誰しもが寝静まった深夜。吉継のいつもと違う鋭い声が、自室に響き渡った。

「誰かいるのか」

 闇が動く。
 その闇には、一筋の銀色の光が見えた。――刀だ。
 低い、押し殺した笑い声が闇全体に広がる。吉継は耳を澄ませ、身動き一つしなかった。

「よく判ったな、大谷刑部」
「…………藤堂高虎、だな。人の邸に忍び込んでくるとは、大層な事をする」
「へっ、褒め言葉として受け取っておくぜ。刑部」

 吉継の首筋に、金属特有の冷たさを感じた。心の中で舌打ちをするほかなかった。最悪の状況だ。
 高虎の手に力が加われば、首をかき斬られ、部屋の中は血の海になるだろう。下手な動きは出来ない。

「私を殺しても得はせぬぞ」

 今、三成に説得出来るのは吉継しかいない。
 もし吉継が殺されでもしたら、一番黙っていないのが三成だ。それにもし徳川方に暗殺された、と知れば、事は大きくなる。もはや豊臣の意地ではなく、復讐の鬼と化してしまうだろう。
 それはこの男も知っているはずだ。なのになぜ、理解に苦しむ。

「殺しにきたってのは嘘。俺はアンタを説得しにきたんだ」
「……徳川に味方しろ、と?」

 確かに最初は徳川を支援していたが、三成が決起すると聞いてからは豊臣に与すると決めたのだ。その考えは変えられない。
 伝えようとすると、また独特の冷えが伝わった。

「ほお……。徳川家康は脅して諸大名を集めているのか?」
「おいおい、殿を悪く言わないでくれよ。これは俺の判断だ」
「なら尚更断りをいれないとな。私は豊臣に味方する」
「だってさぁ、考えてもみろよ。秀吉公がいない今、豊臣にいても未来はない。むしろ滅亡しか見えないね、俺は」

 声の調子は変わらないのに、威圧感がある。刃から伝わる冷たさから、高虎の殺意が伝わってくるようだった。

「家康殿が言っていたぜ。大谷刑部みたいな人材を逃すのは惜しい、この乱世から消えるのは勿体ないってね」
「だから私を出し抜こうというのか?」
「アンタだって命は惜しいだろう? だったら……こっちに来いよ」

 吉継は首筋に当てられた刀を手で払いのけた。
 ――いや、握ったのだ。
 右手からは鮮血が止めどなくあふれ出し、巻いていた白い包帯を一瞬にして赤に染め上げた。
 いきなりの事に高虎は驚き、短刀を手放し、声を荒げた。

「……っ!? 何やってんだ、テメェ!」
「お前に斬られるくらいなら、自ら刀に向かっていった方がいいと思ってね」
「だからって!」

 吉継は目を見開き、声のする方向へ顔を向ける。何も見えないはずだが、うろたえている高虎の姿が見えた気がした。更に高虎は狼狽する。

「私の命はもう長くはない。それにこの命、三成の為に使うと決めたのだ。……考えは変える事は無理だ」
「くっ」
「あと、今の声でここに人が集まるだろうな」

 高虎は舌打ちをして、慌てて外へと飛び出していった。最後にこう吐き捨てて。


「お前となら分かち合える気がしたんだけどな。残念だ」


 程なくして、吉継の部屋に人が集まってきた。

「吉継様! その手は!?」
「気にするな」

 どれくらい深く切れたのかはわからない。ただ熱く、じくじくと痛みが伝わってくる。その場、家臣にはやせ我慢で通したが、本当は脂汗が出るほど辛かった。手当てされている間も、表情を歪ませないようにと必死だった。

「一つ、頼みがある」
「はっ。何で御座いますか?」
「家康についている大名に注意を払ってくれ。特に、藤堂高虎と親しい者は、徹底的に」
「解りました」


 この夜の事は、三成には口にしなかった。





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