手を差し伸べた理由は、
美しい薔薇が咲き誇る庭に、少女と初老の男が佇んでいた。
二人の前にあるのは古い墓標。その手前には摘んだのであろう赤い薔薇が一輪載せられている。
「あれからもう何十年……以上かしら。時というものは早いわね、ヴァルケンハイン」
金色の長い髪の毛を二つに縛り、黒ウサギのようなリボンを付けた少女がポツリと呟いた。
すると隣に居た初老の男が、静かに口を開きその問いに答える。
「そうで御座いますね、レイチェル様。前当主が亡くなりどのくらいの時が過ぎたのか……、正直把握出来ないのですが、世界は変化を望みませぬな」
「……そうね。タカマガハラシステムが稼働している限り、歴史は何度でも繰り返されるわ。壊れても、また修復され、何事もなかったかのように動くだけ。そして私はただ監視《みる》だけの存在……」
そう話すレイチェルの横顔は風貌に合わず哀愁が漂っており、またどこか諦めたような表情を浮かべていた。
幼き頃から彼女を見守ってきていたヴァルケンハインは眉根を寄せ、苦々しく少女を見つめる。
レイチェルは世界に対し干渉してはならない存在であり、またその先を知る者だった。そして三大ユニットのツクヨミを所持している。この力を行使すれば【ふりだし】に戻らないで済むのかも知れない。だが彼女は知っていた。ツクヨミを行使して世界の滅亡を防ごうとも、タカマガハラシステムがその事象を許さないという事を。
「……だから、あの男を救ったというのですかな?」
慎重にヴァルケンハインが発言する。この事を話せばレイチェルの触れてはいけない何かに接触してしまうと判っていての言葉だった。しかし黒ウサギの少女はあっさりと肯定する。
「ええ。もしかしたら、変わるかもしれないから。あの愚鈍な男でも、この理不尽な世界を変えてくれそうだと思ったからよ」
「では、スサノオユニットを使ったあの男は――」
「……あの傲慢な男なら、口汚い下僕を更正させられると思ったから――と、いう回答じゃ駄目かしら?」
墓標に背を見せ、レイチェルは屋敷のある方へと歩き出した途端、追うようにしてヴァルケンハインも続いた。
彼女の心を表すかのように、風がざあっと吹きすさび赤い花びらと芳香な香りを闇へ散らす。
黙って歩く当主に向かって再びヴァルケンハインが口を開く。
「しかしあの男は現在進行形で歴史を繰り返しています。それでもレイチェル様は彼を信じるのですか?」
「…………わからないわ」
歩く足を止め、レイチェルは目を伏せる。
全て燃え尽き灰と化した建物、右腕を切断され瀕死状態の少年。顔も体も泥だらけで、見るに堪えない姿をしていた。醜く弱い、愚鈍な人間。少年は今にも命の灯火が消えそうだというのに、誰かの名前を呟き泣いていた。
周辺は恐ろしいくらい魔素に満ちあふれ、さすがのレイチェルも呼吸困難になるのではと思うくらい悲惨な現場だった。
――わからないわ。だって、愚かで愚かで見苦しかった。ただ、それだけよ。
見苦しいのに、何故少年を救おうとしたのか。
これも事象事項だというのかしら? と、自嘲気味に笑うしかない。
「もうこの話は終わりよ、ヴァルケンハイン。それ以上私に質問してごらんなさい? あなたでもお仕置きする必要があるわ」
「ははっ、レイチェル様。申し訳ございませぬ」
世界は変化する事を拒むだろう。だが、あの少年――ラグナなら変えてくれるだろうという希望がある。
そして世界の抗体であるジン。彼もまた確変をもたらす存在であってほしいと願う。
いや、想定外の人物が飽き飽きする時間軸を狂わせる事になるかも知れない。
そんな事はレイチェルにとって、興味の無い事例に等しかった。何故なら手出しが出来ず見ることしか出来ないからだ。
だから――――
「見苦しくてしょうがなかったから、手を差し伸べてしまったのよ……」
どこか悲しげに、消えるような掠れた声で呟いた。
【了(2012/06/23)】
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