苛立ち(夷澤と葉佩)


 見慣れた後ろ姿に違和感を覚え、夷澤は一人首をかしげた。屋上へ続く階段を上がっていくのは、恐らく一つ上の先輩にあたる葉佩だろう。
 何をおかしいと感じたのかは、すぐにわかった。葉佩が、珍しく一人でいるのだ。それをおかしく感じた自分に、夷澤は腹を立てた。
 これでは、まるで葉佩が常に皆守といることを気にしているみたいではないか。全くもってその通りだったが、夷澤としては認めるわけにいかなかった。
 それでも、今日に限って一人でいる葉佩が気になって、夷澤は無意識に葉佩の背中を追いかける。断じて、話しかけるチャンス、などと思ったわけではない。誰に言い訳しているのか、そう胸の内で主張しながら。


 屋上へ出る扉の手前で、夷澤は足を止めた。葉佩が、皆守と屋上で待ち合わせをしている可能性があることに気づいたのだ。二人揃っているところにわざわざ割り込んでいくのも、ばからしい。
 夷澤は、皆守の何もかも見透かしたような目が苦手だった。
 しばらく扉の前で気配をうかがったが、特に話し声のようなものは聞こえない。少し迷って、夷澤は扉を開けた。
 季節は冬だったが、今日は天気も良く風が吹かなければ暖かい。葉佩の姿を捜して、夷澤は屋上を見渡す。
 目に付く場所には見あたらず、夷澤は端のほうまで歩いていった。建物の影で、目当ての人物を見つける。
 葉佩は、壁にもたれて目を閉じていた。寝ているのかと一旦は引き返そうとしたものの、葉佩の寝顔など滅多に見られるものではないと、夷澤は傍らに屈み込んだ。
 印象的な目が閉じられている分、なんだか幼く感じられる。この人は、こんなに小さかっただろうか。
 自分よりは背丈があることはわかっているが、それでも遺跡の中で前を歩いているときより、はるかに小さく見えた。
 手のひらを重ね合わせてみて、さほど大きさが変わらないことに驚く。この手で、彼は銃を構え、剣を握るのだろうか。幾つか豆が出来ている以外、自分となにひとつ変わらないというのに。
 体格だって、それ程いいわけではない。どうしてこんな身体で、あれ程の動きが出来るのだろう。夷澤も何度か遺跡探索についていったことがあるが、彼の身のこなしは隙がなく、少しも無駄というものを感じさせなかった。
 一体どういう経験を積めば、あんな風になれるのだろう。この身体のどこに、秘密が隠されているのか。
 そういえば、彼とは一度浴場で一緒になったことがあるが、あの時は眼鏡もなくよく見えなかった。
 きっちりと第一ボタンまでとめているこの制服の下は、どうなっているのだろう。
 一度気になり出すと止まらないのは、夷澤の性分だ。未だ眠ったままの葉佩を横たえると、上から順にボタンを外していく。真っ白なシャツ越しに、心臓が規則正しく動いている。
 さすがにこれ以上脱がせたら起きるだろうか。まあ、その時はその時だ。彼のことを知りたいという欲求をおさえきれず、夷澤は手を動かし続けた。
 シャツの下に更に着込んでいたTシャツをめくり上げると、ようやく目的のものが姿を現す。
 健康的な色の肌に、適度についた筋肉。やはり、それは自分が持っているものと何ら変わりなく思えた。ただ、一点を除いて。
 肌に刻まれた、切り傷なのかそれとも他のものなのか判別のつかない無数の傷跡。それは、彼が今までくぐり抜けてきたものの凄まじさを物語っていた。
 どうして彼は、ここまでしてトレジャーハンターなどという職についているのだろうか。一体、何が目的で。
 ゆっくりと、夷澤は傷跡を指で辿っていく。そのひとつひとつに、自分がいればこんな傷などつけさせはしなかったと、苛立ちを感じながら。
 腹まで辿ったところで、その下がどうなっているのか見たくなった。
「さすがに、外で全部脱ぐのはどうかと思うんだけど」
 夷澤がベルトに手をかけると、制止の声が聞こえた。いつの間に目を覚ましたのか、葉佩が困ったような顔でこちらを見ている。
「いいじゃないすか、別に」
「いやよくないだろ……って、さーわーるーなっ!」
「いてっ」
 容赦なく手を蹴り飛ばされ、夷澤は仕方なく立ち上がった。葉佩が服を整えるのを見届けると、その頬をなで上げる。
「なにかな、この手は」
「さあ。なんでしょうね?」
 じっと見下ろされ、夷澤はなんだか不愉快な気持ちになった。
「目、瞑ってください」
「なんで」
「見下ろされるの、嫌いなんで」
「……」
 一瞬渋い顔をして、葉佩が目を瞑る。やっぱり、こうしていると普通の学生にしか見えないのに。
 それでも、先ほど目にした傷跡が、葉佩は自分とは違う世界で生きている人間なのだと認識させた。
 イライラする。
 ムカつく。
 殴ってやりたい。
 葉佩が、自分と異なることに腹が立つ。
 このまま本当に殴り飛ばしてしまえば、気が済むのだろうか。夷澤には、わからなかった。
 考えてもわからないなら、実行してしまおう。
 夷澤は、腕を振り上げるかわりに唇を押しつけた。


【完】


2004 10/10