消エナイ記憶

消エナイ記憶

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 破壊神が作り上げた世界は歪《ひず》みを生み、崩壊へと向かっていく。
 足場は崩れていき、空にはいくつもの稲光が轟いている。紺色の雲は妖しく渦を巻いて高く高く舞い上がっていった。
 かぐやは素戔嗚の傍まで駆け寄り懇願する。

「素戔嗚様。今ならこの世界を二つに別け、皆様を元の場所へ戻すことが出来ます……!」
「…………」

 素戔嗚は割れていく空を仁王立ちのまま見つめたまま返事がない。その姿を見、かぐやは次第に焦燥感にとらわれていった。このままではこの世界は破滅し、素戔嗚もかぐやも人間も消えてしまう。いつの日かかぐやはそんな最悪の事態が恐ろしくなっていき、何とか人の子だけでも救えないかと模索するようになっていた。“お役目”という枠を超え、大切な仲間を救いたい――、そう心情が変化していったのだ。
 しかし素戔嗚は違うのだろうか?
 彼は人の子が滅んでも良いと考えているのだろうか? そう思ったとき、かぐやは目の奥が熱くなるのを感じた。

「……この巨大な歪みでは我一人では抑えきれぬやも知れぬ」

 その言葉を聞いてかぐやは驚いた。素戔嗚はたった一人で受け止めようとしているのかと。
 仙界の長に言葉を投げかけようとした時、後ろから聞き覚えのある少年の声が聞こえた。

「素戔嗚よ。何故我らの力を頼ろうとせぬのだ?」

 打神鞭を肩に載せながら、悠然と歩いて向かってくる人物がいる。その人物が目に入るとかぐやは嬉しさと不安が入り交じった声を上げ、会釈した。

「太公望様……!」
「素戔嗚。ここには仙人が三人もいるのだ。我らの力が結集すれば、人の子を救えるのではないのか?」
「…………」
「貴公一人で解決しようとしている事は認めよう。だが、それは時と場合による。……この歪みは貴公一人の力すらも太刀打ち出来ぬだろう。一番理解しているのは、本人ではないのかな?」
「…………」

 素戔嗚は沈黙をしたまま太公望を睨み続ける。

「素戔嗚、いい加減つまらぬ意地は張らぬ事だな」
「そうじゃそうじゃ。そうしている間にもこの世界は崩壊するぞ」

 伏犠と女カも現れ、素戔嗚の前に立った。

「素戔嗚様……!」

 懇願する目の色を増やし、かぐやは再度素戔嗚に近づき頭を下げる。

「我らよりも幼いかぐやが頭を下げてもなお、意地を張り通すのか?」

 氷のように冷たい女カの声色が響く。伏犠と太公望は黙して素戔嗚を見つめている。
 すると長く息をつき、素戔嗚は短く言葉を紡いだ。

「皆、我に力を貸せ……!!」
「フッ……、言われずとも貸し借りなしにやるのみよ」

 太公望が右手を掲げ、仙力を解放させる。続いてかぐやも倣って力を集中させた。

「全く……。坊やは一言言わぬと気が済まぬのか」

 呆れたように女カが呟き右腕を差し出す。伏犠はいつものように大きく笑うと、同じように腕を上げ力を解放させた。
 仙人の力が結集され、彼らの頭上には目映《まばゆ》い光が昇っていく。その光に抵抗するかのように、闇もまた色を深くさせていった。




「な……に、これ……?」

 ナタがその場所に居合わせた時は、光と闇が互いを主張しだした頃だった。
 人の子との戦いに敗れ気を失っていた彼は、何かに導かれるがままにこの場所に来た。素戔嗚を中心に数人円陣を組んでいる。一人は見覚えがある。弱いのに人の子に協力し、強靱な闇と戦っている少女だ。

「どうして……」

 皆、ナタよりも弱いはずなのに立ち向かおうとするのだろうか? あの男もそうだ。

「素戔嗚は……、知っているの……?」

 痛めた脚を引きずりながら、一歩一歩光の中心へと歩いて行く。
 近づく度ナタの脳裏に、不明なものが流れてくる。『素戔嗚がナタの前から消えるのではないか』という類のものだ。振り切ろうと頭を揺らすが、その“流れ”は消えてはくれず、逆に増大していった。

「いやだ……」

 ――素戔嗚と離れたくない。

「行かないで……、素戔嗚……!」

 ――ボクを一人にしないで。頼れるのはあなたしか居ないのに!

 ナタの想いとは反比例するように光が増していき、闇を呑み込もうとしている。
 小さな電流をいくつも走らせ、素戔嗚の元まで駆け寄った。身体は限界に近い状態だったが、今はそんなことを気にしていられる状況ではない。――消えてしまう。この世界が、素戔嗚が。

「素戔嗚!! 置いていかないで!!」
「……っ、ナタか!」
「いやだ……っ、ボクを、一人にしないで!!」

 あと少しで恩人に近づけるのに、脚の動きが鈍くなってきた。
 ナタは残っている力を振り絞り、素戔嗚の元まで近づいていく。

「ボクを……一人にしないで……っ。頼れるのは……素戔嗚……だけ……な………」

 光が眼前に広がり、それと同時にナタは意識を飛ばした。
 一つ心残りなのは、素戔嗚まで辿り着けなかった事だけだ。
 ……また、一人になってしまうのだろうか?




 次にナタが意識を取り戻すと、そこは何もない白の世界だった。
 先程までいた絶望感で満たされた空気とは違い、新鮮で身が引き締まるような緊張感が漂っている。
 夢を見ているのかと思ったが、身体の至る所が動かず確認できない。

「目を覚ましたか、ナタ」

 聞き覚えのある、頼もしく優しい声が耳に届く。自然とナタの口元が緩んだ。

「素戔嗚……! よかった……」

 素戔嗚は壊れかけたナタの身体を起こし、力強く頷いた。するとナタは小さく微笑んだ。

「ここは、どこなの?」
「仙界だ」

 仙界、と、反芻《はんすう》した。確か素戔嗚が長を務めているという場所だ。そしてナタが作られたのもここ仙界。

「……あの世界はどうなったの?」
「二つに分解させ、人の子らは元の世界へと戻った」
「そう……」

 ではあの男も元の世界へと帰って行ったのだろう。ナタにとっては詮無きことのはずなのに、不思議な“流れ”が駆け巡る。ぼうっとしていたところ、突如素戔嗚に声をかけられた。

「ナタ。汝は何故《なにゆえ》そう感じたのだ?」
「えっ……?」
「……何故、“心配”をした」

 “心配”という言葉など、ナタは初めて聞いた。何度も復唱し、不思議そうに首を傾げ素戔嗚に訪ねる。

「素戔嗚はどうしてボクが“心配”したと思ったの?」
「…………」
「ボクね、素戔嗚が壊れちゃうのが嫌なんだ。だって恩人だし、いなくなっちゃったら、誰がボクを強化してくれるの?」
「…………ナタ」

 ――そうか、これが“心配”するという“気の流れ”なのか。
 どこか懐かしいが、左側がぎゅうと締め付けられるような感覚に陥る。あまりいい気分ではないとナタは思った。

「……あとね、もう、一人になりたくないって思った。よく判らないけど……ね」
「そうか……」
「これも死ぬ前のボクの記憶なのかな? ……こんな気持ち悪いもの、いらないよ……」

 ナタは目を伏せ、辛そうに呟いた。
 しかし素戔嗚だけは違う反応をしていた。
 ナタの身体を甦生させるとき、等価交換として生前の彼の記憶を全て消去させた。仙人にも備わっているはずの喜怒哀楽さえも消し去り、戦闘に特化した機械人間に仕立て上げたのだ。もうこの少年には感情は生まれない、罪悪感はあったが致し方ないと素戔嗚は考えるようにしていたのだが、ここで一つの希望の光が見えてきた。
 ナタが自分の中に生まれつつある“感情”に気付き始めているという事だ。
 既に諦めていたはずなのに、一筋の光が見える。その事に素戔嗚は嬉しくなった。

「……それで、よいのだ。ナタ」
「素戔嗚?」

 歓喜を表すように、素戔嗚は何度もナタの頭を撫で回した。くすぐったそうにされるがままになるナタが、愛おしく感じる。

「ナタ、今以上に強くなりたいと願うか?」
「当たり前だよ。ボクが一番強いんだから」
「ならば我から離れ、太一真人という仙人の元へ行くがよい」
「それって……修行? その太一真人っていう人、ボクより強いの?」
「ああ。おそらくは……な」

 強くなりたい一心で、ナタは一つ返事で素戔嗚から離れ修行することを望んだ。

「うむ。では、太一真人の元へ行くぞ、ナタ」
「うん!」

 素戔嗚におんぶされる形で、ナタと素戔嗚はその場を立ち去っていった。






=了=

12/02/03
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