気弱です(取手と葉佩)


 一体何がどうしてこんなことになったのか、取手は目の前の光景に頭を抱えたくなった。
 確か、そう確か、さっきまで自分たちはいつものように他愛のない会話をしていて。途中で葉佩がなんだか腕が痛いと言い出したので、着ていたシャツをめくって見せてもらったら、小さな切り傷から血がにじんでいたのを見つけた。
 呑気な口調で、どこで怪我したんだろうと首をかしげた葉佩とは対照的に、焦った取手はとにかく消毒をしなくてはと室内を見渡し、自分の部屋には救急セットなど置いてないことに気づいて、咄嗟に彼の腕をとって傷口に口づけた。
 なかなか血が止まらないことに動揺しながらも舐め続けていたら、葉佩にもういいからと逃げられそうになって、捕まえようとした勢いで──押し倒してしまったのだ、多分。
 傷のことしか頭になかった取手はろくに記憶していなかったが、恐らくそういうことなのだろうと、自分の身体の下で縮こまっている葉佩を見下ろしながら思う。
 これはもしかして、もしかしなくとも、自分が葉佩を襲っていることになる、のだろうか。聞くまでもなく、取手を見上げる葉佩の不安げな表情からそう思われているのだと読みとれた。
 そんなつもりじゃなかった、と言ったら果たして彼は信じてくれるだろうか。信じてもらえなくて、そんな人だとは思わなかったと言われたら、このまま嫌われてしまったらどうすればいいのだろう。
 とりあえず葉佩の上から退くのが先だとは気づけないまま、取手はひとり悩み続ける。
 黙って取手を見つめていた葉佩が、小さな声で呟いた。
「鎌治、くん……?」
 葉佩としてみればその言葉に他意はなく、ただ微動だにしない取手を気遣ってのことだったのだろう。だがそれは、取手の中の何かを煽ってしまうのに充分だった。
 状況のせいなのか、普段とは違う弱々しい声音のせいなのか、ただ名前を呼ばれただけだというのに、取手は一気に顔を赤くする。熱を持ったのは、顔だけではなかった。
「九龍くん、あのっ」
 いきなり心に宿った欲求に突き動かされるように、取手は先ほどまでとは違う、意志を持った目で葉佩を見下ろす。
「な、なに?」
 取手の目に浮かんだものに気づいたのか、葉佩が不安げに眉根を寄せた。
「僕、あの、九龍くんに触れてみたいんだけれど、」
「えっ!?」
 取手がそんなことを言い出すとは思わなかったのだろう、葉佩が目を見開く。
「あ、駄目なら、いいんだ。うん、いやだよね、僕なんかに触られるのなんて……」
 段々と小さくなっていく語尾とうなだれていく頭に、思わずという風に葉佩の手が動いた。服を掴まれ、今度は取手が目を丸くする。
「九龍くん……?」
「い、いいよっ」
「え?」
 頬を染めた葉佩が、鎌治くんになら……と恥ずかしそうに囁いた。


 許可を得た喜びを胸に、さてまずは何をすればよいのだろうと取手は首をひねる。取手にはこういったことに対する経験もなければ、知識も同年代の男子に比べれば少ないほうだった。取手の中にあるのは、ただ葉佩の全てを知りたいという欲望のみ。
 どこもかしこも目にしたいし、この手で触れてみたい。相変わらず不安げな面もちの葉佩にすまないと思いながら、取手はとりあえず脱がせてみることにした。
 シャツのすそに手をかけて、少しずつめくっていく。それだけのことで、どんどん自分の鼓動が早まることに気づいた。少し迷って、そのまま上を脱がせてしまうことにする。
「寒くはないかい?」
「大丈夫」
 それなりに焼けた健康的な肌が目に入って、自分の色とは全く異なるそれに取手は目を細めた。身体中に散らばった無数の傷跡に、取手は胸を痛める。
「……痛かっただろうね……」
「うーん。いつものことだし、覚えてないなあ」
 覚えてないと笑う葉佩が、取手にはどうしようもなく哀しい存在に思えた。
「触れても、いいかい?」
「ど、どうぞ」
 大小様々な傷跡に指で触れ、それだけでは足りなくなって唇を落とす。今更治るとは思えなかったが、それでもきれいに消えてはくれないだろうかと僅かな望みを抱いて、舌で丹念になぞっていく。上から順にその動作を繰り返していると、葉佩の身体が小刻みに震えていることに気づいた。
 顔を上げると、歯を食いしばって何かに耐えている葉佩が見える。そういえば、触ってもいいとは言われたが、舐めてもいいとは言われていなかった。不快な思いをさせてしまったかと、取手は慌てて顔をのぞき込んだ。
「ご、ごめん。嫌だった……?」
 取手の問いかけに、葉佩が閉じていた目を開ける。うっすらとにじんだ涙に、やはり嫌だったのだと取手は頭を下げた。
「ごめん。ほんとうに、ごめん」
「えっ。ち、違うって!」
 焦った様子で首を振る葉佩に、無理をしなくていいと苦笑して、取手は目尻にたまった涙を拭ってやる。
「君が嫌なら、意味のないことだと思うから」
 だからいいんだ、という言葉は、顔を真っ赤にした葉佩によって遮られた。
「だから違うんだって! 嫌なんじゃなくって、くすぐったかったってゆーか、……気持ちよかったってゆーか……」
「気持ちよかった?」
 心底意味がわからないと言う顔で取手が問い返すと、葉佩に頭を叩かれる。
「な、なに?」
 突然の暴力に、取手は数回瞬きを繰り返した。目の前では、葉佩がこれ以上ないぐらいに顔を赤くしている。
「だから! オレは別に鎌治くんに触られようが舐められようがちっとも嫌じゃないし、それどころか気持ちいいぐらいだって言ってんのっ!!」
「……」
「わかってよ、もう。頼むから」
「……」
 懇願するような葉佩の叫びに、取手は朧気ながらに先ほど自分のした行為が快感を伴うものなのだと理解した。
「ええっと、それじゃあ……」
 これ以上まだ何か聞くつもりなのかと、葉佩が涙目で睨みつけてくる。
「続けても、いい……のかな?」
 おどおどと訊ねた取手に、葉佩は脱力した様子でベッドに沈み込んだ。
「もう、好きにしてください……」
 葉佩が絞り出すようにそう言ったので、取手は小さく頷き返した。


【完】


2004 10/22