last update 2005/10/11
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■海■
=Blue Ocean=





「凄い!」
 ルージは叫んでいた。子供特有の好奇心だった。

 眼前に広がる広大な海原は、空の色をそのまま透かしたような、明るい青だった。
 だが、故郷の海とはまた違う。
 潮の香りは確かにそっくりだったが、海は大きくうねり、白い飛沫がとめどなく飛んでくる。
 ゾイドに乗ったまま、普段とは違う視点から見つめる大海原の景色。

「いつもこんな風に荒れているんですか?」
 モニタ越しにラ・カンに問う。
『この辺りの海流は酷く荒れているからな。周りの崖も侵食されて入り組んでいるのだ』
 言われてからルージはあたりを見回した。
 切り立った断崖は、波に削られて形成されたのだろう。波の当たらない、突端部分がせり出すような格好だ。寄せては帰る力強い波の層。泡だった海面が、白くゆらゆらと揺らめいている。

 思わずムラサメライガーのハッチを開く。
 強い海風が、頬を撫でる感触。
 立ち上がり、肺いっぱいに空気を吸い込んだ。

 ミロード村の沿岸の海は穏やかな海だった。特に嵐でも来なければ、こんな高波が来ることはない。広い砂浜が広がり、どこまでも続く水平線が印象的だった。
 懐かしい故郷の香りを感じて、思わずルージは涙ぐみそうになった。本来ならば、感傷に浸っている場合ではなかったが。

『今日はこの辺りで野営をしましょ?』
 コトナが言う。
『海辺なら食料の調達もできるし』

 空はまだ明るい。
 先に進もうと思えば、進めなくもなかったが、ルージの心象を察した仲間たちは、異論を唱えることはなかった。





◆◆◆◆◆





「はーーーーっ…」
 大きく息を吐き、手にしていた木刀を放りだして、その場に大の字に寝転がる。
 背丈の低い草が生えている。襟足や頬のあたりをくすぐられる。その感触に目を細めながら、ルージは乱れる呼吸を収めるように、何度か深呼吸をした。
 じりじりと痺れる両手を握り締める。
 修行は決して甘い物ではない。

 毎日毎日、息が切れるほどやっている。次の日に響くほどやっているわけではないが、流石にその日の終わりごろには、くたくたでベッドが恋しくてたまらない。
 実感はあまりなかったが、どうやら少しずつ上達はしているらしい。コトナやガラガたちは口を揃えて、『上手くなっている』といってくれる。それは社交辞令かもしれなかったが、これから共に反ディガルドとして戦うということになった今、そんなお世辞を口にしている場合ではないとも思える。

 いずれにせよ、自分の師は、あまり上手くなった、下手なままだということは言ってくれない。怒りもしなければ褒めもしない。自分で考えろということなのかもしれない。だが、日々の鍛錬は常に力量が遥かに上のセイジュウロウとだし、自分が着実に実力をつけているとしても、1が10になったところで、相手が100や1000では、差が縮んだとは言い難い。

 すぐにセイジュウロウほどの強さを身につけられるとは思わない。それは流石におこがましい。それでも師を瞠目させるような成長を遂げたいとは思っていた。

 何度か深呼吸をする。心音は少しずつ落ち着きを取り戻してきた。体中を撫でるように吹いてくる海風が、懐かしい故郷の馨りをつれてくる。ミロード村以外の海を見たことはなかった。もちろん村のほかにも海辺の地域があるということは、漠然とは知っていたが、こうして目の当たりにすることは初めてだった。

 つい最近、一度村には帰った。
 いい思い出ばかりではなかったし、温かい迎えではない部分があった。それは自分の責任であったし、仕方がない、と納得もした。コトナに言われるまで気づけなかった自分を恥じもした。
 旅立つ前は村を離れる辛さもあったが、村に残ることの辛さを考えることはなかったように思う。村の人々は自分に色々な思いを託してくれていただろうし、その期待を裏切ってしまったことは事実だった。

「…」
 再び村を後にして、自分はもっと大きなものと対峙することになった。相手は余りにも大きいのだ。早く強くならなければ、みなの足手まといになるだけだ。

「…ルージ」
 声を掛けられ、ルージは閉じていた瞼を開いた。見上げている空は満天の星空だ。月がとても大きく見える。いつの間にか知らず知らずのうちに、うとうとしていたのだろうか。

 覗きこむように見下ろしてきているセイジュウロウの顔が、月明かりに淡く滲んでいる。
 闇夜と月光という清冽な雰囲気は、セイジュウロウによく似合っていた。とても神聖な感じがした。
 差し出されていた竹筒の水筒から、ぽつりと水滴が落ちてくる。冷たいしずくが何滴か頬に落ちる。
「あ、ありがとうございます!」
 跳ね起きてルージは水筒を受け取った。
 栓を抜き、あおるように水を口にする。まっすぐ喉を通って胃に流れ込む水は、とても冷たかった。美味しかった。ひょっとしたら、今しがた汲んできてくれたばかりなのかもしれない。

 口に出して何かを言ってくれるわけではないが、こういう優しさは端々に感じていた。セイジュウロウはルージの傍らに立ったまま、じっと海を見つめている。

 自分が我侭を言って、ここで鍛錬したいと言い出したのだ。少しでも海を身近に感じていたかった。夜の海は満潮を迎えていて、昼間よりも一層波飛沫が高かった。海面に映る月明かりがきらきらとしている。もうひとつの星空があるようにみえた。
 海はいつも空と同じ色だ。
 晴れ渡る日には、青く澄んでいるし、曇りの日には、少し暗く翳っている。こうして夜になれば、夜空そっくりに煌いても見せる。空と海を分かつのは、遠くに見える水平線だけだ。

「俺の村にも、海があって…」
 何とはなしに、ルージは言った。
「夜になると、たまに浜辺に出たりしたんです」
 目を細めながら海面を見つめる。
「夜の海はとても幻想的で神秘的で、昼とは全然違う顔をしていて…」
 何度か瞬きをする。こんなことを言っていると、なんだか涙が出そうだった。
「俺は自分の故郷の海が大好きでした」

 今、ルージの目に映っているのは、ここではない故郷の海なのかもしれない、とセイジュウロウは思った。これから暫くは戻れない故郷。ひょっとしたら、縁起でもない言い方をすれば、二度とは戻れない場所かもしれないのだ。ディガルドとの戦いに身を投じるということは、生死のわからぬ、混沌とした場所に身を預けるということなのだから。
 …それに。
 ジェネレーターの修復は間に合わなかったのだ。既に村には悪い影響がでていたのだと、ラ・カンの話を聞いている。ルージ本人の口からはいいづらいだろうからと言っていた。確かに自分も各地を転々としていた頃、そういった村を見てきたこともあった。酷い有様だった。土地も廃れるが、人の体も心も廃れさせてしまうのだから。

 人の心とはいかに脆く、危ういものかということは、自分もよくわかっていた。
 優しかったピクル村の人々が、ディガルドという脅威を前に変貌したように、大きな力の前では、人は途方もなく無力なのだ。

「…砂浜の砂を全部集めても、空にある星の数の方が多いらしいですよ」
 詩人のような台詞を言って、ルージは微笑んだ。
「昔読んだ本に載ってたんです」
 微笑む顔は年の割りに、随分と大人びていた。

 脈動するように寄せては帰る波が、まるでひとつの大きな心臓のように見える。海水は世界中をめぐる血液のようなものか。心音の代わりに、唸るような海鳴りが響いている。

「人の数はもっと少ないんですよね…」

 その人々の中で、反ディガルドとして立ち上がるものは、もっと一握りなのだ。その一握りの中に、身を投じるということ。こんな年端もいかぬ少年が、その双肩に掛かるものの重みをきちんと理解しているのか、セイジュウロウは時に不安になりもした。
 彼がどこまで戦争を理解しているのかは測りかねる。幼さゆえの正義感なのかもしれない。彼の純粋さが、悪を赦さないのかもしれない。
 だがひとたび戦となれば、血みどろの世界が待っている。真っ白な少年は、血を浴びながら生きていくことになる。もちろん命のやり取りは、剣の切っ先を向ける側も向けられる側も紙一重だ。明日には自分が消える運命なのかもしれない。

「村にいた頃には、そんなこと考えたこともなかったのに」
 ルージは微笑んでいる。随分と自嘲的に、唇の端を吊り上げるように。
「俺、先生になりたかったんです、学校の」
 セイジュウロウを見遣り、そしてそのまま海を見遣る。
「勉強は嫌いじゃなかったし、子供の相手をするのも好きだったし」
 膝を抱えるように座り、ルージは小さくうずくまっている。
「…でも」
 膝の上に顎をのせるようにして、ひとつため息をついた。
「何が正しいのか、わからなくなってしまいました…」

 優しいと思っていた村の人々から向けられた視線は、酷く冷たいものだった。
 自分は悪いことをしているつもりでなくとも、理解してもらえないこともあるのだと、初めて気づいた。

「…確固たる正義が、この世に存在するわけではない」
 セイジュウロウはルージを見下ろした。
「人には都合も立場もある」
 闇夜の海にそっくりな、濃紺の瞳がそこにある。

「…そうですね…」
 都合も立場も、利害も秩序も入り乱れているのだ。人の世は奇麗事だけで成り立っているわけではないのだから。
 優しい人もいる。悪辣な人もいる。すべてをひっくるめて、この世はある。
 ディガルドのような存在もある。それに立ち向かうものも、ひれ伏すものも。

 ディガルドの軍人にも家族はいるだろう。自分たちが正義のもとにディガルドを攻め立て、軍人の命を奪えば、その家族から見れば、自分たちは『悪』なのかもしれない。

「…周りを気にするな」
 セイジュウロウは言う。
「お前の正義は、お前が選び決めることだ」

 ミロード村での出来事のあらましは、コトナとラ・カンから聞いてはいたものの、酷く傷ついた表情を見せるルージを見ると、その事実は伝えられていたもの以上のものだと思わされる。
 よほどのことがなければ、ルージはこんな表情を見せることはない。特に、自分自身が傷つくような場面では。優しいがゆえに、自分を差し置いて、他人を思いやる彼は。

 これまでセイジュウロウが見る限り、ルージは本当によくやってきた。厳しい修行にねを上げることもなかったし、日々の鍛錬を怠ることもなかった。暇さえあれば木刀を振って自己鍛錬していた。危険があれば、自分を省みず誰かを庇いもした。自分は不平も不満も口にせず、いつでも回りに気を配り、相手を気遣ってやっていた。

 ジェネレーターを失った村が廃れることはわかっていただろう。その村を思いながら、ラ・カンやミィが同行するとはいえ、家族や友人を置いて一人で旅立つことの辛さを察すれば、セイジュウロウは胸が詰まるような思いになる。年端もいかぬ子供が危険に身を晒し、村のためにと身を削るような思いで職人探しに出たこと。
 確かに村人の言うように、結果としてルージは期待を裏切る結果にはなったのかもしれない。
 …それでも。

 本当に恐ろしい思いをしながら、命を失うかもしれない危険を冒しながら、ルージは今まで村のために進んできた。その評価が全くなかったのは、流石に不憫でならない。
 ルージはそんな言い訳をするような性格ではないとは解っているが、それでも彼の努力は正当に評価されるべきだと、セイジュウロウは思う。

「正義も悪も関係ない」
 セイジュウロウの言葉に、少年の目は、真剣な眼差しを向けてくる。
「お前は『どうしたい』のか…。それだけだ」
 どこまでも澄んだ紫水晶の瞳が、力強い、生命力に溢れた瞳が。
 静かに頷く。決然とした様子で。
「…はい」
 大粒の涙が、ひとつ零れた。
 声を上げて泣いているわけではない。顔をゆがめて泣いているわけではない。
 むしろその表情はとても穏やかだった。涙がなければ、微笑んでいるようにも見えた。
 だが。
 これほど悲しそうな顔は見たことがない、と、セイジュウロウは思った。

「…」
 無言で片膝をつき、ルージの顔を覗き込む。涙を指先で拭う。
 堰を切ったように溢れる涙が頬を伝って流れる。

 黙って俯いた少年に、声をかけることは出来なかった。ただそっと、その頭を撫でてやるだけだった。
 自分にできるのは、その程度のことしかなかった。


 人は利害を推し量りながら生きていく。
 群れて集まり、個として、集団として生きる。

 それでも、そればかりではないはずだ。
 人は他人を思いやることもあるし、共感することもある。
 彼は特別、それが強いのかもしれない。

 自分を差し置いて皆に尽くす彼は、あらゆる意味で純粋な『正義』なのかもしれない。

 この海原よりもなお広い心。
 この海原よりもなお力強い。

 自分はただひたすら、彼を信じるのみだ。
 この怒りと、悲しみと、殺戮が入り乱れる世の中でも、きっと喜びが芽生えることを。
 痛みによって癒されぬ自分の傷が、いつの日にか淡い思い出に変わることを。






 彼の中にある、『答え』を求めている。








END
・2005/10/02初版
・2005/10/11修正

■あとがき
・ルージのイメージはやっぱり海ですよね。そんなわけで、海を題材にしてみました。
・正直『帰郷』というサブタイトルを目にしたとき、師匠もミロードへ行くと思い込んでいました。が、実際はちがいました…。
・元々似たような感じの話を書こうとしていて、それが師匠もミロードへ一緒に同行する前提で考えていたものだったので、撃沈してしまったわけですが、今回少し状況を変えて、無理矢理ねじ込み気味で書いています。
・予告漫画を載せられなかった(スキャナぶっ壊れました…)ので、せめてもの罪滅ぼしにと、小説を増量することにしたときに、書くことになったわけですが、実質3時間程度で仕上げている割に、実は一番まともな話なんじゃないか…などと思ったりしています。

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