治癒<幕間2>

 

 

 

 

―――――夢を見ていた。

白い、滑らかな肌を抱いている。
顔。
遠い記憶の中にある優しい表情がそこに重なり、そしてまた遠ざかる。
輪郭はあやふやなまま歪み、よく見知った女になった。
姉・空鶴の顔。
ああ、俺はずっと姉ちゃんにこんな事をしたかったのか。
自分のしている事が意外でもあり、合点もいく。
手に触れる乳房は柔らかく弾力があり、そしてどこか懐しかった。

長く憧れた筈のそれは、余りにあっけなく平凡な女のものとして掌の中にあった。
こんな事をして、こんな風に触って、俺は。
能動的に動く身体と、そこから切り離されたように戸惑う心。
そしていつも敗北するのは後者であった。
姉の細い身体を組み敷き、力の優越感に満たされる。

こんな事、俺はやろうと思えばいつでも―――――

おそらく、いつものようにそこで目が覚めるだろう。
間違って何度も見たその手の夢は、いつも姉の回し蹴りが炸裂した所で途切れ、行きつく結末を知らせないままである。

 

「それ、どういう理屈なんだ」

瀞霊邸地下道にて―――――
唐突に背後から声をかけられて花太郎は振り返った。
寝入ってしまった岩鷲を必死の思いで引っぱって起こし、座らせた姿勢にしてその背中の傷を診ていた最中のことである。
さっきまで意識のなかった一護が、いつのまにか覚醒していた。
「気がついたんですね」
傷ついて青白かった全身にいつしか血の気が蘇り、顔色もよくなっている。
花太郎は安堵の溜息を漏らした。
「ああ。すごいもんだな、治癒能力って… 助かった」
「いいえ、僕の仕事ですから」
疲れた顔で笑い、花太郎は再び一護に背を向け、治療に戻る。
岩鷲の背中に大きな傷がある事を、ここへ辿り着くまでの間ずっと気にしていた。
既に職業病なのか、それとも末端の死神達にまで「早くしやがれ」と罵声を浴びることに慣れ過ぎたのか、花太郎は血の色に人一倍敏感になっていた。
「…理屈は同じなんです。えっと、一護さんは魂魄じゃない状態で怪我をしたら、物理的に治療するでしょう?」
「ぶつりてき…。ああ、外科手術とかか?」
「そう。物質である肉体と霊体である魂魄との違いがあるだけで、こうして僕がやってることはおんなじ『治療』なんです。一護さん、さっき眠っている間に感じませんでしたか?」
「……」
沈黙した一護に、花太郎が更に言葉を次ぐ。
「…わからないですか? えーと……あ! ほら、例えるなら『魂の整備』みたいなもんです」
「もっとわかんねーよ」
少し身体が回復した事で気持ちに余裕が出たのか、一護は上半身を起こし、壁に凭れた。

 怪我をして傷ついた魂魄は、むらなく均された形をしていません。
 静かで揺れない水面のような形が、一番魂魄を強靱にする形態なんです。
 僕たち四番隊は、歪になった魂の形を、きれいに整えるのが仕事なんです。

説明しながら花太郎は掌を当てて岩鷲の背の乾いた血痕をくり返し撫でる。
おそらくこの傷は、十一番隊綾瀬川弓親の『藤孔雀』。
戦闘集団として名高い十一番隊の中でも殺傷力の高い武器のひとつであったことを、花太郎もよく知っている。
「致命傷は外れてますが…… 丈夫な人ですね」
「打たれ強いんだろ?」
「…痛覚が鈍いとしか……」
「えれー言われようだな」
「岩鷲さんは一護さんと」
「ああ、西流魂街で出会ったんだ」
それは花太郎にとっては意外な話だった。
一護との奇妙な息の合い方は、傍観して長年の悪友を思わせた。




覚めるかと思った夢は途切れず、眠りは更なる深みへと沈みこんだ。
既に岩鷲はそれが現でないことを自覚しているというのに。
奇妙な感覚だった。

覚悟した姉の蹴りは未だ炸裂する様子もない。
そもそもこの夢は瀕死の兄が帰還した、あの日の一場面から幕を開けた。
これが何かの企てによる悪夢であるとしたら、仕掛けているのは岩鷲の弱点をよく分かっている者ということになる。
姉を抱き、その温い体温を感じた瞬間の違和感。
そこにあると知っている拒絶が感じられず、姉と似て非なる弛緩した女の形が、どこまでも岩鷲を不安定にする。

しかし、身体が動くままに先の領域へ踏み込もうとした時、腕の中にあった筈の姉が唐突に遠ざかる。
肌が変わった。
そして、その逆撫でするような感覚はいつしか理性を呼び起こす。

 なんだ、姉ちゃんじゃなかったのか

自覚した瞬間、身体が軽くなった。
不快になりつつあった背筋の劣情の残滓は緩み、薄くなってやがて消える。
きつく全身を縛り付けていたものから解放される。

 姉ちゃんじゃねえなら、お前は誰だ

さっきまで腕の中にあったより、更に細く小さな身体。
しかしその肌から伝わるものは、先刻までの荒れ狂う情慾を生み出す熱とは違い、穏やかな暖かさを含んでいた。

岩鷲の中に残された魂魄としての記憶が、その感触を求めてどこまでも遡る。
一護との出会いを、西流魂街を越え、仲間や姉やもう会えない兄をも過ぎ、更に遠く。
急く思いを引き止めるように、閃くもの。

 なんだ、お前だったのか

―――――瞬間。

背中に柔らかく暖かい掌を感じ、岩鷲は浅い眠りの中で覚醒した。

 


「…何とか、間に合いそうです」
花太郎は額の汗を拭い、その場に座り込んだ。
「大丈夫か?」
すぐ後ろにいる一護の声すらどこか遠くから聞こえるようで、肉体的、精神的疲労が限界に来ていることを知る。
「岩鷲さん、もうすぐ目が覚めますから…… あとは……、ルキアさんのところへ……」
そこまで言ったところで、意識は途切れた。
花太郎はそのまま、治療が終わったばかりの岩鷲の膝の上に倒れ込む。

 


「……もうすぐ、か」
ようやく回復を始めたばかりの身体を再び冷たい地面に横たえ、一護は呟いた。
後は懺罪宮へ突入するだけ。
ルキアのすぐ傍まで来たという事実が、心を逸らせ、焦らせた。
しかし、今目の前で呑気に寝息を立てる二人の姿が、一護に平常心を取り戻させる。

オレのために、つき合って
オレのために、くたびれて

起こしかけた身体の力を抜き、再び目を閉じた。
志波邸にて、霊珠核の扱い方を不器用に教えてくれた岩鷲。
その岩鷲の背に倒れかかるように、額をつけて治療していた花太郎。

 頼んだ訳でもないのにな

少し笑った。

それに答える様かの様に、地下道には花太郎の寝息と岩鷲の鼾が間抜けに谺した。

 

 

                      ―――――終

 

 


後書:
#100〜#101の中間くらいの行間読み。でも例によって陳腐、「見て来たような大嘘」。特に花太郎の治療の理屈は何の根拠もない妄想です。
岩花のエロい治療話を書こうとしたのに気がつくと三人の状況描写話に。色々を今後の課題にいたし鱒。