意外すぎた真実(取手と葉佩)


 早くから目が覚め、取手は一人そわそわと部屋の中を歩き回っていた。
 もう少ししたら、彼も起きるだろう。なんて声をかけようか。まず挨拶をして、一緒にご飯を食べようと誘って。彼は承諾してくれるだろうか。優しい彼のことだから、断られることはないと思うのだけど。
 毎日のことだというのに、ちっとも慣れはしない。
 自分がこんなことで毎朝悩んでいると知ったら、彼は笑うだろうか。
「……」
 一瞬、彼になら笑われたって構わないと思ってしまい、取手はうっすらと頬を染める。
「重症、だなあ……」
 自分がこんなにも一人の人に執着する人間だったとは、彼に出会うまで知らなかった。
 取手は今、毎日が楽しくて仕方ないのだ。
 彼のことを考えるだけで、とてもしあわせな気持ちになれる。彼を見ると、心が弾む。声を聴けたら、それだけで一日を笑顔で過ごせる。
 保健室仲間から時折あきれた視線を向けられたりするが、そんなことはどうでもよかった。
 取手にとって大切なのは、ただ一人、彼だけなのだから。
「僕も、彼と同じクラスだったらよかったのに」
 そうしたら、一日同じ場所で過ごせて、授業中の彼を盗み見ることだってできるし、一緒に課題をやったり、一緒に教室移動をしたりできるのに。
 端から見ればどれも些細なことかも知れないが、恋する少年にとっては重大なことだ。
「いいなあ、皆守くん……」
 そんな風に思ってはいけないとわかっていても、常に彼の傍らにいる皆守を取手がうらやんでしまうのは、仕方のないことだろう。
 起床時間を知らせる放送が流れ、取手は部屋を出る。彼は支度をするのが早いから、ゆっくり歩いていけば、ちょうどいいタイミングでたどり着けるだろう。
 角を曲がったところで、どこかの部屋の扉が開いた。あれは確か、皆守の部屋ではなかっただろうか。まともな時間に登校しない皆守にしては早起きだと、取手は手前で足を止める。
「さっさと部屋に戻れ」
 不機嫌そうな皆守の言葉とともに、中から誰かがけり出された。
「……っ!」
 それが誰なのか、嫌でもわかってしまい、取手はその場で踵を返す。部屋に駆け戻りながら、今のは一体なんだったのだろうかと顔をゆがめた。


 制服のままベッドに転がり、取手は大きく息を吐く。
 目を閉じると、先ほど目にした光景が鮮明によみがえった。皆守の部屋から追い出されていたのは、間違いなく取手が想いを寄せている相手であろう。自分が、彼と他の者を見間違えるはずはないのだ。
 何故彼は、皆守の部屋から出てきたのだろう。あんな時間に部屋着のままあそこへいたということは、──昨夜彼は、皆守の部屋に泊まったということなのだろうか。
 友達同士で泊まりあうこと自体はそれ程珍しいことではないのかも知れないが、皆守はあまり自分の部屋に他人を入れたがらない人間だ。それなのに彼が出てきたということは、彼から押し掛けたということなのだろう。
「どうして……?」
 彼はとても社交的で、たくさん仲間がいることは取手も知っている。少しでも親しくなった人のところへは、マメに訪問していることも。
 それでも彼は、取手の部屋を訪れることだけはなかった。それ以外の場所では大抵一緒にいてくれたから、今まであまり考えないようにしていたのだけれど。
 そういえば、どこかへ誘うのもほとんど自分からで、彼から声をかけられることはあまりなかったような気がする。
 もしかして、彼は自分に対して興味がないのだろうか。断ったら悪いと思うからつきあってくれているだけで、ほんとうは。
 考えている内にどんどん哀しくなってきて、取手は無意識に涙をこぼした。
「葉佩くん……」
「取手くん!?」
「えっ」
 大きな音を立てて扉が開かれたかと思うと、あわてた様子で葉佩が飛び込んでくる。
「ど、どうしたの!?」
「それはこっちの台詞だってば、取手くん!」
 目を丸くして起きあがる取手に駆け寄ってくると、葉佩は取手の頬をなでた。
「顔色が悪い。泣いてるし……具合が悪いの?」
「えっ! ちがっ、これは……その」
 顔色が悪いのも、泣いているのも。具合が悪いわけではなく、ただ落ち込んでいるだけであって。けれど理由を言うわけにもいかず、取手は黙り込んだ。
 それをどう勘違いしたのか、寝ていたほうがいいと葉佩に横たえられる。
「あ、制服のままじゃ寝づらいよね」
 言葉とともに伸びてきた手に、取手は我に返って大丈夫だと首を振った。
「へ、平気だから……!」
 思いのほか強い口調になってしまい、不快な思いをさせてしまっただろうかと取手は内心焦る。
「もう。そんな気を遣うことないのに〜。オレと取手くんの仲じゃん」
 ねえと上目遣いに見つめられ、取手は顔を赤らめた。一体、彼の中で自分はどんな位置にいるというのだろう。
「ご飯食べた?」
「ま、まだだけど」
「何か作ろうか。お粥とかがいいかな」
 優しいまなざしを向けてくると、葉佩はふわりと微笑んだ。
「遠慮はなしね。オレも食べてないから、どっちにしろなんか作る気でいたし」
「え……と。じゃ、じゃあ、お願いしてもいいかな?」
「もちろん!」
 材料をとってくると、葉佩は部屋を出ていった。
 まさか。まさか、彼のほうから来てくれると思わなかった取手は、落ち着かない心臓をどうしたらよいのかと途方に暮れる。
 そうだ、彼が部屋に来てくれるだなんて、これが初めてのことで。散らかしていなくてよかったと、取手は胸をなで下ろした。
「お待たせ!」
「あ、お帰りなさい」
 両手いっぱいに荷物を抱えた葉佩を出迎え、とっさに出た言葉に恥ずかしさがこみ上げてくる。なんだか、これではまるで。
 荷物を持ってあげることさえ思いつかず、ひとり顔を赤くしている取手をよそに、葉佩はキッチンに立った。
 どこから持ってきたのか赤いエプロンを身につけ、慣れた手つきで野菜の皮をむいていく。あまりに手際のよい葉佩を手伝うこともできず、取手はうろうろと室内を歩き回った。
「なんだかさあ」
「う、うん?」
 鍋を火にかけながら、葉佩が口を開く。何か足りないものでもあったかと、取手は一心に葉佩を見つめた。
「なんか、こうしてるとあれみたいだよね」
「あれ……?」
「新婚さん?」
 にっこりと笑みを浮かべて振り向かれ、取手はその場で硬直する。
「しん……」
「あ、顔色よくなった?」
 真っ赤になった取手の顔を見て、葉佩が嬉しそうな声を上げた。
「は、葉佩くん……」
 恥ずかしいのといたたまれないのとで、取手は泣きたい気分になる。まさか、さっき自分も同じことを考えてしまったのだとは、言い出せずに。
 やがて出来上がった料理を机に並べ、二人で食事を開始した。
「美味しい……」
 ありあわせの材料で短時間に作ったとは思えないぐらい、どれも手が込んでいて取手好みの味付けをされている。
「ほんと? よかったー」
 ほっとしたように笑うと、葉佩も箸に手を伸ばした。食事をしていないというのは本当だったらしく、こちらも美味しそうに口に運んでいる。
「ご飯、食べなかったんだね」
「うん。だって、取手くんが来ないからさー。あ、責めてるんじゃないからね」
「え?」
 葉佩の口から不意に飛び出した自分の名前に、取手は目を見開いた。
「取手くん、毎日ご飯誘いに来てくれるじゃん? でも今日来なかったから」
「僕を……待っていてくれたの?」
「? うん。当たり前じゃない」
「……あたりまえ、なんだ」
 もしかして。もしかして彼も、自分が誘いに行くのを楽しみにしていてくれたのだろうか。自分が、彼と食事をすることを楽しみにしていたのと同じように。
「あー、でもよかった、調子戻ったみたいで。さっきなんて、ほんと顔色悪くてさあ。オレすっごい心配したんだから」
「ご、ごめん……」
「昨日、寒かったもんなあ。オレなんて、あんまり寒いから皆守の部屋行っちゃったし」
「……え?」
 問い返した取手の様子がおかしいことには気づかず、葉佩はにこにこと言葉を続ける。
「寒いから泊めてーっつったらすげえ嫌がられて。まあ最後は泊めてもらったんだけど、もしかしてうるさかったりした?」
「う、ううん。気づかなかった」
 やっぱり、葉佩は昨日皆守の部屋に泊まったのだ。予想していたこととはいえ、取手の胸が痛む。
 寒くて泊まったということは、二人で同じ布団にくるまって眠ったということだろうか。各部屋にベッドは一つしかないのだから、きっと多分、考えるまでもなくその通りなのだろう。
 何も、そう、自分が心配しているようなことなど、何もなかっただろうとは思うのだが、それでも嫌だと思う自分がいた。
「……取手くん?」
 急に黙り込んだ取手を不審に思ったのか、葉佩が顔をのぞき込んでくる。
「どうして、皆守くんなんだい?」
「え?」
「僕のところに、来てくれたらよかったのに」
「えっ」
 葉佩の驚いた声に、取手は慌てて自分の口を手で押さえた。そんなことをしても一度吐いてしまった言葉が戻るはずはないとわかってはいても、できればなかったことにしてしまいたい。
 こどもみたいなことを言ってしまったと、自分でも思う。葉佩は、一体どう思っただろうか。
 そっと盗み見ると、葉佩はなにやら難しい顔をしていた。
「ええと。それは多分、無理なんだけど」
「……そ、そうだよね……」
 はっきり無理だと告げられ、取手の顔が翳りを帯びる。ぎゅっと、力を込めて制服の裾を握り、逃げ出したい気持ちを堪えた。
「だってオレ、取手くんといると落ち着かないんだよね」
「そ、そう……」
 もう、何も言わないで欲しい。取手のそんな願いもむなしく、葉佩は更に言葉を紡いだ。
「なんか、どきどきしちゃって」
「……えっ?」
 まじまじと顔を見つめた取手に、きょとんとした顔で葉佩が首をひねる。
「あれ、違った? むらむらする、だっけ?」
「むっ」
 な、何を言っているのだろう、この人は。言葉に不自由はしていないはずなのだが、外国で生活していたためか、時折葉佩は妙な言葉を使うことがあった。
 果たして今の言葉は、そのままの意味で受け止めてよいものだろうか。
 まさか聞き返すわけにもいかず、また聞き返したところで明瞭な答えが返ってくるはずもなく、取手はひとり頭を抱えた。


【完】


2004 11/18