意地とやきもち






「――――そういう訳だ。頼んだぞ、はつ」
「承知しました」

 高虎は主・徳川家康と対峙する敵である、石田三成の動向を調べようと、彼の屋敷に忍を放つ事を決めるとその任務をくのいち・はつに命じた。女なら多少なり油断するだろうという魂胆からだった。

「これは家康殿の行方を決める重大な任務だ。気を抜くな」
「……はい」

 高虎の脳裏には、はつに対する不安要素も残っていた。それは、はつの心の優しさからくる『迷い』と『情け』。常に忍は迷ってはならない。ましてや相手に情けをかける事などしてはいけない。だが、はつはそれをいつまで経っても捨てる事が出来ないのだ。もし、高虎が石田三成を殺せと命じても、三成に同情してしまってはもともこうもない。念のため高虎は言葉を発した。

「はつ、言っておくが石田三成には情け無用だ。奴は敵だ。奴さえ死ねば、大きな戦を起こさないで済むんだ」
「…………」
「お前は忍のくせして優しすぎる。いいか? 奴は徳川家康殿にとって邪魔な存在だ。とっとと消えてくれねぇとたまんねぇんだ」
「……もし」

 横目で見たはつの表情は、どこか苦しそうだった。違和感を覚えつつ、高虎は耳を傾けた。

「……もし、石田三成を殺せないと言ったら……」

 声を出す前に、高虎の手がはつの顎を覆うように掴まえられていた。その手には力が込められており、じりじりとはつの精神を追い込んでいくようだった。
 高虎の表情を全て見る事は出来なかったが、元々鋭い眼光が更に鋭く厳しいものになっており、殺気すら感じられる。
 はつは息をする事も忘れて、ただ体を震わせる事しかできなかった。

「その言葉……二度と口にするんじゃねぇよ。忍は主の命令に従っていればいい、それだけだ!」
「も、申し訳ございま……せ……んっ!」

 顎から手を離し、高虎ははつに向けて冷たい視線を送るに留まった。
 カタカタとはつの細い肩が震えていたが、見てみないふりをする。心の奥がズキリと痛む。
 なぜこんなに苦しくなるのか高虎にはよく判らなかった。ただ、はつが三成に情けをかけようとしている態度に、無性に腹立たしく感じるのだった。

「随時詳細に報告しろ。それと、己の身の安全が危うくなったら…………、その場から離れろ」
「はい……」

 彼女の身を案じる声をかけても、高虎の罪悪感は拭えるはずはない。はつだって怯えた目でぼんやりとこちらを見ているだけだった。

「それでは、失礼します。必ずや……藤堂様のご期待に添えてみせます……」
「っ……」

 そして静かに襖が閉じられた。
 はつが部屋から出てからしばらくの後、遠くから女性の嗚咽が聞こえてきた。それを聞くと、高虎は机に肘をついて頭を抱え込み、両目をぐっと強く閉じる。

「泣くなよ、はつ。ったく……、何であいつが泣くと俺がこんなに苦しくなんだよ。全く関係ない事なのによぉ……」

 あの震えた細い肩を、いつか自分の手で慰められるようになりたい――。高虎はふとそんな事を考えた。
 その為にも早くこの状態から抜け出さなければならない。
 泣いているはつではなく、笑っているはつの顔が見たい。なぜかそう思えてならないのだ――――




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 08/10/30…初出
 08/12/26…加筆修正