初めての…(取手と皆守)


 保健室の扉を開け、取手は先客がいることに気づいた。ベッドに横たわり、でも眠る気はないのか嗅ぎ慣れた香りを漂わせている人物は、取手も良く知っている相手だ。
 最近は出席率も上がったと評判の彼が、何故ここにいるのか。なんとなく見当がつき、取手は笑いをかみ殺した。
 気配が伝わったのか、皆守は転がったまま顔だけを取手に向ける。
 その物言いたげな視線に、とうとう取手は堪えきれずに吹き出した。
「笑うな」
 皆守が、仏頂面で身体を起こす。隣に腰掛けると、取手は微かに笑みを浮かべたまま皆守の顔をのぞき込んだ。
「今度は、何を言われたんだい?」
 取手の問いかけに、皆守は一瞬口を閉ざした。ややあって、ばつの悪そうな顔を背けながら口を開く。
「……アロマ臭いから、近寄るなって」
「……っ」
 それを言った人物の子供じみた言い回しと、憎たらしい表情が容易に想像でき、取手は手で口を押さえて身体を震わせた。
「笑うなら、声出して笑え」
「……笑うなって言ったのは、君じゃない……」
 震える声で抗議する取手の耳に、皆守の舌打ちする音が届く。
「まったく、どこのガキなんだあいつは」
 口調だけは忌々しげだったが、その声音にはどこか甘さがにじんでいた。敏感に読みとった取手は、皆守に目を向ける。
 にっこり笑って、言葉をかけた。
「彼の言葉にいちいち落ち込む君も、じゅうぶん子どもだと思うけどね」
「……お前なあっ」
 途端に目を剥いた皆守に、取手は肩をすくめる。
「僕だったら、嫌われなかっただけでもありがたいと思うけどなあ」
「……」
 最後の最後で彼の気持ちを裏切った皆守を、それでも彼は赦してくれたのだ。そりゃあ、怒っては、いるけれど。
 まだ顔を見るだけで腹が立つらしく、皆守を見かける度にやれ髪型がおかしいだの、お前はカレーの国にでも行ってしまえだの、腰が弱いのは男として致命的なんじゃないかだのと難癖をつけてくるようだけれど。
「元はと言えば、ぜーんぶ、君が悪いんだし。ねえ?」
「……お前は、随分と性格が悪くなったんじゃないか?」
 絞り出すようにそう言う皆守に、取手は首をかしげた。
「そういうんじゃないよ。ただ、僕も怒ってる……のかな、やっぱり」
「お前も?」
 思ってもみなかったのだろう、皆守が目を丸くする。その表情がおかしくて、取手はまた笑った。
「だって君は、僕の初めてのともだち、だからね」
「とも……だち……」
「そう」
 取手がにこにこと笑ってみせると、皆守はようやく理解したのか顔を赤く染める。
「ばっ。お前、何言って。大体、お前の初めての友だちはあいつだろう」
「最初は僕もそう思ったんだけどね」
「?」
「彼は、僕が初めて好きになった人だから」
 そしてきっと、最初で最後の人なんだ。
 そう言い切った取手に、皆守は脱力したのか再びベッドに転がった。


【完】


2004 10/20