光秀が再び織田家へと足を運んだのは、肌寒くなってきた今頃だった。
 ガラシャが物心付く頃には、光秀は各地を巡る流浪の武士になっており、数ヶ月に一度顔を見せに帰ってくるか帰ってこないかを繰り返していた。ガラシャはそんな父親を、とても羨ましく思った。いつか父親のように各地を巡り、様々なものをこの目で見ていきたいと願うようになる。
 ガラシャは何度か光秀に旅をしたいとお願いをした事がある。だが、大事な一人娘を危ない目に遭わせたくないと思う父は、決してガラシャを遠くへ旅に出すという事はしなかった。
 いつしかガラシャは光秀に反抗していくようになる。


「それでは、行って参ります」
 お気を付けてと、家臣の者達が声を揃えて言う。馬の上に乗り光秀は家臣の頭を一通り見渡したあと、小さく息をはいた。
「ガラシャは……?」
 一人の女官が申し訳なさそうに喋り出す。
「申し訳御座いません光秀様。お嬢様にお顔だけでもと言ったのですが……」
 光秀は再び息をはき、仕方ないですねと小さく呟いた。
 ガラシャとのすれ違いが目立ち始めたのはいつ頃からだっただろう? 仕える主を捜して流浪の旅に出てからは、娘の我が侭も聞いていない。果てはもう嫌われているかも知れない。光秀の心境は複雑だった。
「それでは……。ガラシャを頼みました」
「分かりました」
 光秀は後ろ髪を引かれる思いを残しつつ、城を後にする。
 一方自室ではガラシャが窓の内から光秀の様子を見ていた。こちらも大きく息をはいて俯いている。
「父上は悪くないのに……、何故意地を張ってしまうのじゃ?」
 自分自身でも解っていた。このようなやり方では、いつまで経っても光秀に自分の考えを伝えられない事を。だがあまりにも反発してしまい、どうやって歩み寄ればいいのか方法を忘れている。
「父上……」
 何て言葉を発したらいいだろう? どんな顔して光秀の前に現れたらいいのだろう?
「わらわは城に篭もりっきりなぞ御免じゃ。もうこうなったら……!」
 そして光秀が城を出てから五日後、ガラシャは家出同然で出ていった。


 ガラシャは道中雑賀孫市という傭兵と出会い、半ば無理やり同行することになる。
「お嬢ちゃん、家族心配するんじゃないの?」
 鉄砲を肩に抱え、振り向かずに孫市はガラシャに語りかけた。ガラシャはそんな事はないと、やや強い口調で断言する。
「わらわは大丈夫じゃ! それよりもこの世を見て回りたいのじゃ!」
 孫市の方へ回り込み、手を合わせガラシャは声を弾ませた。どうしたものかという表情を浮かべる孫市。説得しても説得しても、全く聞く耳を持ってもらえない。この原動力は何処から来るものだか……と、呆れてしまう程。
 彼女の悪運が強いのか、はたまた強運の持ち主なのか、多々巡り会った修羅場を切り抜けてきてしまった。孫市と顔を合わせた時の第一声は『孫! やったのじゃ!』と、笑顔で手を大きく振る。
「本当に両親とか心配してねぇのか?」
「孫はしつこいのぉ〜。大丈夫じゃろう言っておるだろうに」
 頬を膨らまし、ガラシャは孫市に反発する。ご機嫌ななめの少女を宥めるように、孫市は次の話題に移った。
「いや、お嬢ちゃん見ている限り何処かの貴族のように見えるぜ?」
 ギクッと肩を上下させ、ガラシャの顔が引きつった。
「ま、孫の勘違いじゃ! わらわはごく一般の人じゃぞ?」
「ふぅーん……。ま、よっぽどいい所のお嬢さんなんだろうな」
 ガラシャはふと父・光秀の顔が浮かんだ。今勢力を奮っている織田信長の家臣の娘だと知ったら、孫市は自分の事を避けるだろうか? 少し胸の奥がぎゅうっと締め付けられる感じがした。話してしまったら旅が終わってしまうような気がしたので、これだけは言わないでおこうと心に決めた。
「だんだんと寒くなってきたなー」
 そういえばもう息が白い事に気付く。夜になると星が綺麗に輝いて見えるし、木の枝に枯れ葉は付いていないものが目立ってきた。足下に落ちていた落ち葉を拾い、ガラシャは幼い頃を思い出していた。


『父上ーっ! これをあげるのじゃ!』
 小さな手の平にのっかっていたのは、木の枝から外れた紅い紅葉。こぼれるくらい手にのせて、父に見せる。本人は得意げな表情。優しい父は頭を撫でてくれた。
『ありがとう、ガラシャ』
『父上。何故紅葉は紅くなるのじゃ?』
 光秀は少々困った顔をして、うーんと唸って考える。その間ガラシャはずっと『何故じゃ? 何故じゃ?』とはしゃいでいた。
『父にも詳しい事は解りませんが、おそらく……』
『何じゃ!? 父上っ』
 風が一気に吹きすさび、手元にあった紅い紅葉は空中へ舞う。それだけではなく、銀杏の葉やその他の落ち葉もクルクルと踊るようにして、一定の方向に飛んでいくのだが皆バラバラのところへ落ちていった。
『自分の成長した姿を見せたいのではないでしょうか?』
『成長した……姿?』
 光秀は微笑みながら頷いて話を続ける。
『紅葉(こうよう)というのは冬を越す為に、木々が準備する期間だと言われています。北から南へ、順々に巡り巡っていき、全て行き渡ったら本格的な冬が来るのですよ』
『ん〜……。解らぬのじゃ〜父上〜っ』
 ガラシャには難しかったですねと、光秀は笑って愛娘の頭を再び撫でる。
『木が生きているという証拠を、私たちの目に見えるように表しているんです。きっと……』
『ふぅ〜ん……。なるほどのぅ。のう、父上? わらわも紅葉のようになれるかのう?』
『えっ?』
『立派に成長して、父上の自慢の娘になるのじゃ!』
 それを聞いた光秀は、思わず笑ってしまった。ガラシャは頬を膨らませながら光秀の身体をポカポカ叩く。それを上手く制して、光秀は幼いガラシャを優しく抱きしめた。
『……なれますよ。きっと』
『うんっ!』


「ガラシャ……っ!」
 頭の中の声がやけにリアルである。不思議に思いながらも、ガラシャはぼうっと落ち葉を眺め続けていた。
「ここで何をしているのですっ。城に居るのではなかったのですか?!」
「何か……父上の声が生々しいのぅ……」
「父はここにいます」
 急いで上を向くと、仁王立ちして呆れた表情を浮かべている光秀の姿があった。ガラシャは血の気引きながら辺りを見渡す。孫市は傍にいないようだ。とりあえずホッと胸を撫で下ろす。
「ちちち、父上っ!? な、何故ここにおるのじゃ?!」
「それはこちらの台詞です。ガラシャこそ、どうしたのです?」
「え、えええ、えーっと……」
 家出してきたなんて言えない。言葉に詰まっていた時、光秀はもうよいですと、理由を聞くのを中断した。
「ガラシャ」
「はい……」
「帰る家は、あるんですからね。それだけは忘れないように……」
 その言葉は光秀なりの応援だった。
「父上もな……」
 ガラシャは心の奥にあった黒い霧が晴れたような、爽やかな気分になっていた。
 言葉はあまり交わせなくても、顔も合わせなくても、お互いの想いは通じ合っている。そう、信じてもいいのだと分かったから。
「父上。お願いがあるのじゃ……。聞いてくれるかのぅ?」
「何ですか?」
「は、恥ずかしいのじゃがな……、抱っこして欲しいのじゃ」
 幼い頃と変わらぬ微笑みで、光秀はこう言う。
「ええ、いいですよ。こっちへいらっしゃい……ガラシャ」
 風が吹きすさぶ。落ち葉が舞い踊る中、ガラシャの髪の毛に小さい紅葉がからまった。




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 07/12/25




 明智親子。年頃っぽく書いてみました。


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