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荘厳に響くのは
祝歓の舞踏曲か。
…それとも
死出の葬送曲か。
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とても、直視できるような光景ではなかった。
ゆるくアーチ状に広がる天井は、薄闇の中、燐光のようなにじんだ光を帯びて、一種形容しがたい状態であった。
培養液の胎内、たゆたうように浮き沈みを繰り替えず胎児たち。
生み出される双子。
殺し合うことを運命付けられ、互いに取り込み合い、強化されていくであろう魂。
ブルーは吐き気を催し、かすかに背中を震わせた。
『キングダムは優秀な双子を求めているわけではありません』
『完全な1人の術士をもとめているのです』
『ルージュを殺しなさい、ブルー!』
『そして一人の、完全な術士になるのです!』
繰り返される言葉。
呪詛のように、その言葉は常に、ブルーの心に重く圧し掛かっていた。それがキングダムの方針ならば、ブルーは従わないわけにはいかなかった。自分はキングダムの術士で、キングダムのほかに自分の居場所を見出すことが出来なかったからだ。
魔法王国として繁栄を極めた『マジックキングダム』。
身内同士で殺し合いをしてまで、高い術力を持った術士を養成する理由が、ブルーには理解できなかった。
言われるがまま日々を暮らし、術の鍛錬にいそしんできたこれまでの生活。疑念を抱く余裕も無く、ただ、完全な術士になることだけが、自分の存在意義のように、ブルーは思えてならなかった。
修士課程まで学院を首席で貫き通し、『最強の術士』として、過度の期待をかけられもした。期待を裏切る勇気は無かった。また、期待にこたえられないわけでもなかった。
汗水を流し、他人の何倍もの修行を積み重ね、もって生まれた資質を開花させることが、ブルーにとっては誇りだったし、他に無い心のよりどころでもあった。
…それが。
その資質さえもが、ヒトの手によって『つくりだされた』ものに過ぎなかったのだ。
自分達に知らされていなかった事実を眼前に突きつけられ、ブルーは混乱し、戸惑った。
高い術力を持っていたがゆえに、傲慢にも永遠の楽土を、自分達の手で生み出そうとした遠い祖先たち。
『天国』と呼ばれる人工リージョンは、制御しきれなかった力の歪みによって、暴走し、安寧どころか、恐怖と破壊をもたらしたのだ。
キングダムの上層部の人間は、そのことをひた隠しにし、今の今まで何事も起きていないような素振りで、一般人を騙しつづけてきた。
『最強の術士』は、間に合わなかったのだ。
王国は崩壊し、廃墟と化した。
これまでの栄耀栄華は微塵もかんじられないほど、完全に破壊された。封じられてきた入り口から(『天国』からみれば出口、だろうか?)這い出してきた魔物の群れに、人々は惨殺され、構築物は叩き潰された。
王国の象徴であった3女神の石像も、地中深くで無残な姿を呈していた。
「この向こうに『地獄』が…」
ブルーは嘯いて、白く煙る瓦礫の向こう側を見据えた。
仲間達は、辺りに倒れこんでいたキングダムの術士たちの手当てに奔走している。
「ブルー!」
不意に掛けられた声に、ブルーは硬直した。
振り返ると、メイレンの不安げな表情が目に入った。彼女の後ろには、今まで苦難を共にしてきた、心強い仲間達の姿がある。
ブルーは小さく笑った。だが、その笑顔も、半ば強引に作られたものだということだ、誰の目から見ても明らかだった。
腕にはめていた3女神の腕輪に目を落として、ブルーは独り言のように言った。
「…今まで、闇に憩いをかんじることは無かったよ…」
皆がブルーを見つめる。
「ヒトは母体という闇を経て生まれてくる。だからこそ、何らかの形で、闇に憩いをかんじることが出来るはずだと思っていた…」
俯いたまま顔を上げずに、ブルーは言葉を連ねた。
「たとえば、安らかに眠ることの出来る夜だとか」
その場にいた誰もが、返す言葉も無く、ただ沈黙を守っていた。
「でも、俺は、闇を経ずに生まれてきたんだ」
作り出される双子。
殺しあう双子。
「明るい実験室の、シャーレの上で…」
キングダムを守り抜くための、最強の術士。
「俺は、生み出された兵器なんだよ。ヒトを傷つける、剣と同じように…」
「ブルーさん!」
悲鳴のようにクーンが叫ぶ。
わあわあ泣き叫んで、ブルーの法衣にしがみついた。
「何で、そんなこというんだよぉッ!」
ブルーは泣き笑いのような、酷く痛ましげな表情を浮かべ、巻きついてくるクーンの背中をぎこちなく抱きとめた。
仲間の誰もがクーンと同じ気持ちで、ブルーを見つめている。
「どうして? キングダムに裏切られたのに。もう、ここを守る理由は無いじゃない! 逃げちゃえばいいのよ! 誰もあなたを責めたりしないわ!!」
メイレンが涙声で早口にまくしたてた。
だがブルーは、ただ微笑をたたえたままで、メイレンの言葉に応えなかった。
「…ヌサカーン」
「何だ?」
「あんたなら、あの新生児処理施設にいた胎児たちを、何とか幼児くらいにまで、育てることもできるだろう?」
「あ、ああ。あの程度の実験施設なら、私にでも扱えるが……。ブルー?」
「あのまま放置しておいたら、近いうちに死んでしまうだろうし…。俺達みたいに作り出された命とはいえ、もう、兄弟で殺しあう理由も今はないだろう?」
ブルーはそう言うと、慈悲深い、だが酷くあどけない微笑を洩らした。そして、半ば硬直したようにじっとブルーを見つめていたルーファスたちに目を向ける。
「ルーファス、アニー、ライザ」
「な、何よ」
アニーがうろたえたようにかすれた声で返事を返す。
「…ブルー」
ライザは感極まったように、嗚咽の混じった上ずった声で、ブルーの名をよんだ。
「子供が無事に大きくなったら、あんた達の情報網で、子供の里親を探してやってくれ」
「…わかった」
ルーファスが短く返答する。
「もし、それで駄目だったら…サイレンス」
「…」
無言のままサイレンスはブルーを見遣る。
「IRPOの方で、保護施設を紹介してやってくれないか?」
「…」
サイレンスはブルーの言葉に、小さく首を縦に振った。
「みんな、今までありがとう」
しがみついてきているクーンを優しく撫で、その肩をそっと押しやった。
1歩、2歩とあとずさるようにブルーは仲間達から離れた。
硬く握っていた右の掌を開いて掲げる。
「ブルー…」
「…ここからは、俺達双子の戦いだ」
そう言うが早いか、ブルーの右手が灼熱した。
迸る魔力の奔流。
『最強の術士』といわれるだけに値する、豊かで、活力に満ちた、膨大なエネルギー。
「…ヴァーミリオンサンズ」
呪詛はブルーの薄い唇から解き放たれ、魔力はせき止めていた枷を食い破って踊り出た。ブルーの体内には、魔力が滾っていた。信じられないほどの完璧で絶対的な力が。
放出された魔力の塊は、天井の岩盤を打ち壊し、ばきばきとひび割れさせた。
「ブルー!!!」
仲間の誰かが叫ぶ。
…いや、全員が叫んだのかも知れない。
だが、その声も、崩れ落ちる岩くれのたてる轟音に呑み込まれていった。
もうもうと立ち込める砂煙の向こう、『地獄』に通じていた唯一の道は閉ざされ、封じられた。
だが、轟音のさなか、皆ははっきりと聞いた。
今まで聴いたことも無いほど、優しい声色のブルーの言葉を。
『さよなら』と。
「ち、違うんだ…!」
精も根も尽き果てたような表情で横たわっていたキングダムの術士の1人が、振り絞るような声で叫んだ。無理矢理起き上がったためか、声と共に、血反吐を吐き出した。
「ちょっと、あんた…!」
リュートが駆け寄り、メサルティムが生命の雨を降らせる。だが、もはやその術士には、治療は無意味だった。
「しゃべらないほうが…!」
制止を振り切るように術士は、悲痛な声で、もう埋まってしまった地獄への入り口に向かって、声を張り上げて叫んだ。
「おまえ達は、本当の………!!!」
ごぶり、と大量の血液が口から溢れ出す。
だが、もはやその声は、ブルーには届かない。
薄暮だろうか、夜明けだろうか?
淡い薄桃色の空の下、大地は淡青色で、緩やかな起伏をどこまでも続かせている。降り注いでくる金糸のような光が、空気に溶け、自分に降り注いできている。
目を向けて見れば、いままで見たことも無いような、巨大な植物が、いくつも連なっていた。
薄い花弁は光に透けて七色に輝いていた。
かすかな風に乗って、甘い香りが届いてくる。
「…地獄、か」
ブルーは独りごちて、空を見上げた。
「俺には相応しい墓場かもしれないな…」
どこか遠くから、鐘楼の響く音がしている。
遠くには天使の一群が、小躍りするように羽根を翻して舞っている。
…その優美さとは裏腹な、獰猛な爪や牙をそなえて。
急に寂寥感のようなものがこみ上げてきて、ブルーはじっと立ち尽くした。
今まで常に後ろにいた仲間達は、もはや遠く隔たった場所にいるのだ。
一歩一歩前に進めば、彼らから少しずつ遠ざかっていくことを、ブルーは実感した。せめて彼らと共有した鮮明な記憶を呼び起こそうと、ブルーは試みた。だが、詳しく思い出そうとすればするほど、その記憶は曖昧にぼやけ、消えかかり、霧にかすむように逃げてゆく。
何匹かの天使がブルーを見つけ出し、久々の獲物に歓喜の声をあげて襲い掛かってくる。ブルーは手にしていた剣をひらめかせ、鮮やかに切り結んだ。飛び散る血は、ヒトのものとは程遠く、青黒く、濁った下水を思い起こさせた。
キィキィと耳障りな泣き声をあげて、天使どもはうろたえたように飛び退り、互いにぶつかり合って失速する。ブルーは裂帛の気合を込めて叫んだ。
「超風!」
放射状に爆風が巻き起こり、辺り一面、光の強さのあまり、形がうかがえず見失う。断末魔の雄たけびを上げて、天使たちは四散した。
耳の奥にこだまする、遠吠えのような叫び。
だが、酷く深い孤独の底にいるブルーにとって、そんな声でも嬉しく思えた。孤独に染まりかけた鼓膜には、どんな声も、音も、酷くいとしく思える。それがたとえ、金切り声のような、耳障りなこえだとしてもだ。
誰かの声があればよかった。独りではないのだと、はっきりと証明してくれるものがあれば良かった。
…ひとり。
そう不意に思ったとたん、ブルーは小さく笑った。途方も無く艶然と。
…ひとりではない。
熱く滾る血潮のざわめきに、ブルーは小さく頷いた。
自分はブルーであり、ルージュであるのだと。
ブルーはやけっぱちのように元気良く走り出した。
ただ、先へ先へ進むこと以外に、慰めになることは、この世界には存在しない。
いっそ、死が訪れてくれたなら、と、乞う気持ちがふつふつと湧いてくる。走りつづければ、いつかはどこかに辿り付き、何らかの結末を迎えることが出来るだろう。そう思えばこそ、ブルーは足を進めることができた。
走ることが出来ないほど疲弊してしまったら?
それは救いでこそあれ、なんらかの恐怖ではない。
死は許しであり、解放だった。
ただ永劫に続く孤独よりも、なんと甘美で慈恵的なものであろうか。
何かが起こり、何かが現れることはむしろ救いだ。
それが痛みであろうと、死そのものであろうと、途方も無くいとおしい。
「それで充分だ」
ブルーは満足そうに微笑んだ。
螺旋階段を駆け上り、桃色の鍾乳石の洞窟のような洞穴を潜り抜け、魔方陣を発見した。薄く発光しているそれに、ブルーはなんの迷いも無く身を任せる。
恐怖は無かった。今心が求めて止まないのは、永遠の安寧である。
魔方陣の発する力に、ブルーは浮遊感のようなものをかんじていた。
視界がかすみ、自然とブルーは、自分がどこかに飛ばされていることを理解した。
目の前には、真っ黒な卵のようなものが鎮座していた。
禍々しい邪気を放つそれは、黒曜石のように表面が滑らかだ。
ブルーは意を決したように足を進める。
鼓動はいつにもましてどくどくと激しく拍動していたが、不思議と畏怖はかんじなかった。
これで、全てが終わる、とブルーは心のうちで呟いた。
ルージュでありブルーである彼は、このとき、偉大な創造主をも恐れぬほど、絶対であり、完璧であった。成すべき使命がある以上、力は彼らに味方をしないわけにはいかなかった。
「全ては、塵に」
ブルーは小さく嘯くと、足を踏み出した。
END
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