前を行く人、後ろを守る人






 目の前に飛び出てくる敵を、ただ斬り捨てて進んでいく。
 人は清正を『剛胆な武人』と言う者もいるが、逆に『戦働きしか出来ない人間』だとも見る者もいる。
 周りの声を極力避けて清正は立っていたが、ただ一人、ある人物の発言だけはどうしても無視する事が出来なかった。それは意地ともいえるし、昔なじみが発する言葉を無視出来ないというのもあった。


「命惜しくない奴は、この清正の前に出ろっ!!」


 背丈以上もある片鎌槍を大きく振るい、清正は敵陣に向かって咆哮する。後ろの方から正則も己の士気を振るい立たせるように叫ぶ声が響いた。その為だろうか、他の兵達も鬨の声を上げ敵陣へ進撃していった。
 馬上の清正も自身に飛び込んでくる敵兵を、風を切るように薙ぎ払っていく。返り血を全身に浴び、浅黒い肌は朱色へと変化していた。

「貴様が足軽大将か?」

 周りの者とは違う、一際目立つ武具を付けた武者が清正を睨んでいた。一目見てここを仕切っている大将だと気付く。
 武者は手にしていた十文字槍を構え直し、手綱を引っ張り清正と距離を置いた。
 雑兵を相手にしていたのとは違う、独特の張りつめた空気が清正の神経を高ぶらせ、血に濡れた片鎌槍を握り直す。

「さっさと倒れてくれ。そうすれば秀吉様の天下はもうすぐなんだ」

 挑発するように清正は呟いた。相手は動じる事もなくジリジリと距離を置いている。
 何かあるのではないかと一瞬考えを巡らせたが、もう一度挑発をかけてみようと口を開こうとしたその時、武者は背を見せ一目散に逃げ出したのだ。虚を突かれた清正だったが、すぐに後を追い始めた。
 その一部始終を見ていたのは、敵陣から離れて指揮を執っていた石田三成だった。

「あの馬鹿……っ!」

 三成は近臣に後の事を頼むと手短に伝え、清正が向かった方へと馬を飛ばした。
 あれは罠だ――
 血を浴びすぎて馬鹿になったか、と、三成は小さく吐き捨てる。おそらく相手は釣り伏戦法を行うだろう。急がなければ清正が孤立してしまう。その程度でやられる奴ではないが、大怪我は避けられない。腕が折れるのではないかという勢いで馬の尻を鞭で叩き、二人の跡を追った。




 やけに静かだ。……足軽大将を追っているうちに、妙な感覚に囚われた。
戦場からさほど離れていないはずなのにもかかわらず、人の気配がしないのだ。敵に討たれそうになった者がここへ逃げ込んでもおかしくないはずなのに、だ。気配を消してどこかに潜んでいるかも知れない。
 その時、背後で何かが動く影が視界に入った。咄嗟に片鎌槍を薙ぎ払うと、金属同士がぶつかる高音が森の中に響き渡った。

「罠か……っ!」

 自分とした事が情けなく思えた。目の前の敵に囚われすぎて、相手の策謀を読み切る事が出来なかった事に、清正は奥歯を強く噛み締める。
 木々の間からは雑兵が一人、また一人と湧いて出て清正を囲む。清正のような猛将を討ち取るなら多人数で、といったところだろう。槍先、刃先が清正の胴を狙ってぎらついている。

「くそ……っ」

 いくらなんでも相手が多すぎた。進退窮まったかと、捨て身の覚悟で柄を強く握り締める。

「ぐわっ!?」

 突然横にいた雑兵が白目をむいて倒れ込んだ。仲間達の視線は自然とその者の方へ向き、やがて上へ上へと上がっていくと、今度はどよめく声が各所で湧き上がった。

「三成……」
「馬鹿が! 逆にお前が追い込まれてどうするんだ!」
「……言い合いは後にしようぜ、三成。まずはこいつらを片づけるぞ!」
「言われなくともそうする」

 混乱する声とともに絶叫が混じり、周辺は地獄となった。
 再び清正の片鎌槍は朱《あけ》を吸い、肉を喰らった。三成の鉄扇もまた血に染まる。
 足軽大将の首級をもって、ここでの戦闘は終了した。



 路《みち》を引き返している時、二人の間には沈黙が流れていた。意地でも口を開かない気だ。
 三成の眉間には険しい縦線が二本通っており、明らかに清正の失態に憤慨している。
 そんな不穏な空気を割って清正が口を開く。

「三成……、すまなかった……。言い訳はしないつもりだ。今回ばかりは俺が悪い」
「…………」

 清正の言葉に三成は振り返らず、ただ表情を崩さずに黙っている。
 しかしゆっくりと形の良い唇を動かし、清正に言葉を送った。

「馬鹿だろう」
「ああ、馬鹿だ。猪武者と呼ばれても反論出来ないだろうな」

 再び間が空き、土を蹴る蹄の音だけが耳に通っていく。
 今度は三成が先陣を切って話し始めた。

「俺が駆けつける事が出来たからまだ良かったものの、これでお前一人だったらどうなっていたと思う? 死にはしないかもしれんが、大怪我を負っていただろうな。重要な戦力のお前が外れたら、秀吉様の天下統一も遅れに違いない」

 その言葉を聞いた瞬間、清正の心にはどこか落胆の色があった。三成はいつも秀吉の事を考え周りを仕切っている。そのような人物が一感情で清正を単騎で追いかけ救出するなどあるはずがない。そう結論付けた時、落胆から怒りへと移り変わっていき、気付けば声を荒げていた。

「……やはりお前は俺達を駒のようにしか見ていないんだな! そうやっていつも見下す……っ!」
「違うっ! そんなのではない!!」
「っ!?」

 清正は眸《め》を見開き三成の方を見た。先程とは違う、苦難の表情に染まっていた。
 違うとは何だよ、と、清正は突き刺すように睨み付けた。

「俺は……、俺の意思で清正を助けたいと思ったのだ。見たからには見捨てる事など出来ないだろう!」
「三成……」
「確かに俺はお前程強くはない。だが! ……力を合わせる事が出来れば、強くなれる」

 普段とはあまりにも真逆な、素直な言葉に清正は戸惑う。

「だからお前を失いたくないのだよ、清正……」

 清正は照れくさそうに顔を背けると、僅かに上擦った声で言葉を返した。
 妙に心臓が高鳴り、頬が熱い。三成に気付かれていなければいいと考える。

「ばっ、馬鹿か! 秀吉様に恩義返す前に、俺が簡単に倒れるかよ……っ」
「ふっ……、判っている」

 三成は柔らかく微笑みながら清正を見つめた。何だか凄く負けたような気分になり、唇を尖らせて反対の方向へ向いた。

「今後はこのような失態を起こすなよ、馬鹿」
「ふん……」




 戦は今日の内に収束を向かえ、秀吉の天下への道のりがまた一歩短くなる。
 しかし清正と三成に至っては先の事が尾を引き、微妙な距離を置いていた。そんな二人を見て、ねねは「いつになったら素直になるんだろうね?」と呟いたそうだ。






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 10/03/06






 キヨミツ予定がミツキヨになっていた罠