188cm(取手と葉佩)


 屋上に横たわり、空を見上げていた葉佩が、不意にこちらを向いた。隣に座って遅い昼食をとっていた取手は、どうしたのかと首をかしげる。
「取手くんってさあ」
「う、うん」
 印象的な瞳にまじまじと見つめられ、取手は微かに顔を赤らめた。
「おっきいよねえ。何センチ?」
 身長を訊ねられているのだと気づいて、口の中に残っていたパンの欠片を慌てて飲み込む。
「えっと、確か春にはかったときは、188だった……と思うけど」
 記憶を辿って取手が答えると、葉佩は身体を起こして顔を近づけてきた。
「な、なにっ」
 動揺して、取手は座ったまま後ずさる。
「なんで逃げるの」
 葉佩の目が哀しげに細められ、取手は慌てて首を振った。
「ち、違うんだ。嫌なんじゃなくて! ただ、ちょっとびっくりして……」
 間近に迫られて恥ずかしかったのだとは言えず、そう取り繕う。葉佩はなんだか難しい顔になったが、それ以上の追求はなかった。
 沈黙に耐えかねた取手が葉佩を盗み見るのと、葉佩がこちらを振り向くのは同時だった。びくりと身体を震わせて、取手は葉佩の動きを見つめる。
「取手くん、ちょっと立ってみてくれる?」
「え? う、うん」
 取手が立ち上がると、つられるように葉佩も立ち上がった。ぽんぽんと右手で自身の頭を叩き、取手との差をはかろうとする。
「う〜ん。10cm以上差があるかな」
「葉佩くんは、いくつなんだい?」
 真剣な顔の葉佩に、取手は恐る恐る尋ねた。葉佩は首をひねると、うーんと唸り出す。
「170台半ばだと思うんだけど。最後にはかったのはいつだったかなあ」
 考え込んでしまったのか、それきり葉佩は黙り込んだ。学生であれば、年に一度の身体計測は当たり前のことなのだが、トレジャーハンターである葉佩にとっては違うのだろう。改めて、自分と葉佩は異なる世界にいるのだと思い知らされたようで、取手は胸を痛めた。
 取手の気持ちに気づいているのかいないのか、葉佩が顔を上げる。
「ちょっと後ろ向いてもらってもいい?」
「構わないけれど」
 言われたとおりに、取手は葉佩へ背中を向けた。空気の動く気配がして、唐突に身体が重みを増す。
 どうやら、葉佩が後ろから飛びついてきたらしい。
「は、葉佩くん……!?」
 突然のことに動揺を隠せず、取手の声が掠れた。対する葉佩は、常とかわらない声音で答える。
「ふーん。これが、188cmから見た景色かあ」
「……」
 どうやら、取手の目線から周りを見たかっただけらしいと気づいて、取手は身体の力を抜いた。腕の力だけでしがみついているのも大変だろうと、取手は背後に腕を回して葉佩をおぶってやる。
「あはは。取手くん、やっさし〜」
「だって、あ、危ないし……」
 葉佩が喋るたび耳に息がかかって、取手はひとり鼓動を早めた。
「ありがとな。オレさ、取手くんが見てるものが見たかったんだ」
「そんな。べつに、特別なものは見えないと思うけど……」
 ただちょっと、人より背が高いだけなのだから。困惑した声を出す取手に、葉佩が抱きついていた腕に力を込める。
「てゆーのは口実で、ほんとうは、ただ取手くんに抱きつきたかっただけなんだ」
「えっ!?」
「ってゆったら、どーする?」
「……」
 後ろで楽しそうに笑っているであろう葉佩の顔が思い浮かび、取手は身体を固くした。
 これは彼特有の冗談なのか、それとも。
 答えが知りたくて、取手は弱々しい声で懇願する。
「あの。僕いま、すっごく葉佩くんの顔が見たいんだけれど。おりてもらっても、いいかな」
 取手が心からそう言っているのだと、葉佩にはすっかりわかっているだろうに、断られた。
「やーだー。おりるのは、もっと取手くんの背中を堪能してから」
「た、堪能って……」
 言葉通り背中にぐりぐりと顔をすり寄せてきた葉佩に、取手は泣きそうに顔を歪める。
「……ひどい。葉佩くんは、ひどいよ」
「うん。オレってひどいよね? ごめーんね!」
 あっけらかんと笑われ、取手はそれ以上何も言えなかった。


【完】


2004 10/21