理不尽な世の中

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「あーっ! クソッ、また負けた……。おかしい、俺の事前調査ではあの馬は調子が良かった、絶好調のはずだったのに……」

 手持ちの競馬新聞をテレビに叩き付けるようにして投げると、湊はふてくされ、破損しかけているソファへ横へなった。
 テーブルに無造作に置かれた馬券を、適当に折り曲げてゴミ箱へ捨てた。今回は自信があっただけに地味に尾を引きずる形で終わる。
 テレビから流れるアナウンサーの実況だけがけたたましく事務所内に響く。そんな中、湊の視線は天井を仰ぐように、ゆらゆらと泳いでいた。

「……また借金するか」

 この仕事を始めてから、借金とその金を巡る取り立てが日常茶飯事になっていた。

 不安定な仕事、報酬。
 決して褒められるような事をしている訳ではないのに、依頼人は皆お礼を言って去っていく。
 その時湊は思うのだ。こいつらは誰にもそういう風に礼を言うのか、と。
 コンビニへ行っても、牛丼屋へ行っても、風俗へ行っても。サービス受けた分はお礼を言って過ごしているのかと思うのだ。
 しかし実際は逆だ。店員はマニュアル通りに「ありがとうございました」と言っても、物を買った本人は何食わぬ顔して去っていく場合が多数であろう。下手すればイチャモンを付けて出て行く輩も少なくはない。
 そういう輩に限って、湊に対して「ありがとう、九条さん」と言ってヘラヘラ笑って去っていく。当然納得がいかない。面白くない。
 そういう事を逐一考えていると、急に様々な事が馬鹿らしく見えて、湊の周囲の世界が冷えていった。
 だから湊は滅多な事で礼は言わないし、言われたくもないと考えている。
 余計な事を振り切るように、湊はソファから体を起こし、頭をボリボリと掻いた。

「誰から借金するか……」

 堅剛からするか? いや、つい先日したばかりだ。また行ったらしめられそうだ。
 孝元からするか? いや、この間会った時「お金はちゃんと返してね。湊君」と、仏様も腰を抜かすくらい優しい笑顔で言われた。しかし彼の後ろには般若がいた。絶対にいた。

「やーっぱ闇金かー? あいつら振り切るの面倒くせぇんだけど……」

 生活するには金が必要だ。
 ちまちま働けばそれなりに暮らせるのだろうが、そういうのは性に合わない。
 デカイ仕事をして、デカイ金を手に入れる。そして退屈しのぎにまたデカイ仕事をする。それでいいと思っている。
 しかし自分に迫り来る年齢だけは避けられなかった。あと数年すれば三十路突破してしまう。湊にとって、それは見えない恐怖でもあった。

「金がなくなると気分沈むな」

 自嘲気味に呟いた。
 すると玄関が開く音が、競馬の実況が終わりニュース番組に切り替わったテレビの音と共に、湊の耳に入ってきた。

「あ、先生」

 理彩子の姪っ子である沙耶が、スーパーの袋を両手に持ち立っている。

「おい、何の真似だ? 嫁入り修行でもすんのか?」
「ち、違います! 先生、この荒れ方だとおそらく今日の賭け事、負けましたね?」
「おう、負けたさ。何だ、最近の巫女さんは人の心を読めるのか」
「…………競馬新聞が無残な姿で、馬券もあちこちに散らばっていれば、一目で分かります……」

 哀れみの目が今は痛い。湊は沙耶の視線から遠ざかった。
 沙耶は小さく息を吐き、手際よく冷蔵庫に物を詰め込み、なにやら料理する準備まで始めている。

「先生。ご飯だけはちゃんと食べて下さいね? 作り置き出来るものを作って、冷凍庫に入れておきますから。食べたくなったら電子レンジで温めて食べて下さい」
「飯はいい。沙耶、金を貸してくれ」
「……高校生からお金を借りる気なのですか? 先生にはプライドというものが――」
「ぐっ……」

 そうだ。沙耶は高校生だ。小遣いなどたかが知れている。

「そのお金の為にも、ちゃんと依頼を受けて仕事して下さい。この際ストーカー退治でも何でもいいです。働いて下さい」
「そう細かいところが理彩子にそっくりだよ、君は」
「何か言いましたか?」
「何でもねーよ」

 鼻歌を歌いながら料理をする沙耶をよそに、湊は仕事机に山積みになっている依頼書を手に取り目を通し始めた。

「なーんか面白い仕事、ねーかなぁー……」






【了(2012/09/03)】
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