幕間
懺罪宮を見上げる位置にある場所。
殺伐とした景色と吹き渡る乾いた風。
先頭を歩く死覇装から少し離れた場所にて、短い会話が交される。
「あの、助けてくださって、ありがとうございました」
「……ん? ああ」
唐突に山田花太郎は上目遣いで軽く会釈し、少しだけ笑った。
泣いているような笑顔になった。
「何にもできないんですけど、僕。…背中の傷、診ます」
岩鷲は言われてああ、と肩ごしに振り返ろうとする。既に受けた傷の事すら忘却していた。頑丈なのは取り柄のひとつである。
「ああ、こんなもん、放っときゃ治る」
「そうもいかないでしょう? 流した血の分、霊力は失われるんです。ルキアさんを助けに行くなら……」
ああ、そうだった。
ルキア。
岩鷲は遠い名前を呟いてみる。
花太郎は早速背後に回り、既に血も乾いた傷の手当てを始めていた。
「いってぇ」
「あ、すいません」
「…ったく、奇っ怪な武器を振り回してきやがって、しかも醜いだの何だの連発しやがって、ロクなもんじゃねえ」
つい数時間前に対峙した相手を脳裏に描きながら、岩鷲は悪態を吐いた。
奇妙な眉、そして鼻持ちならない見下すような視線。
思いきりその男を罵倒しようとして、戦った相手の名すら知らなかった事に気付く。
「この傷は、『藤孔雀』ですね」
「何だそりゃ」
「十一番隊の綾瀬川弓親……、です」
花太郎の中にその名に敬称をつけるべきか、一瞬の逡巡があった様だ。そういうどうでもいい事に気付いてしまう自分が、時々細かく七面倒な性質に思え、岩鷲はあまり好きではない。
「ルキアって死神は、いい奴なんだな」
思わず逸らした話。しかし花太郎はあまり気にしていない様であった。
「はい」
「ふうん」
女だという。
自分に引っ掛かってきた、まるで抜けない棘のような存在になってしまった、黒崎一護という男がこだわる相手。
そして目の前の、どう見ても侠気とか気骨とかいう言葉から程遠い花太郎までが、自分の職務を捨ててまで救いたい囚人。
「俺は、知らねえんだ、そいつの事」
何となく吐き出した頃には花太郎は既に手当てを終え、岩鷲の隣に華奢な肩を並べて歩いていた。
そしてその少し憂いを含んだ目を細め、笑った。
「ルキアさんの事、きっと岩鷲さんも好きになります」
―――――どいつもこいつも。
全てがルキアという名のもとに収束していく。
まるでそれが約束された道であるかのように。
一護や花太郎が命を賭けて守りたいという存在ならば、決して自分にとっても悪い相手にはならないだろう。
そう思いつつ、岩鷲は一抹の不安を覚えずにいられない。
例えば、もし。
何年もの間、流魂街にて死神を憎んで来た自分。
その名をタブーとされながら、志波の家の誰もの中から一時も消える事のなかった濃厚な兄の影。
もし、ルキアという死神が兄の死に関わっていたら―――――
一護や花太郎が向かう先に、まるで導かれる様に歩む自分の足先。
姉の紅い唇が思い出される。
それはまるで裂けるように開かれ、笑いの表情となった。
なあ岩鷲、知ってるか?
百発花火を打ち上げると、そのうちの半分以上がおんなじ軌道を通るんだ
まるで空に道があるみたいに
虚空を睨んだまま長い溜息を吐く。隣を歩く花太郎がはっとしてこちらを見上げるのがわかる。
しかし言葉はない。こういう時の自分がどれほど凶暴な貌をしているか、岩鷲は自分でよくわかっている。
懺罪宮潜入までの短い幕間。
先に待つものが何なのか、彼等はまだ知らない。
―――――終