託される想い






 西軍にとって最悪の事態が起こった。
 宇喜多秀家の家臣・明石全登が血相を変えて馬に乗ってきた。

「で、伝令っ! 秀家様、今すぐお逃げ下さいませ!!」
「逃げろとはどういう事じゃ! 他の者も奮戦しとるというに!」
「大谷隊が小早川隊により壊滅! 四方八方敵だらけで御座いますっ!」
「何じゃと……!?」

 秀家はにわかにその伝令を信じられずにいた。
 西軍では一番か二番目に兵士の数が多かった小早川が、東軍に寝返り更に多数の隊が味方を攻撃しているという。秀家は聞こえるように舌打ちを一つし、地団駄を踏んだ。

「おのれ小早川め……、秀吉様の恩恵すら忘れたか!」

 捨てられたも同然の待遇を受けたが、息子同然に可愛がってもらっただろうにと付け加えた。

「秀家様。今ならこの戦場から逃げられます」
「馬鹿め! 血迷うたか明石! ここから離れれば、北にいる小西殿はどうなる!」
「ですが……っ!」

 明石の言い分も判ってはいた。しかし、采配を振るっている石田三成はどうなるのか。ここに留まるように言ったのも三成だ。命令無視するわけにもいかない。
 ここを離れたら、三成自身が危険な目に遭ってしまうからだ。

「危なくなれば、石田殿だって離れますよ」
「石田三成は、そのような男ではない」

 自身に危険が迫ろうとも、バカな性格だから無茶してでも仲間を助けるだろう。それに三成は秀家や行長を信じている。それに、吉継だってそうだ。なのに一人だけ逃げようとするのか? 秀家は首を左右に振った。

「わしは逃げぬ……。たとえどのような劣勢になったとて、小早川の裏切り者には三成のところまで行かせぬ!!」
「秀家様……」
「逃げるならお主一人逃げればよい。わしの分まで長く生きろ」

 散々秀家に振り回されてきた明石だったが、何よりも秀家(あるじ)の想いを尊重してきた。この真っ直ぐな心意気と、仲間を思う気持ちに惹かれたのだ。ここで明石だけが尻尾を巻いて逃げるなど出来ない。
 彼の中で何かが切れた。

「いいえ。秀家様を置いて行く事なんて出来ません! 私も残るまでです」
「明石……」
「私はあなた様について行くと決めたのです。なら、死地だろうとどこまでも共に参ります!」

 秀家は「わしは馬鹿な家臣を持ったものだ」と言い、困ったように眉間を寄せた。
 しかし、目元は笑っており口調は優しかった。

「明石。このまま小早川を追い返すぞ!」
「承知しました!」




 状況は更に悪化した。
 北の小西隊が投降したという伝令が届く。事実上の壊滅だ。更に小早川隊の勢いは増し、宇喜多隊だけでは抑えられない状況になっていく。

「くっ……! 何ていう勢い……っ!」

 次々と兵を失っていく絶望的な状況でも、秀家は必死になって食い止めていた。指揮官と認めた石田三成の為に。

「皆ーっ! 食い止めろーっ!! 時間を稼ぐのじゃあ!!」

 数人が鬨を上げた。
 明石は何とかして己を奮い立たせていたが、とうとう限界に近づいてきた。
 人数が圧倒的に違いすぎる。このままでは秀家を討ち取らされてしまう。
 宇喜多秀家だけでも助けたい。彼に忠誠を誓った家臣は、思いも寄らぬ行動に打って出た。


「秀家様、――御免!」
「っ! 何を――――っ」


 鈍い打撃音が骨に伝わり、脳天に響く。目の前が一瞬にして白から黒へと変わっていった。
 何が起こったのか理解する暇もなく、秀家はその場に膝をついた。蹄の音が近くなり、誰かに体を持ち上げられた。ようやく頭が回転する頃には、秀家は馬の背に乗っていた。

「くっ……、明石、何をする……っ! わしはまだ……っ」
「秀家様は生きて下さい。あなた様は宇喜多家の象徴です、失うわけには参りませぬ」
「ならぬ……っ、ならぬぞ明石……!」
「私なら大丈夫です。さ、早くここから撤退して下さい」

 明石が鞭を打つと、馬が鼻を鳴らし駆け始めようとした。秀家は馬を制そうとするが、体が思うように動かなく上手く慣らせない。そうしている内に馬は走り出してしまった。

「明石……、明石ーーっ!!」
「さよなら……秀家様……。私は幸せでした」

 そう言って明石全登は槍を構えた。
 まだ秀家の声が響く。多分顔を見たら泣いてしまう。明石は振り返らずに敵に立ち向かっていった。




 慶長五年(一六〇〇)、関ヶ原。
 小早川秀秋の寝返りによって西軍は大きな転機を迎えた。
 中央の防御をしていた三成の親友・大谷吉継は討ち死にし、小西行長は投降し東軍に捕らえられた。
 宇喜多秀家の家臣であり最大の理解者・明石全登もまた、この関ヶ原に散っていった一人でもある。

 その後の宇喜多秀家は、戦場から逃げ延び、明暦元年(一六五五)十一月まで生きたという。
 噂によると明石全登は関ヶ原の合戦以降も生き延び、大阪の陣にて活躍したという話もある。一つ言えるのはあの秋以降、秀家と明石は顔を合わせていないという事だった。
 秀家は天守から町を見下ろしながらこう思った。
 もし明石全登が生きているのならば、またあの時のように振り回してやろう、と……。
 そして変わらず、笑いあいたいと思った。





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 08/12/06…初出
 08/12/31…加筆修正