散らかり事務所と捻くれ主
沙耶が九条湊の事務所に着いたとき、思わず手に持っていた鞄を床へ落とした。
それもそのはずだった。昨日片付けたはずの部屋がグチャグチャになっているのだから。一晩しか経っていないのに、本や書類が散乱している。
湊はというと、ソファーに腰をかけテーブルに足を載せて雑誌を読んでいた。
沙耶は無言で湊に近付くと、おもむろに雑誌を取り上げた。そこにはげんなりとした湊の姿があった。
「何だ。君はいつから俺のエロ本を読みたいと思うようになった」
「……私、昨日処分したはずです」
「勝手にオカズを処分するな。仕方ないからコンビニ行って買ってきた」
「それに書類も綺麗に片付けましたよね? 何故一昨日と同じようになっているのですか?」
「ああ。面白い依頼ないかと探していたらこうなっていた。すまない」
「全くすまなそうじゃないですか!」
珍しく沙耶が声を荒げる。いかがわしい表紙の本を無造作に放り投げ、力一杯叫んだ。湊は指で耳を押さえて抵抗する。
これでは掃除してもしてもキリがない。あっという間に目の前の青年が元に戻す。散らかす。整理整頓を幼い頃から教えられ、厳格に守っている沙耶からしたらこの惨状は許せないものであった。
「先生はだらしなすぎます! もう少ししっかりして下さい! それと仕事して下さい!」
九条湊という男が依頼を受ける理由として、面白いものを基準として選んでいる。どれだけ沙耶が依頼書を持ってきても、目を通し終わった湊は「面白そうなのないからパス」と言って、A4サイズの封筒を押し返すというのも何度も経験した。これでも湊が興味持ちそうな依頼を厳選して持ってきているはずなのに、彼の琴線に触れるものはないときは、さすがの沙耶も落胆してしまう。
ちなみに現在の収入源は競馬だった。もちろん収入よりも支出の方が多い。
「大丈夫だ沙耶。今度こそ当てる。この間のは読み間違えたんだ。だが今回は自信が――」
「そういう問題ではありません!!」
本日二度目の怒声がこだまする。
沙耶には理解出来なかった。
これほど頭の切れる者がどうして本気を出さないのか、と。湊ほどの実力者なら、月に十件以上依頼を処理出来るはずだ。報酬も御蔭神道と総本山から出るのだから、生活に困るという事はないだろう。それなのに何故彼は真面目に仕事をしないのか。
湊は溜め息をついて、ソファーに横になって一人心地に呟く。
「今の君には理解出来ないだろうな。だがな、もう少し年喰えば判る」
「すごく納得のいかない回答です」
「だろうな」
沙耶は少しだけ間を置いて言葉を発した。
「先生は、良い人だと見られるのが嫌いなのですか?」
湊の表情が僅かに険しくなる。沙耶に背を向けるようにして寝返りを打つ。
「ずっと思っていたのです。先生は褒められたりすると、凄く嫌な顔をするんです。本来なら喜ぶべきなのに、とても苦々しく笑うんです」
「俺は良い奴じゃない」
「いいえ! 先生は良い人です! だって、そうじゃないと危険な依頼を受けるはずないじゃないですか! 私やユウキ君を助けたりしないじゃないですか!」
「それはお前らが怪我したら、理彩子や孝元にしぼられるからだっつーの」
「本当に……それだけの理由なのですか?」
それ以上湊は口を開くことはなかった。
「……というわけなんです。理彩姉さま」
マンションに帰宅した沙耶は、今日あったことを理彩子に話をした。すると理彩子はクスクスと笑い始めて、おかしな事を話しただろうかと感じた。
「湊君も変わらないわね。褒められ慣れないのって」
そう話す理彩子の表情はどこか懐かしげだ。
「湊君はね、私や孝元さんがお礼言ってもしかめっ面をするの。別にお前らの為にしたんじゃねーよって言って」
「どうしてですか?」
「さぁね。捻くれ者の考える事は私にもわからないわ」
理彩子が苦笑して答える。
確かに湊は捻くれ者だが、少しは喜んでもいいと沙耶は思っていた。
「きっと根の素直な沙耶には湊君の考える事を理解するのは難しいと思うわ」
「理彩姉さまは理解しているのですか?」
「もう諦めたわ」
はぁ、と、大仰に息をつく。その姿を見て、沙耶がふっと笑う。
その姿を見て、理彩子も微笑む。
「適当に流しておけばいいのよ。部屋の掃除も一週間に一度くらいでいいと思うわ」
「でも……」
「あの人は部屋が散乱していないと落ち着かない人なのよ、多分」
散らかり尽くした湊の事務所を想像したのだろうか。理彩子の表情に渋いものが浮かぶ。つられて沙耶も思い出してしまい、二人して溜め息をついた。
【了(2012/08/28)】
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