せる。
「こう、なんて言うか、重心の感じが…」
 目を輝かせながら言葉を連ねる少年を、ラ・カンは静かに微笑みながら見つめた。
「今日から剣術をはじめたのだろう?」
「はい」
 ルージは小さく頷いた。
「それならば難しくて当然だ」

「まぁね。武術なんて、一朝一夕でどうにかなるもんじゃないし」
 服のすそでめがねを磨きながらロンは言った。
「せっかく最強のゾイド乗りが師匠についてくれるんだからさ、みっちりやったらいいよ」
「それにルージは飲み込みも早いしなぁ」
 ガラガは満腹になった腹を、ゆったりとさすっている。
「私たちの足を引っ張らない程度には成長してもらわなきゃ!」
 ミィのきつい一言に、ラ・カンは苦笑した。

「疲れただろう?風呂にでも行ってきたらどうだ?」
 ラ・カンが話題を変えるように言う。
「明日は早い。ゆっくり体を休めておくことだ」
「! そうですね!」
 ルージは、何か良いことでも思いついたとでも言うように目を輝かせた。
 勢い良く椅子を蹴立てるように立ち上がる。
「セイジュウロウさんもどうですか?」
 唐突に話題を振られたセイジュウロウは、一瞬口にしていた湯飲みを止めた。
「…」
 だが、そのまま黙したまま、特に否定も肯定もせず、湯飲みをゆっくりと傾ける。
「サクサ村は温泉が有名なんですよ。セイジュウロウさんはもう入ったんですか?」
「…」
 無言のままの男に小走りに歩み寄り、ルージは彼の肩に手をかけた。
「俺、背中流しますよ!!!」
 少年の勢いに圧倒されたように、セイジュウロウはルージを見上げた。満面の笑みをたたえる少年は、何の疑念もないようにセイジュウロウを見つめてくる。
「…」
 観念したように、セイジュウロウは小さく息をついた。ルージに促されるまま立ち上がる。
「村の人が、穴場を教えてくれたんですよ」
 嬉しそうに声を弾ませるルージに引きずられるように、セイジュウロウは静かに戸口を潜って行った。

「随分と懐かれちゃって…」
 コトナは2人を見送りながら、小さく笑っていた。





◆◆◆◆◆





「ここからだと、凄く星が近いんですよ」
 もうもうと上がる湯気が、頬を掠めていく感触がする。
「村の人の受け売りですけど」
 空を見上げたルージにつられるように、セイジュウロウも視線だけ空に向けた。

 冷えた空気のせいでもあるかもしれないが、満天の星空が望めた。
 濃い闇の帳はどこまでも遠く高かった。
 掃き散らしたかのように広がった星々が瞬きを繰り返している。

 肩まで湯につかるようにしながら、ルージは空を仰いでいる。
 宵闇はすぐにやってきた。つい先ほどまで木刀を振り回していたというのに。

 襟足のあたりに熱い湯の感触を感じながら、ルージは何度か瞬きをした。
 空に吸い込まれていくような湯気は厚く、触れば掻き分けられそうなほどだ。
 乳白色の湯と湯気の境が、曖昧にぼんやりと霞んで見える。

 少し離れた岩場に凭れるように、セイジュウロウは湯に浸かっている。
 濡れた前髪を掻き分けるように指先で梳りながら、深いため息をついていた。

 ちらりと見えた肩や腕の筋肉は、すらりと引き締まっている。腕の筋や、幾らかごつごつとした指先は、大人の男なのだと思わされる。無骨すぎるわけではないが、整った貌と相俟った、調和の取れた体躯だった。

 ルージはじっと自分の手を見た。
 力仕事をまったくしてこなかったわけではないが、それでもまだ子供を思わせるには十分な、柔らかく小さな自分の手。

 セイジュウロウとは大違いだ、と思い、ルージは小さくため息をついた。

 はやく強くなりたい。

 それは、村を守るためだとか、ミィの言うとおり、みんなの足枷にならないようにするためだとか、そういう意味もある。それに。

 この人に認められたいんだ。

 コトナばかりでなく、ラ・カンやロンもまた、セイジュウロウの名を耳にしていたのだという。
 『史上最強のゾイド乗り』
 その肩書きを、セイジュウロウ自身が鼓舞したことはなかったが、それだけ名の高いゾイド乗りなのだ。
 そんな人間が自分の師に就いてくれたことは、非常に誇らしくもあったが、恥ずかしくもあった。ゾイドにおいても、剣術などの武道においても初心者同然の自分を、セイジュウロウは疎ましく思っているのではないだろうか。どうせなら、もっと歯ごたえのある弟子ならば、教え甲斐もあるだろうに、と思っているのではいだろうか。

「俺ってやっぱり、弱いですよね…」
 はあ、とため息を吐くと、水面がゆらゆらと揺れた。
「…だから修行をするんだろう」
 別段否定も肯定もせず、さらりとセイジュウロウは言った。
「そりゃ、そうなんですけど…」
 ルージは師を見遣った。セイジュウロウはいつものように瞑目している。

「…俺、ずっとゾイドに乗れなくて…」
 ゾイドには適性がなければ乗ることはできない。大型のゾイドに乗ることのできる人間は少ないが、小型のバラッツ程度ならば、大抵の人間は乗ることができる。それすら出来なかった自分を、ルージは引け目に感じていた。

「乗れないことを誰かに責められたわけじゃないんです。俺がゾイドに乗れないことを誰も責めたりしなかったし…」
 ぽつぽつと前髪からしずくが垂れている。
「でも、同い年の友達とか、年下の友達とか、みんなはどんどん乗れるようになって、俺だけ置いていかれてるような気がして…」

 自分が村長の子供だということも、酷くプレッシャーになっていた。父は大きく偉大に感じていた。それに見合う息子であろうと、ルージは努力してきた。大人の手伝いをすることも、別段苦ではなかったし、年下の子供たちの面倒を見るのも好きだった。

 今考えると、自分の居場所を探していたのかもしれない、とルージは思う。
 村の皆の中には、信頼しているという表情の仮面を被った侮蔑が潜んでいるのではないか、と疑心に駆られることもあった。

「…なんか、俺って嫌な奴ですね…」
 色々と考えをめぐらせるうちに、ルージは自分の心が黒くなってしまうような気がした。
「こんな人間だから、ゾイドに乗れなかったのかもしれませんね…」
 子供とは思えないような憂いを帯びた目を、ルージはゆっくりと伏せた。
 今にも大粒の涙がこぼれるのでは、とセイジュウロウは思った。

「…声が」
 うつむいたルージを見遣り、セイジュウロウは言う。
「聴こえたのだろう」
 セイジュウロウの声に、ルージは面を上げる。
「ゾイドは常に我々に呼びかけている。虚心に耳目を澄ませれば自ずと届くはずだ」

 …声。
 ムラサメライガーの。

「…俺は…」
 あの時。
 どんな声を聞いたんだろう?

 薄ぼんやりと視界が霞む。
 湯の温かい感触が、頬を撫でる。
 急激に外の音が耳に届かなくなる。

 静寂。

 『ここにいる』
 青い深い海の底。
 『ここにいる』
 あの時。故郷の海。
 父の発掘の手伝いをしていた、あの日。

 深海の静寂。どこからか響く鼓動。
 『…ここにいる』

 聞こえてきたのは、お前の声だったのか?



「ルージ!!!!」

 遠くからセイジュウロウに呼ばれたような気がした。

 ああ、そういえば。
 初めて名前を呼んでくれたな、と、ルージは微笑んだ。





◆◆◆◆◆





「…馬鹿め」
 初めて出会った時とそっくりそのままの台詞を、あきれたようにセイジュウロウが言う。
「…すいません…」
 ルージは横たわったまま、傍らに腰をおろしていたセイジュウロウを見上げた。
 夜風が酷く心地よい。普段なら肌寒いくらいのはずなのに。

 夜空は信じられないほど高かった。昼間修行をしていた広い空き地の傍にある巨木の影に、ルージは横たわっている。さらさらとした葉摺れの音が、どこか幻想的だった。

 着るものもとりあえずといった格好で、セイジュウロウはルージの頬に手をあてた。
「熱い湯が苦手なら、早く言え」
 ぶっきらぼうな言い方だったが、それとは対照的に、向けられた視線も、触れてくる掌も、とても優しい。
 迷惑をかけているはずだったが、何だかルージは嬉しかった。不謹慎かもしれないが。
 無口で愛想はないが、優しい人間だということはよくわかっていた。

「セイジュウロウさんも、髪の毛拭かないと…」
 ルージに指摘され、セイジュウロウは首に掛けてあったタオルで、乱暴にがしがしと自分の頭を拭った。綺麗な顔に似合わず、やることは割と乱暴なんだな、とルージは苦笑した。
 それでも自分のことは差し置いてでも、ルージの身なりはきちんと整えてくれていた。

 もともと熱い湯に入るような習慣のない地域に住んでいたのだから、慣れない温泉で湯あたりを起こすのは当然だった。昼間の修行の疲れもあったのかもしれない。
 湯に沈みかけた自分を担ぎ出してくれたのは、(自分の記憶にはないが)セイジュウロウだった。
 気を失う直前に名を呼ばれた気もしたが、定かではない。

 傍らで腰を下ろしている師の姿を横目で見る。
 セイジュウロウの横顔は、淡い月光に照らされて、輪郭がおぼろげに滲んでいる。宵闇の帳はずいぶんと深く暗くなっていた。身に纏っている服は黒っぽいせいか、周りの闇に溶けてしまいそうだった。だが、その白い肌や銀色に艶めく柔らかい髪は、月光を浴びて、夜目にも鮮やかに浮かんでいる。

 綺麗だ、とルージは素直に思う。

 生まれ育った故郷は海に近かったし、自分の周りの大人たちは、海辺で肉体労働にいそしんでいることが多かったせいか、肌は精悍に日焼けして筋肉は隆々としていることが多かった。潮風に晒された髪は痛み、縮れてごわごわになりやすい。それはもちろん自分も例外ではなかった。まだ大人ほど筋肉を蓄えた体ではないが、髪は赤く焼けて、強い癖毛になっている。

 見慣れた大人たちとは随分と対照的な師の姿は、とても不思議なものだった。
 『最強のゾイド乗り』と謳われる存在にしては、随分と容姿が整っていた。
 別段痩せすぎている感じではない。細身の長身と相俟って、整った顔立ちは調和が取れている。

 セイジュウロウは何処でもない何処かを、何とはなしに見つめている。虚空の向こうに何を見ているのか、ルージにははかりかねた。どこか神聖で敬虔な、侵しがたい威厳のようなものが、セイジュウロウから発せられる気配に込められているような気がした。
 怜悧に澄んだ静寂の中で、その存在はあまりにも清冽だった。

 うっすらと瞼を閉じかけたルージの額に、ひやりと冷たい掌が当てられる。心地よさにルージはうとうととした。安堵からか、どっと疲れが出たような気がした。
 そっと髪の毛を梳るように撫でられる感触が、少しばかりくすぐったかったが、大切にされているのだという実感に変わる。

 降り注いでくるような眠気に、ルージは素直に目を閉じた。安らぎはすぐにやってきた。





◆◆◆◆◆





 傍らで眠る少年の姿を見下ろしながら、セイジュウロウは小さく笑った。

 初めての修行に気を張っていたのだろう。
 温泉で溺れかけたのには流石に仰天したが、あどけない寝顔を見せられてしまっては、先ほどまであった呆れも霧散してしまう。

 静かに寝息を立てる少年の髪の一房を、弄ぶように指先に絡めながら、セイジュウロウは目を細めた。

 男児三日あらば克目せよとは言うが、彼の成長は尋常ではない。
 何らかの弾みのように、知識欲と向上心がかちあった瞬間、ルージは唐突に、ありえないほどの直観力と跳躍力で成長を遂げる。理屈や日々の積み重ねではなく、一種特技ともいえる飛躍の仕方だ。もちろんそれに加え、毎日の修行を重ねれば、彼はもっと高みにまで到達できるのだろう。それは日々鍛錬を重ねて己を鍛え上げてきたセイジュウロウを、瞠目させるに十分な資質だった。

 彼は強くなる。すぐさま自分を追い越せるほどに。

 それは直感だった。

 早くその日が来ればいい、とセイジュウロウは思う。
 自分が彼に教えを託すことのできる時間は、あまりにも短い。それはある程度覚悟していたものではあったが。

「…いつの日か」
 少年の無垢な寝顔を見つめて、セイジュウロウは嘯いた。
「お前には、話すか日が来るもしれないな…」

 こんな風に人と触れ合うのは何年ぶりか。
 かつての愛弟子を失ってからは、もう二度と弟子を取るまいと決めていたのだ。
 大切なものは、最初から失われていればいいのだと、思い込むことにしていた。

 辛い思い出があった。悲しい思い出があった。
 だが。
 そればかりではなかったはずだ。
 弟子の成長を見守ることは、この上ない幸せだと思えたこともあったではないか。

 自分は赦されるはずもない。
 それでも、再びルージという存在を通して、かつての愛弟子を投影することが。

 お前を思い出し、胸に刻む方法なのだと。
 そう思っても、いいだろうか。
 …ジロ。

「……」
 吹いてくる一陣の風が、さらさらと髪を梳る感触に、セイジュウロウは目を細めていた。










END


■あとがき
師匠だけ温泉入りそびれてるので、一応浸からせてあげました。
あ、そういやラカンもだった…。
ルージの故郷では、きっと熱いお風呂に入る習慣はないだろうとおもいますが(温暖な地域のようだし)師匠は我慢大会のように熱い湯に入りそうなイメージです。
…って、それっておじいちゃんじゃん!!

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