戸惑いを断ち切れ(皆守と葉佩)


 生徒の大半が帰省したため、寮内は時々時刻を知らせるチャイムが鳴るぐらいで、そのほとんどは静まりかえっていた。
 いつも通りの時間に起床した葉佩は、窓の外を見て目を丸くする。
「東京は雪が降らないって聞いたのになあ」
 昨日、空から白いものが降ってきていたことには気づいていたが、積もる前に溶けてなくなるだろうと思っていたのだ。
 道理で寒いはずだと、葉佩はベッドから抜け出すと暖房のスイッチを入れた。
 天香での探索は全て終えたが、協会から次の依頼はまだ届いていない。
 いつでも旅立てるようにと、部屋の中は最低限必要なもの以外、既に協会へ送ってしまっている。
 何もない室内を見渡し、とりあえず食事をとろうと年中無休のマミーズへ向かうことにした。


 葉佩の部屋は後から転入してきたためか、一人離れた場所をあてがわれていた。
 夜中抜け出すのには都合が良かったが、こうして一人になってみると、余計に寂しさを感じるような気がする。
「さみしい、か」
 廊下を歩きながら、葉佩はひとり呟いた。
 この職業についてからというもの、一人で行動することが多かったし、そんな感情は捨ててきたつもりでいた。──いや、元から自分には備わっていないようなつもりでいたのだ、きっと。
 日本へきて、葉佩はいろいろな経験をした。そのどれもが、葉佩にとっては初めてのものだった。
 まず学校へ通うということ自体が初めてだったし、同年代の知り合いができたのも初めてだった。
 友達と呼べる存在、仲間というものを意識したのも、初めての経験だ。
 ハンター仲間というものもいるにはいたが、同じ遺跡に潜ることになった途端、相手はライバルへと名前を変える。
 どうやって出し抜こうとか、いつ裏切られるかとか、そんなことを意識せずともよい仲間──そこまで考えて、葉佩は苦笑した。
「あー、そっか。裏切られは、したんだっけ?」
 一番の親友だと思っていた彼に、その正体を告げられた瞬間。
 そのことよりも、それを全く予想もしていなかった自分自身に対して、葉佩は驚愕したのだ。
 一体いつから自分は、警戒心というものをなくしてしまったのだろうか。
 許せないと思ったのは、何か隠しているだろうと勘づいていたのにも関わらず、無防備に信じ込んでいた自分自身に対してだった。
 目にするもの全てを疑ってかかるようでないと、やっていけない商売だというのに。
「ぬるま湯につかりすぎた、ってやつかなあ」
 ちょうどいい時期かも知れない、この学園から立ち去るには。
 協会からのメールを受信したことに気づいて、葉佩はH.A.N.Tの入ったポケットへ手を差し入れた。


 食事を終えた葉佩は、学校の屋上へ上った。
 休み中の校内への出入りは禁じられていたが、鍵を持つ葉佩には関係のないことだ。
「見納めだし、いいよな」
 雪を踏みしめ、そういえば初日の出を見逃したと思いながら、葉佩はフェンスへと近づく。
 ここからは、葉佩の関わった全ての建物を見下ろすことができた。
 その一つ一つに思いをはせていると、誰もいないはずの校舎から、足音が届く。
 誰なのかは、顔を見なくともわかった。
 葉佩は足下の雪を手で丸めると、扉を開けた相手めがけて投げつける。
「おっと」
 すんでの所でかわして、相手はそんな新年の挨拶があるかと肩をすくめた。
「裏切り者には、それでじゅーぶんだろ?」
「いくらなんでも、その呼び方はねえだろ? 九龍」
 笑いながら舌を出した葉佩に、しかめっ面で皆守が近づいてくる。
 少しの距離を置いて立ち止まると、皆守は視線を落とした。
「まだ……怒ってんのかよ」
「別に。怒ってる訳じゃない」
「そうは見えねえけどな?」
 つま先で雪を蹴りながら、皆守は扉のほうをあごで示す。扉には、葉佩の投げた雪玉の跡が残っていた。
「オレは怒ってるつもりはないよ。もしそう見えるんだとしたら、それは、皆守がオレに悪いことしたと思ってるからだろ」
 そっけなく言い放つ葉佩に、勢いよく皆守が顔を上げる。
 普段通りの葉佩の表情をまじまじと見つめ、皆守は肩を落とした。
「ほんとに、その通りなんだろうな」
 皆守に背を向けると、葉佩は墓地のあるほうへ目線を向ける。
「謝ってすっきりするなら、聞いてやってもいいけど?」
「そんなの……、ただの自己満足じゃねえか」
 ぽつりと吐き捨てると、皆守が葉佩の隣に立った。
 どのくらいの時間が過ぎたのか、沈黙に耐えかねるように皆守が口を開く。
「……行くのか」
「ああ」
 依頼が入ったからと、なんの感慨もない口調で葉佩は言った。
「お前は、なんでハンターなんかやってんだ?」
「……なんかそれ、前にも聞かれたような気がするんだけど」
「いいじゃねえか」
 今度は明確な答えを聞くまで逃がすつもりはないと、皆守は答えを促す。
 墓地から視線をはなすと、葉佩は大きく伸びをしながら皆守を振り返った。
「取り戻したいものが、あるんだ」
 あのときはわからなかったけれど、自分がこの職を選んだ理由の大半は、きっとそれだったのだろう。
 それは遺跡を巡れば必ず見つかるとも言えず、むしろ見つからない可能性のほうが高いかも知れない。
 それでも、普通に生活をするよりは可能性があるのだと、葉佩は信じていた。
「そうか」
 一体それがなんなのかは聞かず、皆守はそれだけ言うと片眉をあげる。
 もう言うことは何もないと、葉佩は校舎内へ戻る扉へ向かって歩き出した。
 その背に、皆守が声をかけてくる。
「気づいては、いたんだ。お前が、何かを探していることに」
 足を止めずに、葉佩は扉へ手をかけた。
「お前さえよければ、その手伝いをしたいと、思ってる」
 言葉を返さないまま、葉佩は校内へ入って扉を閉める。
 葉佩は、一歩ずつ力を入れて階段を下りていった。
 そうしないと、今にも駆け戻ってすがりついてしまいそうだったのだ。
「だから、一人でよかったんだ」
 自分の手を取れと、葉佩は誰もに言ったけれど。自分は、誰の手も取るつもりなどなかった。
 誰も連れていく気がないのなら、馴れ合いなど必要ないと最初からはね除ければよかったのだろうか。
 皆守は、どんな想いで、どんな顔をして、去りゆく自分へ言葉をかけてくれたのだろう。
 けっして受け入れられるはずがないとわかっていながら、それでも言わずにはいられなかったであろう皆守の心情を想像して、葉佩は大きく息を吐く。
 震える吐息に、葉佩は自分が泣きそうになっていることに気づいた。


【完】


2005 01/03