17/死神

 

 

 

成りゆきでやむを得ず死覇装を身につける事になった。
迷っている猶予などなかった。
何より目前に優先させなければならない事項があり、死神に化ける事が最良の選択である。
そう思いつつ、漆黒の装にいざ袖を通す段になると、岩鷲の中で激しい葛藤が沸き起こった。
この姿を流魂街で待つ姉が見たら、何と言うだろうか。

―――――兄の仇の仲間と馴れ合っている。



瞬時に過去の忌わしい光景が脳裏を過る。それは決して忘れる事のできない、いわば自分で自分に課した負荷であった。
兄は志半ばで死神に裏切られ、死んだ。
その心中、どれ程無念であったか。
繰り返し繰り返し、まるで記憶の中に厚く塗り込めるように反芻してきた憎しみ。
その底にある自身の無力への苛立ち。岩鷲は成長過程で少しずつ気付き、そんな根本の脆さに人知れず傷付いてきた。
兄のように強くありたいと願いながら、自身の才能の平凡さに裏切られる。
同じ兄弟でありながら、まるで自分がどうしようもない出来損ないのような―――――

 兄貴が死ななければ、俺はもう少し違った男になっただろう

ただ憧れ、羨望するだけの愚かな末子として生きる事。
兄の死は岩鷲を安穏と甘んじていた居場所から叩き出した。
岩鷲、お前が空鶴と志波家を守れ。
夢の中で兄は厳しい視線でそう告げた。



身に付けた死覇装は、どこか他所他所しさを感じさせながら、岩鷲の大きな身体に不思議と馴染んだ。

 こんな格好しちまって
 もう、姉ちゃんに言い訳できねえな

自嘲気味に苦笑を漏らすと、少し心の過重が軽減された気がした。
腕を上げ、下ろし、慣れない衣服を馴染ませる。
包帯はまだ残っていたが、朽木白哉との戦いで負った身体中の傷は、既に治癒されつつある。
意識が四肢から背中に及んだ時、岩鷲は背負い慣れた重みが失われた事に気付いた。

―――――花の奴。

 傷だらけになっちまって、あいつが治してくれた傷がどれだか分からなくなっちまう
 あいつ今、罰受けてんだろうか
 あんな弱っちい奴が、あんま苛められちゃ可哀想だよな

岩鷲はほんの数日行動を共にしただけの、猫背の小柄な死神を思う。
その気弱そうな眉と、泣き顔に似た笑顔。

―――――行ってきます

 兄貴
 兄貴が笑って死神に「ありがとう」って言った気持ちが
 今なら俺にもわかる気がする
 
長い、長い時間、心の内側に守り育てて来た憎悪。
根拠など要らなかった。
何も見たくなかった。
何も耳に入れたくなかった。
回想の中の笑顔の兄に厳しい表情を貼り付ける事で、自ら目を耳を塞いできた。
一挙一動に理由づけし、振り捨てて来たものたち。
しかし、その中にこそ真実があった。

岩鷲はゆっくりと思い出す。
懺罪宮への長い橋の上で起こった出来事を。
兄の仇朽木ルキアと再会し、瀞霊邸へ潜入した目的を忘れた不甲斐ない自分を後に、勝ち目のない戦いへ赴こうとした山田花太郎の震える後ろ姿を。
岩鷲は只、覚悟を決めたその真摯な背中に打たれたのだ。
花太郎が向き合おうとする敵の前に、脊椎反射のごとく立ちはだかってしまった自分の内面に、一体どんな変化があったというのだろう。
惨敗を喫し、遠ざかる意識の下で岩鷲は不思議と満足であった。

 俺は、死神であるあいつを護りたかった
 兄貴と同じだ
 俺はきっと今、笑ってる

おそらく、あのまま命を落とす事になったとしても―――――

 
 

岩鷲は再会した一護の現世の仲間達や、突然協力を申し出た十一番隊と共に牢を後にした。
同様に、死覇装を着る事に抵抗があったらしい石田雨竜が、着替えを済ませた岩鷲を一瞥する。
思う所があったのだろう。
「......ま、死ぬ訳じゃねえし」
誰に向かっての言葉なのか、岩鷲は一言呟くように吐き出し、雨竜の肩を叩いた。
「急ごうぜ。俺ももう一度会って、礼を言いたい奴がいるんだ」
雨竜はそんな馴れ合いめいた仕種に眉をひそめる様にして、それでも少しだけ笑った。


遠く、近く、切迫した霊圧がぶつかり合う瀞霊邸。
傍観するよりずっと殺伐が支配する場所であった。

しかし、岩鷲は思う。
ここへ来てよかった。

全て予定された轍を辿るかのごとく、運命が収束する。
志波空鶴は、全てを悟った上で未熟な弟を送り出したのかも知れない。

岩鷲が花太郎に再会し、兄についての長い回想を語るのは、もう少し後の話となる。