ある夜休もうと準備をしていた元姫の元に、司馬師に仕えている女官が突如姿を現した。
「どうしたの? こんな夜に」
 ただの女官だと思いつつも、何故か心の奥底はモヤモヤとした黒い感情に襲われる。一礼をして女官は抑揚のない声で元姫に用件を伝えた。
「司馬師様がお呼びで御座います。夜分で申し訳ございませんが、早急にお願い致します」
「……、わかったわ。すぐに向かうと伝えてくれるかしら?」
「はい、言伝承りました」
 そう言うと女官は再び一礼をして退室していった。部屋から出て行くのを確認したのち、元姫は小さく息を漏らした。それは嘆息とも呼ぶことも出来たが、これから起こる甘美な誘いに喜悦する吐息とも呼べた。
 お目付役である司馬昭に一つ秘密にしている事があった。それは彼の兄である司馬師と関係を持ってしまっているという事だ。何度も司馬師との関係を絶とうと考えてはいるものの、本能が邪魔をしてズルズルと引きずり今日まで至っている。元姫は固く目を瞑り頭を振うと、女官から言われた台詞を忘れようとしたが、もう一つの感情はそれを許さず、彼女の足を司馬師の部屋へと向かわせたのだった。――そう、元姫から司馬師の誘いを断る事が出来ないのだ。

 ※  ※  ※

 眼前に司馬師の部屋に続く戸が広がる。これから起こりうる情事が頭を遮り、元姫は一瞬にして頬を染める。戸を二・三度叩いて入ると、既に司馬師は寝間着姿になっており、普段と違った色香に心臓が高鳴った。
「元姫、待っていたぞ……」
 そう呟きながら司馬師は元姫の元まで歩を進め、彼女の細い躯を抱きすくめ、軽く口づけを交わした。元姫は身じろぎもせずに、ただその行動を受け止める。
「今夜は来ぬかと思ったが……、やはり来たな」
 口づけの合間に嘲笑うように甘く囁く。自分からの誘いは断らないと踏んでいるのにも関わらず、彼はいたずらに言葉を投げかけるのだ。元姫もまた口づけの合間に詰まらせながらも彼に返答をする。
「し……、子元殿のお誘い……です、から……っ」
「そう言いつつも昭との夜の付き合いが上手くいっていないのではないか?」
「そ、そんな事は……! ……っあ!」
 元姫が反論する隙も与えないまま、司馬師は彼女の首筋に薄く形の良い唇を落とした。優しくも激しい吸い付きにブルッと身震いを一つし、手にかけていた師の肩に力を込める。畏怖される存在の司馬師だが、二人きりの時だけは優しさを垣間見せるのだ。