大事な父と娘




「は〜っ、暇じゃのぅ……」

 天井に向かって、溜め息混じりにガラシャが呟いた。
 窓の外から溢れるのは、気持ちよさそうな太陽の日差し。遠くにある木の葉がゆっくりと左右に揺れている。
「来る日も来る日も勉強でつまらぬ」

 手に持っていた筆を弾くように机に投げ、そのまま頬杖をついた。
 毎日同じ事を繰り返す日々に、ガラシャは飽き始めていた。本当は父・光秀のように諸国を流浪し、己の信じる在るべき場所へ落ち着いてみたいとさえ思っている。しかし話したところで何もならない事くらいガラシャは知っていた。侍女達に止められ、出ていったとしても家臣達に連れ戻されるだろうし、何より一番猛反対する人物といえば光秀で間違いない。
 幼い頃、光秀に無理を言って体術を習わせてもらった。本当はガラシャ自身は父と同じく刀を使いたかったのだが……。これは危ないからといい、護身にもなると言う合気道を師範を付けてもらった。

 突然襖の先から物音がし、ガラシャは慌てて再び筆を手に取り机に向かった。
 すうっという掠れる音と共に、正座した侍女が現れた。
「姫様、はかどっておりますか?」
「も、もちろんじゃ! もう少しで終わるぞ!」
 上ずった声をしながらガラシャは言うと、それは宜しゅう御座いましたと侍女が柔らかく喋る。
「夕方過ぎ頃に、お父上様がお帰りになられますよ」
「まことか!?」
 顔を明るくさせて、ガラシャが嬉しそうに弾ませた。
「よし! そうと判れば早速父上を迎えにゆくのじゃ!」
「えっ?!」
 侍女が一瞬呆気にとられた表情を浮かべたが、すぐにガラシャの両肩を掴み懇願するような声色を出す。
「お待ち下さいませ!! 姫様に何かありましたら光秀様が……!」
「何を言うのじゃ。父上だって早うわらわに会いたいに違いないのじゃ」
「で、ですが、その途中でお怪我でもされたら……――――」
「心配無用じゃ! わらわは父上の娘ぞっ!」
 片目を瞑り、ガラシャは侍女の制止もきかずに部屋から飛び出していった。一人残された侍女は、畳に手をついてがっくりと肩を落としていた。
「姫様ったら……。あの落ち着きの無さが治れば、どれだけ仕える者が助かるか……」


 城の外へ出たガラシャは、まず馬を借りようと近くにいた兵卒に声をかける。
「のう、お主」
「こ、これは姫様! ここに何用で御座いますでしょうか?」
 兵卒は声の主がガラシャだと認識すると、深々と頭を下げて挨拶をした。頭を上げよと喋った後、間を置かずにガラシャは兵卒に尋ねる。
「空いている馬はいるか?」
「え? 馬です、か……?」
「そうじゃ。なるべく脚の早い馬がよい!」
 人差し指を真っ直ぐに立てて、笑顔でガラシャが言うと兵卒はただ苦笑いをしながら、後頭部を指で掻く。どう切り出そうかと声を詰まらせていると、後ろから侍女達の声が伝わってきた。ガラシャはびくりと肩を上下させ、一瞬だけ後ろを振り向き、急かすように口を走らせた。
「は、早う馬を寄越すのじゃ!」
「えっ? ええっ??」
 兵卒はガラシャと走り寄ってくる侍女を交互に見ながら、困り果てたように目を泳がせる。痺れを切らしたガラシャは、無理やり馬を奪ってそのまま駆け出してしまった。男が声かけようとした時には遅く、既に追い掛けても捕まらない距離まで行ってしまっていた。
「ひ、姫様……」
 がっくりと項垂れる侍女に対して、兵卒は更に追い打ちをかける言葉を発した。
「こ、困ったなぁ……。最近この辺りには賊が出るのに……」
 侍女は息を切らしながら切羽詰まった表情で聞き返す。だが答えは覆されず、その場にしゃがみ込んでしまった。
「どうしましょう……、姫様に何かあったら、光秀様に顔見せ出来ませぬ!」
「とにかく我らで追い掛けます故、城で待機していて下され!」
 使いの者達の心情を知らずに、ガラシャは一足も早く父親の姿を見る為に馬を走らせる。



 騎乗する事は滅多になかったが、見様見真似で乗ってみるとそう難しいものではなかった。味を占めたガラシャは、使いの者の目を盗んではこっそりと馬を走らせる練習をしていた。一走りして帰ってくると、城の中は慌ただしくなっており、彼女の姿を確認するやいなや全員揃って『は〜っ』と安堵のような、呆れたような息を漏らす。しかしそれで懲りるガラシャではないのが、彼女に仕える者達の悩みと胃痛の種だった。
 恐らく今頃、皆胃を痛めているに違いない――――。

「父上が戻って来られるのは久し振りなのじゃ!」
 馬を走らせて揺られながら、ガラシャは嬉しそうに風を切っていく。
 織田信長の家臣となって以来、光秀は各地を飛び回るくらい多忙な日々を過ごしており、妻・煕子や子供達ともろくに顔を合わせて話したりしていない。ガラシャは幼い頃、母・煕子に『父上はどうしていつも居らぬのじゃ?』と質問した事があった。その時母・煕子は『この乱世を良くする為に、信長様のお手伝いをしているのですよ』と優しく諭され、そして恥じることなく父を尊敬しなさいと頭を撫でながら話してくれた。それ以来、ガラシャは父・光秀を尊敬の念を抱いて後ろを眺めている。
「父上の土産話が楽しみじゃ!」
 その時、急に馬が鼻を鳴らし出し前脚を浮かせて興奮しだした。そのような事態に陥った事のなかったガラシャは、手綱から手を離してしまい、横から地面へと叩きつけられた。
「きゃっ!」
 慌てて馬の方へ目をやると、若干興奮は収まっていなかったが、数秒前と変わらない大人しい姿をしている。
「どうしたのじゃ? 一体……」
 そのまま正面へ視線を向けると、三・四人の荒々しい男達が仁王立ちでガラシャを見ていた。
「おいおい、随分育ちのいい女じゃねぇか」
「こりゃあ思う存分金を巻き上げられるなぁ!!」
 男達がゲラゲラ笑うのを不思議に思ったガラシャは、いつもの調子で問いただした。
「むむ? 何故お主らは笑っておるのじゃ? わらわが馬から落ちたからか?」
 すると一人の男が傑作だ、と言い更に声を大にして笑う。
「おいおい、相当の箱入りじゃねぇか。面白ぇ!」
「わらわは箱入りではない! 他の者達が世を教えてくれぬだけじゃ」
「……いや、それを箱入りっていうんだけど…………」
 たまらず賊の一人が突っ込むと、ガラシャはおおと声を上げてニコニコと笑い、礼を言った。
「なんか調子の狂う娘だなぁ……」
「うむ、良く言われるのじゃ!」
「だろうね……。他のヤツに頼むわ」
 親玉らしき大柄な男が、ガラシャの額に刀の先を突き付けて低声で話し始める。
「お嬢ちゃん。命が惜しくば、有り金全部置いていくんだな」
「むむ! お主達は賊であったのか!」
 他の面々が心の中で『今更気付いたのか!?』と、きょとんとしたガラシャにツッコミをいれた。
「ええい! 馬鹿にしやがって!!」
「父上が仰っておった。そういう事をするのは非道であるとな。心を改心させて立ち去るがよい!」
 人差し指を大柄男に向けて指し、強い口調で言い切った。
「こんの餓鬼……ッ!」
「ま、待て! わらわは何も準備はしておらぬ!」
 刀はそのままガラシャの顔を目がけて振られた――――
 ガラシャは庇うように腕を空中で交差させて、正面を守り目を瞑る。

 金属同士が強く当たるような音が一面に木霊した。

「え……?」
「なっ、貴様は……?!」
 硬く瞑っていた目を開くと、目の前には抜刀し娘を守る父・光秀の姿があった。
「父上!!」
 ガラシャがそう言うと、賊達は一斉にどよめき一歩、また一歩と後ろへ下がっていく。もちろんガラシャに刃を向けた男も顔面蒼白させ、尻餅をつきながら後退していった。
「あ、あの、俺たち、光秀様の娘さんだとは知らずに……」
「今すぐここから立ち退きなさい。さもなくば斬り捨てます」
 表情にも表れておらず静かだが、確かに激昂している光秀を見て賊達は脱兎の如く逃げていった。
 光秀は小さく息をはき、ガラシャの方へ向き直ると手を差し伸べた。
「立てますか?」
「ち、父上……! その……」
「判ってますよ。それよりも怪我はしてませんか?」
 呆れられたと思い、ガラシャは黙って頷く。きっと心の中では怒っていると考えるだけで、悲しく、自分すら自衛出来ない力に悔しい思いが込み上げてくる。
「迎えに来てくれたのですか?」
「は、はい」
 今にも泣きそうなガラシャの表情を見て、光秀はただ微笑みながら彼女の手を握った。
「ありがとう……。私はとても良い娘を持ったものですね」
「父上、怒っておらぬのか? わらわは、その!」
「怒るも何も。あなたが無事なら、父は嬉しいですよ」
 ガラシャは感極まり、そのまま光秀の胸の中に飛び込んだ。一瞬驚いた光秀だったが、すぐに柔和な目元になり愛おしげに抱きしめる。
「うわあぁぁ〜〜! ちちうえ〜〜!!」
「ただいま。そして有難う……」




 ----END----


 08/04/29






 本当はガラシャを叱る光秀になりそうだったのですが、やはり娘デレな光秀になりました!
 ここまでお付き合い下さりありがとうございました!!