安眠妨害(夷澤と葉佩)
簡単に昼食をとった後、少しでも眠っておこうと葉佩は生徒会室へ来ていた。
事前に確認していた通り役員が不在であるそこへ、貰った鍵を使って忍び込むと、ふかふかのソファーを前に、葉佩は満足げにうなずく。
これなら、保健室のベッドに勝るとも劣らない安眠を得ることができるだろうと思ってのことだ。
「皆守じゃないけど、眠いものは眠いんだよな」
職業柄、短時間での睡眠に慣れてはいたが、こうも続くと頭が鈍って仕方がなかった。
遺跡の中では、僅かな反応の遅れが命取りになるのだ。
「30分は眠れるな」
壁に掛かった時計を確認し、葉佩はソファーに横になる。脱いだ上着を頭からかぶると、そのまま意識を手放した。
何者かの気配を感じ、葉佩は目を覚ます。相手が誰かまではわからないが、少なくとも敵対している者ではないようだ。
なんだか苛々しているような気配に、もしかして生徒会室を使う用事でもあったのだろうかと葉佩は身を起こした。
一人がけのソファーに座っていた相手が、こちらを振り向く。
「……夷澤?」
「……なんすか、その意外そうな顔」
思わず目を丸くした葉佩に、不愉快そうに夷澤は顔をゆがめた。
「や、別に。つか、何お前、ここ使うの? オレ邪魔だった?」
それは申し訳ないことをしたと、内心頭を下げながら葉佩が出ていこうとするのを、夷澤が引きとめる。
上着を持った腕を、強く掴まれた。
「なんだよ」
「なんで、逃げんすか」
「はあ?」
どこか拗ねたような口調の夷澤に、何を言っているんだこいつはと葉佩は怪訝な顔で向き直る。
こつりと、夷澤の額が葉佩の胸に押しつけられた。
「お前、なに。……甘えてんの?」
「逃げなくても、いーじゃないっすか」
人の話を聞いてないらしい夷澤に、一つため息をついて、葉佩はどうしたものかと視線を巡らす。
黙り込んだまま、夷澤がぐいぐいと葉佩の背を抱く腕に力を込めてきた。
「お前なあ。オレがいつ、逃げたっつーんだよ?」
このままでは埒があかないと、葉佩は仕方なく夷澤の頭を抱え込み、数回叩く。
夷澤が、いやいやをするように頭を振った。
「だってオレ、メールしたのに」
「メール?」
「昼食、一緒に食べましょうって。メール」
「……あー」
そういえば何かメールが届いていたような気もしないでもないが、とりあえず寝ることしか頭になかった葉佩は、中身を確認せずに放置したままだ。
「メールかあ。協会からじゃなかったから、見てなかったや」
あはは、と笑う葉佩に、ぎっと音がしそうな勢いで夷澤が顔を上げる。
「見てください! 協会からじゃなくても、見てください!」
「あー。ごめんごめん。悪かったって」
それで逃げられたと思ってたのかと葉佩が頭をなでてやると、夷澤は目つきだけは険しいものの、どこか嬉しそうな表情になった。
「セットが乱れるんで、やめてください」
「いやお前、今嬉しそうな顔したって、絶対」
「してないっす」
頑なに言い張る夷澤に、軽く苦笑してみせると、葉佩はそれでと促す。
「それで、オレに逃げられたーって、捜してたわけ?」
「……」
「なんだよ、今更黙秘権行使?」
うりうりとこめかみを突いてやると、夷澤はうんざりという顔を作って口を開いた。
「捜しましたよ、そりゃあ。誰に攫われたのかと思って、あちこち駆けずり回りました」
意外と素直に答えた夷澤の、だが内容に納得がいかず、葉佩は釈然としない面もちになる。
「なんでオレが攫われなきゃなんねーんだよ」
「だってアンタ、得意じゃないっすか、攫われんの」
いかにも当然のことのように言い放つ夷澤に、もしかして自分が間違っているのだろうかと一瞬だけ考えた葉佩は、いややっぱり身に覚えがないぞと首を傾げた。
「オレが、いつ。誰に、攫われた、って?」
一言ずつ区切るように言うと、葉佩はまじまじと夷澤の顔を見下ろす。
「しょっちゅう。あの人とかあの人とか、あの人とか。気づいたらついてってるじゃないですか」
「や。待て待て待て? いくらオレが人より優秀な頭脳を持っているとはいえ、そんな表現されても、ちっともわからないんですけれど?」
眉をひそめた葉佩に、何かを言いかけた口を閉じると、夷澤は再び抱きついてきた。
「いいっす、わかんなくて」
「おーい。何ひとりで完結しちゃってんのかなあ、お前は」
それきり口を閉じてしまった夷澤を胸に、葉佩は小さくあくびをする。
「しょーがないから、抱き枕にでもしてやるよ」
「は!?」
葉佩は、慌てふためく夷澤を抱いたまま再度ソファーに転がった。
「ちょっ、何考えてんすか、アンタ……!?」
「残念ながら、安眠妨害をしてくれちゃった夷澤くんに拒否権はありません」
実はこう見えて、昼寝を邪魔されたことを内心怒っていたりする葉佩は、それでも抱き枕で赦してやるのだから、つくづく自分は夷澤に甘いと思う。
でもなあ、あんなかわいい理由で捜し回ってくれたらしい相手を、どうしたら突き放すことができるだろうか。
今度こそ安眠を得るべく、葉佩は目を閉じた。
【完】
2004 11/25