言霊

 

 

 

問いかける声が聞こえる。
こんな所で何をやっている。
お前は何のためにここまで来たのか。

答えは既に出した。
だから俺はこんな所で倒れている。
後悔などしていない。
兄貴や姉ちゃんが今の俺を見たら、大馬鹿野郎だと笑うだろうか。
いつまでも情けねえガキ、そう言って頭をぽん、と叩く姉ちゃん。
記憶の中に沈んだままの、兄貴の誇らし気な横顔。

―――――ああ、俺は間違っていない。

それなのに、泣いてる奴がひとり。
俺の傍らにじっと黙ったままで座って、潤んだ目でまるで非難するみてぇに。
俺は、そんなにお前に非道い事をしたのかよ。

なあ、花。

 

 

「お前ん家はどんな所にある?」

―――――ほんの数刻前。

戦う一護を後に懺罪宮へ向かいながら、後ろ髪引かれて振り向いてばかりいる花太郎の気持ちを紛らわせようと、岩鷲はしきりに詰まらない話を持ちかけていた。
「……」
「俺は、流魂街の外れに家があって」
返事などどうでもいい。ただ、花太郎が一護の戦いへの不安を思い出さぬ様に、ひたすら大声で喋り続ける。
そうしていなければ、岩鷲自身も一度は固めた決心が揺らぎそうになる。
依然として重苦しい霊圧のぶつかる感触は、皮膚のあちこちで感じられた。
その残響こそ、一護と更木剣八の死闘によるものに他ならない。
岩鷲は更に大声を張り上げた。
「その家ってのは、俺の姉ちゃんがデザインした家でよ、なかなか格好いいんだぜ」
話す内容は既に何度かル−プしている。花太郎もまともに聞いてはいるまい。しかし岩鷲は、掴んで走るその細い腕の震えが、徐々に落ちついてゆくのを感じていた。
「今は、外から見える柱が腕の形でな」
突然、背後に轟音が響く。
背筋を走り抜けるのは、重く、威圧するような圧倒的な霊圧。
岩鷲のいる場所からも、建物が崩落する様が見てとれた。
「ああ……!」
はっとして立ち止まろうとする花太郎の身体を強引に掴み、肩に担ぎ上げ、尚喋り続ける。
「で、俺には弟分がいてな。どいつもまあ、なかなか熱いハートを持ってたりするんだけどよ、やっぱ俺には適わねぇっつーか」
「岩鷲さん、一護さんが……」
「料理が得意な奴もいてな、でも姉ちゃんとはあんま好みが合わねぇんだ。ほら、俺の姉ちゃん、すげぇ辛党だからよ」
「岩鷲さん!」
背筋をビリビリと震わせる霊圧は更に重く、走る脚に絡み付く。
これがあの、更木とかいう隊長のものだとすると、一護に勝機などあるのだろうか。
しかし、そんな不安を払い落とす様に、岩鷲は声を張り上げ、また捲し立てる。
「唐辛子が好きで、だから火薬で、ほら、炸裂したら目が痛くって涙ぼろぼろなヤツ、あれ、姉ちゃんが発明したんだぜ。俺も結構好きでよ、でも間違って暴発させて俺がほら」
担ぎ上げた花太郎の小さな身体が、引き返そうと藻掻いていた。
岩鷲の腕にがんじがらめにされながら、花太郎は忌わしい霊圧の方向を凝視している。
「馬鹿だろ、唐辛子が目に入って、真っ赤な目で大泣きして、涙拭いたらますます痛くて」
既に岩鷲は自分が何を言っているのかすら、わからなくなっている。
重く、圧倒的な霊圧を引き剥がすように。
花太郎の心痛を振り切るように。

―――――岩鷲はただ、駆けた。




「岩鷲さん」
仰向けに伸びた俺の傍に蹲るように座っている奴が、また情けない顔をして覗き込んでいる。
ああ、馬鹿野郎、そんな顔してんじゃねえ。
そう言おうとしたが、声が出なかった。
麻痺したような耳の奥に、俄に騒がしくなった辺りの喧噪が届く。
「岩鷲さん、僕が」
そう言いかけた花太郎の言葉は続かず、込み上げた涙を呑み込むように沈黙した。
何で泣いてんだ。
お前の腕、引っぱって、お前を無理矢理連れて来て、このザマじゃ締まらねえよな。
でも、俺もちょっとは格好よかっただろ?
「僕が、治しますから」
顔を上げた花太郎は、涙を溢れさせ、鼻水を垂らし、それでも俺を真摯に見下ろしていた。
やめてくれ。

やめてくれ、花太郎。

そういう顔を、俺に見せるな。

 

 

 

暫く忘れていた苦痛が戻ってくる。
朽木白哉と、無事追い付いた一護。
そして、憎み続けた兄の仇。
短い時間の中で岩鷲に起こった、あまりに沢山の全ての事。

 もう面倒くせえ。
 大人しく死んでやる。
 姉ちゃん、ごめんな。
 兄貴に会えたら、素直に謝るから

そう思い、目を閉じようとした時。
岩鷲は自分に向けて語られる、花太郎の朗々とした言葉を聞いた。

 岩鷲さんは流魂街で、お姉さんと暮らしていたんですね
 岩鷲さんのお姉さんって、どんな人なんですか
 辛いものが好きで、唐辛子の砲弾が作れるなんて、会ってみたいです
 お料理が上手だって人も、僕、興味あるんです
 あんまり霊力がないから、使う量も限られてて、僕、小食だって叱られるんです
 だから、僕

語るその頬を次々と涙が流れて落ちる。
しかし、花太郎の声は澄み、流暢な語りとなって耳に優しい。
まるで歌うように、花太郎は涙を零しながら話し続ける。
声高に下らない話を繰り返した、往路の岩鷲のごとく。

 僕、流魂街へ、行ってみたいな

 ああ、連れていってやる。
 全部終わったら、お前を連れて、姉ちゃんの所へ


 

岩鷲が最後に見たのは泣笑いの、涙と鼻水にくしゃくしゃになった顔だった。


瀞霊邸・懺罪宮への長い橋の上。
闘いはまだ終わっていない。

 



                 ―――――――<終>

 

 


後書:
#116の動揺のまんまに…
岩花の短い道中記なんかを考えていたものの、なんかそんな悠長な事言ってられなくなっちまいました。
「最後に見たもの」なんて書きましたが、当然「失神までの」です。そりゃそうだ。死んでたまるか(;;)