オムレツ(取手と葉佩)


 メールが届いていることに気づき、取手は携帯を開いた。少しだけ期待して、メールの差出人を確認する。葉佩九龍の名に、取手は顔をほころばせた。
 お昼になったら食堂へ来てくれというメールに、昼食のお誘いだろうかと舞い上がる。
取手は慣れない手つきで携帯を操作し、了承の返信をした。
 今日は休日で、部活も休みだ。お昼まで何をして時間を潰そうかと、取手は頭を悩ませる。
 彼と知り合ってから、取手が時間をもてあますようなことはなかった。暇さえあれば彼の元へ行って、邪魔にならないようそばにいた。優しい彼は邪険にしたりはせず、自分にもわかるような話題を振ってくれる。
 彼のそんな優しさに触れるたび、取手は改めて思うのだ。自分は、彼を特別に想っているのだと。
「お昼に誘ってくれたんだから、その前に会いに行くのは、きっと迷惑だよね……」
 今すぐ会いに行ったとしても笑顔で出迎えてくれるだろうとは思ったが、楽しみは後にとっておくほうがいいような気もする。
 本当に、何をして時間を潰そう。時刻はまだ、十時をまわったところだった。


 本を読んだり音楽を聴いたりしても落ち着かず、取手は約束よりも大分早めに食堂へ向かう。
 これから出かける自分とは反対に、寮に戻ってくる者が何人かいた。その中にいくつか知っている顔を見つけ、取手は首をかしげた。彼らは、いつも自分と同じように葉佩を取りまいている人たちだ。
 どこから戻ってきたのだろう。もしかして自分と同じように、葉佩に呼ばれたのだろうか。それにしては、時間が早すぎるような。
 葉佩に聞けばわかるだろうかと、取手はふたたび歩き出した。


 取手が食堂に着くと、ちょうど中から八千穂が出てくるところだった。挨拶をする取手に、八千穂は意味深な笑みを浮かべる。
「あ、そっかー。そーいうことね、ふーん」
「……?」
 意味がわからずにいる取手の肩を叩くと、八千穂は楽しそうに笑った。
「取手クンも、なかなか隅に置けないね〜!」
「え?」
 言うだけ言うと満足したのか、八千穂はじゃあねと走っていってしまう。残された取手の頭の中は疑問符でいっぱいだった。
「あれ、取手くん?」
 店内から葉佩の驚いたような声がして、取手は慌てて顔を向ける。
「あ、葉佩くん。ごめん、なんだか、早く来ちゃったみたいで……」
「いいっていいって! いきなり呼び出してごめんなー」
 謝る取手の手を引いて、葉佩は端のテーブル席へ座らせた。一緒に座るかと思われた葉佩は、何故かそのまま厨房へ行ってしまう。
 そういえば、今日に限って舞草に声をかけられなかったような。ちらちらと目を向けても、舞草はこんにちはーと笑うのみだった。
 やがて、店内にいい匂いがただよってくる。取手もよく知っている、卵の焼けた匂い。香りのするほうに視線を向けると、葉佩が厨房から姿を現した。
 お盆を手にした葉佩は、先ほどは気づかなかったが制服の上から赤いエプロンをしている。
 目の前に置かれた皿には、取手の好物であるオムレツが乗っていた。これは、もしかして。
 ちらりと顔を上げると、葉佩が満面の笑みを浮かべている。
「えっと……」
「食べてみて?」
「いただきます」
 有無を言わさぬ口調で言われ、取手は素直に両手をあわせた。
 どきどきしながら、一口食べてみる。口に入れた途端広がるソースと卵の絶妙な味わいに、取手は思わず美味しいと呟いた。
「ほんと!?」
「う、うん、とても美味しいと思うんだけど」
 取手がどもりながら答えると、葉佩は心底ほっとしたようによかったーとしゃがみ込む。
「は、葉佩くん?」
 心配になって声をかけると、葉佩は屈んだまま顔だけを上げた。
「や、作ってみたはいいけどさ。口にあわなかったらどうしようかと思って」
「葉佩くん……」
 やはりこれは、葉佩が作ってくれたものなのだ。他でもない、自分のために。
「すごく、嬉しいよ。ありがとう」
「いっつもピアノ弾いてもらってるお礼」
「そんな。僕は別に、好きで弾いているだけなのに」
 見返りを求めて弾いている訳ではないのだと主張すると、葉佩がテーブルに手をついて取手の顔をのぞき込んでくる。
「それなら、オレだって」
「え?」
「取手くんに食べてもらいたくて、作っただけだよ」
「葉佩くん……」
 なんだか胸がいっぱいになって、それきり何も言わず、取手は残りのオムレツを一口ずつ味わいながら食べていった。
 全て平らげたところで、ふとあることに気づく。あの、寮に戻っていった人たちも。八千穂も、これを食べたのだろうか。
「あの、八千穂さんとか、」
「あー。味見してもらったんだ。一応ね」
「そう……なんだ」
 自分のためとはいえ、他の人にも葉佩の手料理を食べられたのかと思うと、なんだか少し残念な気がした。
「葉佩くん、あの」
「ん?」
「また、作ってくれる……かな? 今度は、その」
 取手が最後まで言う前に、葉佩は大きく頷く。
「今度は、取手くんにだけ作るよ」
「うん……」
 子どものようなことを言ってしまったと、急に恥ずかしくなって、取手は小さくごちそうさまですと言った。


【完】


2004 10/19