「女カ殿ーっ!」

 背面から自分の名前を呼ぶ声に気付き、女カが振り返ると赤髪の少女がこちらに向かって駆け寄ってきていた。
 女カは何事かと思い少しばかり警戒する。だがその警戒心も、無邪気な少女の表情によって砕かれていくのを感じた。
 少女の名前は明智珠――、洗礼名ガラシャ。南蛮人の書物によると『聡明な子』という意味合いを持つらしい。その名の通り、ガラシャは活発で明るく可愛らしい少女。女カには『純粋無垢な子』として映っていた。
「どうしたのだ? ガラシャ」
「うむ、女カ殿について色々と知りたいのじゃ!」
「わ、私に……?」
 突然の事に女カはやや目を見開き戸惑うが、ガラシャは大きく頭を縦に振った。
「女カ殿は仙人だと、父上から教えてもらった!」
「間違いはないが」
「では女カ殿はどのような事をしているのじゃ?」
 どのような事、という言葉が判らず、女カは首を傾げるとガラシャは一段と目の輝きを放って話しかけてくる。






      隠されし過去、進むべき現在(いま)






 それから数十分時間が経った。
 ガラシャからの質問や疑問は尽きることなく女カへ向けられる。
「…………といった感じだ」
「おお! 仙界とは誠に不思議な世界なのじゃな!」
 ポンッと手の平を合わせてガラシャは感心し何度も頷いた。その姿を見て、女カはくすっと口元を緩めた。
「どうしたのじゃ? 女カ殿」
 ガラシャは不思議そうな表情を浮かべながら、女カの顔を下から覗きこんだ。
「すまない。お主は好奇心が強いなと思ってな」
「わらわは世を沢山見たいのじゃ! だからこうして話を聞くのも勉強の内なのじゃ」
 女カはガラシャの頭を撫でながら、消えかかりそうな声でひっそりと呟く。
「……、私が話している事全てが真実ではない……」
「それはどういう意味じゃ? 教えよ」
「隠している真実があるとしたら?」
 その言葉を発した時の女カの目は、何処か物悲しげであった。他人の深い事情にまで入り込んではいけないと、父・光秀から教えてもらった。しかしガラシャの直感だが、女カの苦しみや哀しみを知っておいた方が良いような気がしたのだ。偉い立場の中、きっと親しい人にも言えないものがあるはず……。重い空気が漂う中、ガラシャがきりこんだ。
「女カ殿、わらわの事ダチだと思ってくれるか?」
「だち……?」
 聞いた事のない単語に、女カは答えを求めた。
「うーん……、ダチはダチなのじゃ!」
 まるで答えになっていないような返事が返ってきたが、女カが浮かべる微笑みは優しさに溢れていた。
「うむ……。私とお主はダチかも知れぬな」
「なら決まりじゃ!」
 白い手袋に包まれた人差し指が、真っ直ぐに女カに向けられる。何が決まったのか判らない、それよりも話が見えない女カは再び首を傾げた。
「何故決まりなのだ?」
「ダチが困っている時は助ける。孫に教えてもらった事じゃ」
「いや……、私は困ってなどいないが」
「まことかぁ〜?」
 ガラシャは踵を返し、そのまま駆け出していった。腕を伸ばして拳を突き出し、無垢な笑みを残して……。
 その場に取り残される形となった女カは、暫くの間同じ姿勢を保ったまま遠くを見つめていた。
「私が起こしてしまった汚点を、自らの五感で調べるのか……。本当に純な子だ」
 だがそれを知ってしまった時、ガラシャはどのような目で自分自身を見るだろうか? 軽蔑の目か、嫌悪の目か。もうそのような事には慣れている、そう思い込むしか出来なかった。
 不安を胸に抱えたまま、女カはこの場所で少女の帰りを待つ事にした。
 どのような結果が待っていようと――――。




「まずは同じ仙人である太公望殿と伏犠殿に聞いてみるとするかのう」

 実のところ、ガラシャは自分の足で調べるというのが少々苦手だ。自分よりも年上、知恵のある者に片っ端から聞いていくというのが、彼女のスタイルでもある。あれ以上女カに聞き出そうとしても、恐らく口を開かないだろうというのがガラシャの答えであった。出来る限り真実が知りたい、偽り続けてその場をやり過ごす事が出来たとしても、時間が経てば脆く皮は剥がれていく――。そういう風に出来ているのだったら、最初から真実を知り、受け止め、それをどうするかを考えていく方が良いのではないかと思うのだ。――――女カは、起こしてしまった事実から目を背けている。それはどうも歯がゆい事だった。

 碧色の双眸に飛び込んできたのは、石田三成に仕える島左近だった。
 確か彼は伏犠と親しかった筈。ガラシャは左近を呼び止める。
「島殿!」
「おや……、貴方は確か明智殿の……」
 振り返った左近はガラシャの姿に驚いた感じだったが、次第にいつもの調子で接し始めた。
「うむ、娘じゃ」
「で、その娘さんがこんな野暮ったい野郎に何か御用ですかい?」
「伏犠殿が何処におるか教えて欲しいのじゃ」
 突然ですねと呟き、左近は苦笑する。
「伏犠さんならさっき話し込んできたところだ。そう遠くへいっちゃあいないだろう」
「判ったのじゃ。島殿、感謝致しまする!」
 左近がやって来た方向へ走り出した時、後ろから声をかけられガラシャはくるりと振り返った。
「どうかしたんですか? 明智殿の娘さん」
「ダチを助けるのじゃ。わらわは急いでいるので失礼しまする」
 そう言いお辞儀をすると、赤髪の少女の姿は小さくなっていった。左近は困った表情をしながら頭を掻く。
「やれやれ……。最近のお嬢さんは元気がいいねぇ〜」


「さて、後は……――」
 荒れ果てた地を妖術で回復させると、伏犠は額から溢れる汗を拭う。
 遠呂智との戦いで、破壊する筈ではない場所まで傷を付けてしまった。ある程度の事は人間の力で復興出来るが、細かい部分までは復元する事は出来ない。その部分だけでもと思い、伏犠は動いていた。
「伏犠殿ーっ!」
「む?」
 光秀の娘じゃったかの、と言い、手を振ってこちらへ向かってくるガラシャに手を振り返す。
「どうしたのじゃ? わしに何か用かの?」
 走ってきたため息を乱しているガラシャにそう語りかけると、にこりと笑って頷いた。
「女カ殿について色々聞きたいのじゃ」
「女カについて……か?」
 珍しい事もあるものだと伏犠は思った。
 女カは人と接する事を滅多にしない女である。それはプライドなのか仙人故の堅さなのかは計り知れない。だが今は違う。ここにガラシャが来て、女カの事を知ろうとしている。ただの予想に過ぎないが、女カと接したからこそ居るのだろう……と。
「わしに答えられる範囲ならよかろう」
「うむ。女カ殿は何か隠してはおらぬか……?」
「隠す?」
「仙界の話を聞いておったのじゃが、女カ殿は時折悲しそうな顔をする。何かあったのかと思って」
 勘が鋭い娘だと伏犠は思った。しかし、これを話したところで女カになんの得があるのか? 自然と言葉に詰まってしまう。
「教えて欲しいのじゃ、伏犠殿! 女カ殿とわらわはダチじゃ!」
「お嬢さん。この世にはな、知らない方がいい事だってあるのじゃよ?」
「でもっ……! わらわは知りたい! それらも全てひっくるめて世を知りたいのじゃ!!」

「そこまでの覚悟があるのなら、教えてあげてもいいのではないか? 伏犠よ」

 大木(たいぼく)から声が聞こえ、伏犠とガラシャは木に目を向けた。
 その後ろから白髪の若い青年が現れた。仙界の切れ者・太公望である。年は若いが頭の回転が速く、彼の張り巡らせる策はよっぽどの事が起こらない限り成功する。外した場合でも瞬時に次へ移れる行動力もあるのだが、自信過剰で付き合いにくい人柄でもあった。

「何じゃ、坊主ではないか。相変わらずな登場の仕方だな」
 伏犠は豪快に笑う。釣り竿のような宝貝をガラシャに向けて指し、太公望は忠告を促す。
「そこの娘。これから話す事は全て事実だ。夢物語でもない、何とも残酷で恨めしく、哀しい物語だ。……それでも知りたいのか?」
「覚悟はとうにしておる。お願いなのじゃ……聞かせて欲しいのじゃ!」
 拳を作り、力強くガラシャは言い放つ。太公望は呆れともとれる大きな息を吐き捨てた。
「では今から話そう。……よいな? 伏犠」
「しょうがない。いいだろう」




「女カは大罪を作った張本人である」
 開口一番、太公望はそう言い切った。伏犠がいくら何でもと咎めたが、太公望は一切を無視した。
「大罪って……何をしたのじゃ?」
「万死に値する、というものではないのじゃがな」
「己の手で創りだしてしまったのだよ。――――妲己をな」
 妲己、という言葉を耳にした時、ガラシャは双眸を大きく見開き『嘘じゃ!』と言ってしまう。しかし伏犠も太公望も否定をする事はなかった。
「信じられないかも知れぬが事実じゃよ。お嬢さん」
「何故そのような事をしたのじゃ……?」
「女カは仙界でも位の高い仙人であり、欠点を探す事すら難しい程の才色兼備、俗に人の子が言う神のような存在だ。だが一人の愚かな人間が、こともあろうに女カを人の子と同等に扱ってしまった。仙人という事を誇りに思っていた女カはその事に激怒した……。そして愚人の妻になる女にある魂を宿した」
 伏犠が重苦しい口を開いた。
「……それが、今の妲己なのじゃよ」
「女の本来の姿を魂魄され、代わりに妲己の元となる魂が捧げられた。女は人の子としてではなく、別の生き物となったという訳だ」
 つまりは、とガラシャが話に割って入ってきた。
「女カ殿は昔起こしてしまった罪を、己の手で解決しようとしたのじゃな」
「ははっ! お嬢さんは飲み込みが早くて凄いのぉ!」
 伏犠は笑ってガラシャと言葉を交わしているが、太公望は胸の引っかかりが気になり眉をひそめたままだった。
 人間が恐れていた遠呂智とその軍師をかっていた妲己。当然自分たちが居た世界を、突然訳もなく滅茶苦茶にされたのを憎むべきだと考えていた。――人の子は愚かだ、未だ太公望はその概念が抜けない。
 しかし目の前にいる娘は、呑気に笑っており『良かった』とまで言っている。何故そこまで思いやれるのかが謎だった。
「よし! 事情を知ったからには女カ殿に報告せねばならぬのじゃ!」
 元気よくお辞儀をし、ガラシャは元来た道を引き返していった。
「人の子とは、わからぬ……」
 呆れたと言わんばかりに、太公望は嫌味も含めて話す。
「可能性が無限というところが、人間の面白いところじゃろ坊主?」
「私はそこまで物好きではない」
 相変わらずじゃのうと言い、伏犠は太公望の頭を無造作に撫で回した。




「女カ殿! ずっとここにいらしたのか?」
 先程二人で会話していた場所に女カは座って待っていた。
「お帰り。どうだ? 何か収穫はあったか?」
「う、うむ……」
 ガラシャは伏犠と太公望から聞いた話を全て女カに打ち明けた。

「……という事なのじゃ」
「そうか、全て知ってしまったのだな……」
 どういう態度をとられようと、その時の女カは構わなかった。だがガラシャは意外な事を言ってきた。
「だが女カ殿は妲己も遠呂智も封印したではないか」
「っ……!?」
「起こしてしまった過去の過ちを、逃げずに己の手で解決したではないか。それはとても凄い事だとわらわは思うぞ?」
「私は……っ!」
 逃げていた。これ以上自分を見る目が冷えていかぬよう、関わらぬよう、聞かぬよう、言わぬようにしてきた。ガラシャが言う程、素晴らしいものではない。しかし――――
「女カ殿」
「何だ?」
「わらわとそなたはダチじゃ! 困った時は助け合い、楽しい時は共に楽しみ、悲しい時は共に悲しむ。だからもう抱え込まなくてもよいのだぞ」
「…………そうだな、もう抱え込む事ではないのかも知れぬ……。ありがとう、ガラシャ」
 その時ガラシャに向けられた女カの微笑みは、この世の物ではないくらい美しい笑みだった。
 ガラシャもまた、それに負けないくらい愛らしい微笑みを向けた。



「あのお嬢さんの力は半端なものじゃあなさそうじゃのう。これで女?の態度も変わっていくとよいのじゃが」
「まあ……、女カの男嫌いは治らないとは思うがな」
 伏犠と太公望はそう言い合いながら、笑い合っている女カとガラシャを見守っていた。




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 08/06/06








 wikipediaの封神演義の内容を少しふまえながら書いてみました。
 自分だけにしか判らないような内容ばかりですみません…。後の事は読んで下さった方のご想像にお任せします。
 ここまで読んで下さりありがとうございました!!