甘物貰受地固






 大喬が一人部屋で書物を読んでいると、遠くからバタバタと足音が聞こえてきた。何事かと思った大喬は視線を廊下の方へ向け、身を固まらせた。程なくして、バンッと勢いよく戸が開かれ、そこには妹の小喬が顔を真っ赤にして立っていた。
 大喬は目を丸くさせて

「しょ、小喬。どうしたの?」

 ……と、おそるおそる聞いてみると、小喬はたたみかけるように一気に話してきた。

「だーっ! お姉ちゃん聞いてよぉー。周瑜様ったら約束破ったんだから!! もーっサイテーっ!!」
「は……話が見えないわ、小喬。一体何があったの?」

 とは言ったものの、小喬の興奮は収まらない。しばらく大喬は小喬の一方的な愚痴に付き合うしかなかったのだ。
 数時間後、ようやく小喬が落ち着いたのを見計らい、大喬が再度質問をする。

「落ち着いた? 小喬。周瑜様と何があったの?」

 いじけるように頬を膨らまし、小喬が説明しだした。

「今日、周瑜様と一緒に出かける予定だったの。けどさ、急に軍議があるとか言い出しちゃって……。しかもここから離れた場所でやるから遅くなる、今日の約束はごめんって言って……。酷いよぉ……」
「うーん……」

 確か孫策も同じ事を言っていたなと大喬は思い出した。
 魏が攻めてくるという話が出てきて、早急に対策を立てなくてはならなくなったという。孫策の慌てぶりを見ている限りでは、本当に突然の事だったのだろう。

「でも、それはしょうがないんじゃないかしら? だって、周瑜様がいないと話や策だってまとまらないし。ここは小喬が引いた方がいいんじゃないかしら?」
「お姉ちゃんは何とも思わないの!? 孫策様と一緒にいられなくて!」

 いきなり話が孫策にふられた。大喬は一瞬、言葉に詰まった。

「そ、そりゃあ一緒に居たいけれど……。今はそれどころじゃないでしょ? ね、すぐ戻ってくるのだから、待ってましょう」

 姉に宥められ、小喬は小さく返事をした。




 軍議が終わり、孫策と周瑜は幕舎から外へ出る。
 藍色の空に散らばる星々を眺めながら、周瑜は誰に語りかけるでもなく、ポツリと呟いた。

「ああ、小喬怒っているだろうな」
「なぁに周瑜。何かヘマしたのか? 珍しい」

 それを聞いた孫策が、面白おかしくからかってきた。周瑜は目を閉じ、弧を描くように口元を緩ませて話す。

「今日約束をしていたのだ」
「はっはーん、こっちを優先しちまったから、小喬は怒っているとでも言うのか?」
「無論だ」

 一度小喬を怒らせたら、二日も三日も口をきいてくれない。
 これは周瑜にとって大きな問題だった。周りから変な目で見られるのはいいとして、お互い険悪な雰囲気で顔を合わせるなんて、正直気分がいいものではない。
 すると孫策がある提案をしてきた。

「機嫌直すんだったらよぉ…………」

 孫策は周瑜に耳打ちをし始める。
 しばらくすると、周瑜はうーんと唸るように声を出した。

「……本当にそれで直ればいいのだがな」

 大丈夫だって! と胸を張る孫策を横目に、周瑜は何とも不安な気持ちにさせられるのだった。




「ふんだっ! ぜーったいに今回ばかりは物もらっても機嫌直さないんだからっ」

 あれから小喬はというと、大喬の部屋に居座って一人演説モードに入っていた。困惑した表情を浮かべつつ、大喬は黙って妹の話を聞いている。……正直この状況がいつまでも続くと体がもたない。

(孫策様、周瑜様、早く帰ってきて下さい……)

 すると外がわっと騒がしくなった。恐らく孫策たちが帰ってきたのだろう。大喬はホッと胸を撫で下ろした。

「ほら小喬! 周瑜様が帰ってきたわよ!」
「……ぶー、迎えに行かなきゃだめぇ〜?」
「あ、当たり前でしょ!」

 渋る小喬の手を掴み、急ぎ足で迎えに行く。
 本当は大喬が早く孫策に逢いたかったのだけれど。


「おう、大喬! 今帰ったぜぇ」
「お帰りなさいませ、孫策様」

 やはり孫策の笑顔を見ると安心する。硬かった大喬の表情が軟らかくなっていく。一方隣にいる小喬は未だふくれっ面のままだ。

「小喬、今日は本当にすまなかった」
「…………」
「そうだ、土産を買ってきたぞ」
「…………」
「小喬の気に召すといいのだが……」

 そう言って取り出したのは、巷で人気のお菓子だった。甘い香りが袋から漏れていた。
 それを見るやいなや、小喬は目を輝かせ、声を上げる。

「周瑜様! それ、どうしたの?」
「小喬が気に入るかと思って買ってきただけだ。流石人気とあって、これ一つしかなかった」

 孫策に教えてもらったとは言えない。おそらく言ったら、また怒ってしまうだろう。
 だが、小喬は嬉しそうに目をきらきらさせてこちらを見ている。その姿に周瑜は目を細めた。

「うわぁーいっ! あたしこれを周瑜様と一緒に食べたかったの。それで今日約束したんだけど……、もう叶っちゃった! 周瑜様だーいすきっ!!」

 あまりにも早い展開に、大喬は「それでよかったの!?」と突っ込みたくてたまらなく、同時に体中の緊張がとけ力が抜けていく感覚におちいった。
 隣にいる孫策は顔を背けて、必死に笑いをこらえている。
 周瑜と小喬は腕を組みながら、その場を去っていった。

「おいおい、もう仲直りしちまったのか。小喬も単純だな」
「……ええ、本当に……」

 今までの苦労は何だったのだろうか?

「そうだ、大喬。お前にも土産を買ってきたんだ」

 そう言って袋から綺麗な絹の織物を取り上げた。大喬は嬉しさのあまり、「わあ」と甲高い声を上げる。

「孫策様……。有難う御座います!」
「大喬も食い物が良かったか?」
「いいえ、そんな……。私は孫策様の気持ちだけで十分です」
「へへっ、そうか!」


 こうして無事に小喬の機嫌も直り、夫婦水入らずの時間が始まろうとしていた――――




「周瑜様、今度は現地に行って食べようね!」

 口元に菓子を運びながら、強めの口調で小喬が言う。それに応えるように、周瑜も強く約束を交わした。

「ああ、約束だ」
「もーっ! 今度こそ本当なんだからね!」

 周瑜は笑いながら「本当だとも」と言い、小喬の頬に唇を落とした。






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 08/11/23…初出
 09/01/31…加筆修正