++++++交渉++++++






 初めて出会った時から「この者の為ならば無茶をしても惜しくない」、そう感じていた。
 第一印象は良いものではなかったが、嫌なものでもなかった。かの者から背を向ければ、必然と後ろ髪を引かれる想いが後に襲ってくる。そういう経験は生まれて初めてであり、俺は戸惑いを隠せなかった。
 かの者は俺が不機嫌に顔を背けても笑っており、その先は何も言わない。ただただ次の言葉を待っているのだ。

「……なんだ、島殿」
「いや、石田殿の次の発言を待っているのですがね?」

 まるで俺が口を開くのを待っているかのように、島殿は目元を緩ませてこちらを見ている。
 ……馬鹿にされているのではないか?
 そう感じるや否や、俺の腹の底から沸々と怒りに似たものが湧いて出てきた。島殿を鋭く睨み付け、先程よりも低く強い口調で発言をする。

「からかうのは止めて頂きたい。俺は――!」
「判ってますよ。……俺を召しに来たのでしょう?」

 そうだ。俺は島殿を家臣に召し迎えようとここまで来たのだ。
 普段なら絶対に来ないような遊郭にまで足を運んで。
 目の前に酒の入った漆塗りの杯が置いてあるが、全く手を付けていない。代わりに島殿は話をしているのにも関わらず何杯も杯を空けていた。もうすぐで徳利を一本空けそうだ。酒に弱い俺は「何故こんなのを飲めるのだろうか」と不思議に感じてしまう。

「なら、何故《なにゆえ》まともに話を交わさぬのですか?」
「決まっているじゃないですか」

 手に持った杯を唇に当て一気に煽り、酒臭い息を吐きながらこう言った。

「俺は誰にも就かないってね」

 その言葉を聞き、俺はただ俯いて唇を噛むしかなかった。自惚れかもしれないが、断られる事を予測していなかったからだ。黒い世界に注がれた酒と目の前にいる島殿だけが、俺の無様な表情を鮮明に写しだしている。

「そうですか」

 落胆はなかったといえば嘘になるが、この時の俺は激しく気分が沈む訳でもなく、しょうもない怒りが込み上げる訳でもなく、淡々と事態をのんでいたように思える。
 島殿は軽く眉尻を上げて目を僅かに見開いた。

「がっかりしないんですか?」
「そういう感覚はない」

 何故断られたはずなのに沈んでいないのか。
 根拠はないが、俺はまた何処かで必ず島殿と巡り会えるような気がしていたからだ。ここで今生の別れという訳ではなく、再び彼と話せる、そう信じていたから。

「また日を改めてお会い致そう」
「やれやれ。懲りない御方ですねぇ、あんたは」

 苦笑ともいえる島殿の笑い声は、不思議と不快感がなかった。
 よく杯をみれば酒は一滴も残っていなく、手持ち無沙汰に置かれていた。

「どうすればあなたの心を惹く事が出来ますか?」
「いきなり告白ですか?」
「俺は……どうしても、島殿を家臣にしたいのだ」

 そうだな、と呟き、視線を宙に泳がせて思案する様子を見せてからしばらく経ったのち、ニッと島殿は口角を上げて笑って言う。

「じゃあ、あんたの全てを俺に下さいよ」
「は?」

 言っている意味が全く判らない。というより、俺の身体が自然と硬直している。
 島殿はフッと息を漏らして笑って俺に言う。

「別に変な事を言っている訳じゃない。あんたに俺の全てを賭けてもおかしくないってのを証明してほしいだけです」

 人間命は一つなんですからね、と付け加えて、扉の前で待機していた仲居を呼び酒を注文した。
 俺は清正や正則達と比べて力もなく、ただ後方で支援するという役割の方が多い。それに今の現状を見れば、武功派の人間は俺のような文治派が嫌いなはず。……もしや、そこを憂慮しているのだろうか? 島殿は……。

「俺はっ」

 この男には嫌われたくはなかったが、開き始めた俺の口は閉じる事が不可能になっていた。

「確かにあんたにとっては、俺のような人間は都合の悪い奴かも知れぬ。だが……、一目見たあの時から俺はあんたを家臣にしたいと思ってきた! 文武両道の島左近を置けば――」


 『少しでも清正に近づけると思ったから』


 最後の言葉を言おうとしたが、何故か声が出なかった。困惑し開きかけた口をそのままに阿呆面を晒してしまう。
 先程までヘラヘラ笑っていた島殿の表情が一変し、真面目な目つきになりこちらを見ている。
怒らせてしまったのだろうか? 一抹の不安が襲った。

「……もう少しばかり考えさせてもらってもいいですかね?」
「え……っ?」
「俺は石田三成という男を過小評価していたようだ。だからちょいとばかり頭の整理したくてね」

 赤ら顔の初老の男は、どこか意思強い双眸を真っ直ぐに向けてそう言った。
考えもしなかった答えに俺は戸惑うばかりで、上手く頭が回らない。少しは彼を動かせる事が出来た……と考えても良いのだろうか? それとも他の者が交渉を失敗したように、俺もここで別れなければならないのだろうか?

「また、会ってくれるか? 石田三成殿」
「……っ!?」
「あんたという人間をもっと知りたくなった」
「あ、ああ!」

 固くなって動きづらくなっていた俺の頬が僅かに緩んだ。すると島殿もつられるように微笑む。
また会える、その事だけでも俺は嬉しくてたまらなかった。勧誘とか抜きにして、この男と語らうのが非常に楽しかったからだ。


「しかし、今度会う時は遊郭は止めて頂きたいものだ」

 やはりこういう場所は慣れないというより、落ち着かない。そう言うと島殿は拗ねるようにこう言うのだ。

「じゃあ、石田殿と会うのはこれで仕舞いかねぇ」



 ――――そういう事もあり、次回会う時も遊郭となった。
 その時は……、また島左近の違う側面も見る事が出来るのだろうか?






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 10/06/02