last update 2002/03/01
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■君を呼ぶ声■
=Bit Cloud=







 簡素な作りのステレオセットのスピーカーから、静かに流れてくるのは、少し前に流行した歌謡曲だ。
 薄く開かれた窓からは、真っ青に澄み切った青空が覗けている。かすかに沸き起こった風に、カーテンがゆっくりとはためくと、ちらりと見えた太陽から、まぶしい陽光が投げかけられてきた。
 何の変哲もない、特に際立った事件も何もない。平凡で安穏な日だった。
 平凡は退屈と紙一重だと、彼は常々思っていたが、どうやら今日はそうでもないらしい。











 風にそよいだ雑誌の数ページが、頬を掠める感触に目が醒めた。
 いつのまにか眠っちまってたのか、さっきまで読んでいた雑誌が傍らに転がってた。
 あくびをかみ締めて寝返りをうつと、椅子に座りながら雑誌をめくっているバラッドが目に入る。
 寝返りをうった時に、かすかにきしんだベッドの音に、一瞬バラッドは顔を上げたけど、すぐにまた、雑誌に目を向けた。
 ゆっくりと足を組み変えたり、頬杖をついたりするバラッドを見ながら、ベッドにうつ伏せに寝転び直した。
 洗濯された清潔なベッドのシーツは肌触りがすごくよかったし、洗剤のかすかな香りに混じって日向独特の、少し香ばしいような、あったかい香りがした。




 ゾイドバトルもない。
 ゾイドの調整も終わった。


 こんな穏やかな日は、久しぶりだった。
 いつもなら、ライガーで外をひとっぱしり、と言うところだけど、なんだか今日は、そういう気分よりも、こうしてバラッドと静かに過ごすのも、悪くないかな、なんて思えたんだ。


 バラッドに、部屋に行ってもイイか聞くときには、正直どきどきした。
 だって、バラッドって、自分のテリトリー侵されるの、嫌いそうだし。
 自分の時間は大切にしてそうじゃん。
 俺みたいに鬱陶しいヤツが周りにうろちょろしてたんじゃ、落ち着くモンも落ち着かねぇだろ? ま、一応自覚はあるンだよ。俺って結構ウザいとこもあるって。
 でも何か意外と普通に『いいぜ』って言われて、拍子抜けした。一応、注意事項もあったけど。『俺ンとこ来ても、何にもないぜ』って。


 確かにバラッド自身が言うとおり、何にもない部屋だった。
 かといって、俺の部屋に何かおあるか、って言われると困るけど。
 でも、自分の部屋よりも、やっぱり居心地がイイ。
 だって、バラッドのほうが几帳面だし、部屋の掃除なんかマメにしてるみたいだし。ってゆーか、もともとそんなに部屋を汚すようなことさえもしないンだろォけど。


 ぐるっと部屋を見まわすけど、俺の部屋とは随分違う。
 備え付けのクローゼットと、ベッド脇にある小さなチェスト、簡素なデスクとベッド。あとは背の低い棚に、何やら資料や雑誌がきちんと背丈順や、発行順に並べられている。


 部屋の主は、じっと彫像みたいに本を見据えたまま動かない。
 時々思い出したように、ページをめくっている。
 その指先のしなやかな動きだとか、肩の滑らかさだとか、不思議な腕の長さだとか。
 ただ、そんなことにさえ、なんだか感動してしまう。


 …だから。


「バラッド」
 なんだかすごく、バラッドを呼んでみたい気分になったんだ。
「…何だ?」
 少し間を置いて、雑誌に目を向けたまま、こっちを見もしないで、バラッドは短く言った。
 それが癪に障るとか障らないとか、そういうわけじゃなかったけど、なんとなく気にかかったのは確かだった。
 バラッドがページをめくる度に、紙の擦れる小さな音が聞こえてくる。
 こっちが黙ってれば、何か言い出すかとおもいきや、バラッドは黙々と雑誌を読み進めているようだった。


 だから、もう一度呼んでみる。


「ばーーーらっど」
 今度は、がんばって猫撫で声にしながら。
「だから、何?」
 ようやく雑誌から顔を上げて、しょうがない、とでも言いたげに立ち上がった。
 近くにあったマガジンラックに雑誌を放り投げ、小さく伸びをする。


 そのままベッドにゆっくり近づいてきて、俺の枕もとに腰を下ろした。
「バラッドってば」
 しつこく呼びかけると、バラッドは苦笑いを浮かべて、大きな手のひらで、俺の頭を乱暴に撫でつけてきた。
「ハイハイ」
 返事は、適当ってわけじゃないけど、どこか気の無い声のように聞こえた。まるで、子供をあやす母親じみていて、なんだか久々に甘えたい気持ちになった。
「なー、バラッド」
「はいよ」
 呼べば返事をしてくれる。
 用件も言わずに何度も呼びかけられているというのに、バラッドは特に気を悪くした風でもないし、俺のペースにあわせてくれている。
「バラッド〜」
 言いながらバラッドの腰にしがみつく。肌と肌を直接重ね合わせてるわけじゃないけど、布越しに伝わってくるバラッドの体温は、俺に気持ちを随分と安らかにしてくれた。
「何だっつーの」
 まとわりついてくる俺を軽くあしらうように、頭を2、3度たたいて、バラッドは静かに微笑んでいる。
 こうやって過剰にスキンシップするのは、昨日今日に始まったことじゃない。バラッドもそれなりに心得てるみたいだった。


 こんな風にべたべたしたくなるのは、久々に気が弱くなっているからかもしれない。我ながら、結構精神的にはタフなほうだと思ってたけど、時々急に泣きたくなることってあるじゃん?


 あんまりにも天気がよくて、あんまりにも平和過ぎて。
 気の張りようが無くなると、唐突に心がもろくなっちまう。
 だから、呼びかけて返事してくれるバラッドがいることが、どれだけ心強いか、どれだけ頼りにしてるかなんて、十分承知してるんだ。
「バラッド」
 思わず声がマジになっちまうと、バラッドは真剣な表情で俺の顔を覗きこんできた。
「…どうした?」
 軽く首をかしげると、少し長めの前髪から、思慮深い深海の紺碧の瞳が現れた。
 気づけば、バラッドの大きな手のひらが、背中をさすってくれている。
「別に、何でもないんだけどさ」
「…そうか」








 この、何の変哲もない日常が、時にはひどくいとおしい。






END

■あとがき

 馬鹿ップルめ馬鹿ップルめ馬鹿ップルめ…。
 永久にイチャついてろ!!!


 今回珍しく1人称小説ですが、
 1人称って、小説では結構限界がありますね。痛感。
 めったなことでは書かない1人称なので、ま、記念ってことで。

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