「どうして……っ」

 はつの体に重みが加わる。そして、絶え間なく赤い血が流れてきた。
 本来ならはつが敵の攻撃を受けるはずだった。
 しかし彼女はどこも怪我をしていない。代わりに攻撃を受けたのは、藤堂高虎だったからだ。

「はつ……、怪我、してねぇか……?」

 いつもと変わらない口調で、はつの心配をしてきた。はつは頭を左右に振って、声にならない声を、何度も何度も発しようとしたが、上手く出ない。そうしている間にも、高虎の腹からは大量の血が流れ出ていく。

「高虎様……、どうして私を?」

 忍は主の為ならば、命を捨てる覚悟でいる。それなのに今では立場が逆ではないか。何故傷付かずに済むはずの高虎が、敵の攻撃を受けてしまっているのか。答えは簡単、高虎がはつをかばったのだ。

「ボーっとしているお前が悪い……」
「高虎様も忍の掟をご存じのはずです! 私など、見捨てても良かったのに……っ」

 自分さえかばわなければ、高虎は重傷を負わずに済んだのだ。
 はつの声は、まともに聞き取れないくらい嗚咽まじりになっていた。頭巾で覆っている顔は、涙でグシャグシャで見るに耐えぬものだった。
 高虎は「ばーか」と言い、はつの頬にそっと手を添える。はつの双眸が、驚きで大きくなった。

「見捨てる事なんて出来ねぇよ……、なんでか知らねぇが…、放っておけないんだよ……」

 その言葉ははつに語りかけている訳でなく、どこか遠くに問いかけているかのようだった。

「放ってもかまいません! 私は……っ、藤堂家の忍。捨て駒で御座います!」
「莫迦な事言うんじゃねぇよ!」

 そう大きな声を上げ、高虎は上体を起こした。
 出血ほど傷はそう深くはないらしい。だが、まだ青い顔をしたまま、はつを見つめている。
 高虎は思い切りはつの両頬をつまみ上げ、そのまま横へと引っ張った。

「ひゃ……っ!」
「俺はなぁ、一度たりだってお前を駒と思った事なんてねぇよ!」

 怪我をしているのに、どこからこの力が出てくるのだろうかとはつは思った。するとまた体に重みが増した。先程まで正面に座っていた高虎の体が、はつにもたれ掛かるようにして倒れてきたのだ。

「高虎様っ!?」
「大丈夫だ……、ただの貧血だ」
「大きな怪我をされているのです、ご自愛下さい」
「あいにく、そんな暇は持て余してないんでね……」


 ――なぜここまで無理をするのか。


「いいえ。少しでも休んでもらいますからね!」
「ちょっ、はつ……!」

 無理やり高虎を横にし、膝の上に彼の頭を載せた。
 最初は驚きと戸惑いを隠さなかった高虎だったが、すぐに諦めてはつの言うとおりにした。
 目の前に広がる空を眺めると、朝出てきた時より黒雲がはれた気がする。もう雨は降らぬだろう。

「……で、いつまでこうしてりゃあいいんだ?」
「傷の手当てをすませて、高虎様の顔色がよくなるまでです」

 そっと、額にはつの手が触れる。この手で何人もの命を奪ってきたとは思えないほど、華奢で柔らかい手の平だった。
 高虎は闇の世界にはつを引き入れた事を、少しだけ後悔する。

「ずーっとこうしていたいな……」
「なっ!」
「ばーか、冗談だ」
「…………」

 しかし冗談だとは言い切れない。
 顔色がよくなってでも、はつとこうしていたいと思ったからだ。だが、それは夢で終わる。今は徳川家康の力となるため、奔走しなければならないからだ。ゆっくりと休んではいられない。
 そんな中でもはつは、無垢な表情で高虎を見つめていた。

「早く、戦のない世にしねぇとな……」
「そうですね」
「そうすれば……――」
「そうすれば……?」
「……何でもない。んじゃ、少し寝る」
「ええっ、教えて下さらないのですか!?」

 納得いなかいようなはつの声を聞きながら、高虎は双眸を閉じ、一時の眠りについた。



 戦のない世にしねぇとな……

 ――――そうすれば、ずっとはつと居られるのにな……





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