先を急ごうとする太公望を、劉備が呼び止める。
何事かと思いつつ、話を聞いて驚いた。
「太公望殿。すまないが民が体調を崩してしまった。今日はこの辺にしておかないか?」
…………。
太公望は何も言わずに、動作だけで承諾した。そして次の日もまた、先を急ごうと歩いていたら呼び止められた。
「太公望殿。将も疲弊してきている、今日はこの辺で休まないか?」
太公望の眉間の皺が二本、三本と増えていき、やがて静かにぶちぎれた。
人間との譲り合い・心
「全く……!!」
太公望はやり場のない怒りを、道ばたに転がっている石にぶつけた。石はそのまま遠くへと飛んでいく。
怒りが収まらない仙人は、息を荒げながら向きを変える。
「やはり人間など無能の塊に過ぎぬ! こうも急いでいるというのに、何故あんなにのんびりと出来るのだ!」
こうしている間にも、宿敵・妲己は遠呂智復活の為に奔走し続けているというのに。かくいう太公望はというと、彼らを利用する為に、劉備軍に付き添ってはいたものの、進行があまりにも遅くイライラしていた。
そんな太公望をよそに、劉備は特に気にした様子もない。慌ててはいるようだったが。
人の気持ちも知らずにと、更に太公望は不満を募らせていった。
一通り怒りを抑えたのち、太公望は劉備のいる幕舎へと向かって歩いていった。
「劉備将軍」
「ああ、太公望殿」
呑気に夫人と茶でも飲んでいるかと思ってやって来たが、盤上で地図を眺めていたのを見て、太公望は少しだけ安心した。そして話を切り出す。
「貴公はいつ軍を動かすのだ? もう二日もこの地に留まっているではないか。その調子で遠呂智討伐を謳うのか? ククッ、なんとまあ大した自信よ」
嫌みたっぷりに言うが、劉備には効かないみたいだ。
面白くないと、太公望は心の中で舌打ちをした。
「いや、ただ留まっている訳ではない。敵の様子を伺うのも立派な戦術だ。それに兵を無駄に失わせるわけにもいかぬ。かといって頻繁に出撃させても、兵の不満や疲労を煽るだけだ」
人間には効果てきめんの言葉だろうが、太公望にとっては逆に怒りを煽るものとなっていた。
二日も休めば十分だろうとすら思った。だがそれを、口に出して言うほどの元気は残されていない。大きな溜め息をはくだけに留まった。
「……もうよい……。私一人で目狐と魔王を倒しにいった方がましだ」
「た、太公望殿!? それは危険です!」
「私は人の子などより丈夫に出来ている。心配無用だ」
全て言い終わってから、我ながら子供の我が侭みたいだなと太公望は自嘲する。そのような行動を滅多に起こした事がないのになと思った。人界に来てから、毒気にやられたのかも知れない。
強気にでた仙人の言葉に、人間は音を上げる事はなく、逆に立ちはだかってきた。
「駄目だ! 太公望殿は私たちの仲間だ!」
「……はて、私は仲間などと認めた覚えはないのだが」
「あなたが仲間でないと思っても、私にとっては立派な戦友だ!」
なんという屁理屈だ。
もはや怒りよりも呆れが、太公望の思考を先行していた。
「これこれ坊主。あまり劉玄徳公を困らせてはならぬぞ?」
返す言葉に迷っている時だった。
見かねた左慈が、何処からともなく表れて口を挟んだ。
「左慈殿」
「貴公には関係あらぬ。これは私と劉備将軍の問題だ」
太公望がそう突っぱねると、左慈は呆れたように唸り、劉備にこう伝えた。
「大徳よ、申し訳ない。しかし見捨てなさるな。必ずやこの者は役に立つであろう」
「だが扱い方を知らぬようでは、私の知謀は発揮出来ぬぞ?」
「坊主は黙っておれ!」
「…………」
劉備は大きな声で笑いながら、大丈夫だと言った。
「安心してくれ太公望殿。明日遠呂智兵の拠点地を攻めるつもりでいる」
「ほお……」
「そこに妲己がいるとの情報もある」
「……承知した」
今まで黙っていたのは、このためだったのか? と思うようになった。
劉備は慎重なのだなと太公望は思う事にし、この場を退く事にした。……左慈にも怒られた事だし、あまり関わりたくないというのが本音だが。
横で左慈がくっくっと、袖で顔を隠し笑っている。若干、負けたような気持ちになってモヤモヤするのは気のせいではない。
その後太公望は近くの川辺へ行き、月が昇る頃まで釣りをしていた。
それから三日後。
人界へ降りて更に悪知恵をつけた妲己は、劉備たちの追撃を拡散して、とうに逃げてしまったという報告がきた。
そこにいた伊達政宗という男が一言、こう言った。
「ふんっ! 太公望とやらも大した奴ではないな! やはり、遠呂智についていくのが吉だとでたわ!」
太公望の心の中で、何かがまた切れた。
「くそっ! 人間のくせして姑息な知恵を……っ!! 妲己よりも劣ると言うのか、あの人の子は……っ!」
孫尚香によって、石に当たる太公望の姿が目撃された。
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08/12/12…初出
09/01/12…加筆修正