部屋とクーラーとオレ(夷澤と葉佩)


 寮内に響き渡った音楽を聞いて、夷澤は名簿を片手に部屋を出た。これから全ての部屋を回り、生徒たちが門限を守っているか確認してまわらねばならない。
「ったく、こんなの執行委員にでもやらせればいいのに……」
 何故、補佐とはいえ生徒会の役員である自分がこんな役目を担わなければならないのだろう。夷澤は、自分が会長になった暁には、絶対こんな仕事は他に押しつけてやると固く決意した。
 他の学校に比べれば天香学園の生徒総数は少ないのかも知れないが、それでも男子だけで200名近くの生徒がいるのだ。全ての部屋を回るだけで、かなりの時間を要することになる。
 大抵の生徒は夷澤が回ってくるのを待っているのだが、中には消灯を前にすっかり眠り込んでしまい、ノックしたぐらいでは出てこない者もおり、確認するのに手間取ることがあった。
「殺す。絶対殺す……」
 ようやく作業が終盤にさしかかった頃、夷澤の苛立ちはピークに達していた。ひとり殺気を放ちながら、次の扉をノックする。
 少しの間の後、扉が中から開かれた。
 声をかける前に、伸びてきた腕によって夷澤は室内に引きずり込まれる。身動きがとれないよう関節をきめられ、夷澤は何が起こったのかと混乱した。
 目の前で扉が閉まり、ご丁寧に鍵までかけられる。
 このまま、どうにかされてしまうのだろうか。
 そんな想像が頭をよぎったとき、背後から脳天気な声が届いた。
「あれ? な〜んだ、夷澤じゃん」
 言葉とともに、あっさりと解放される。
「なっ、あ、アンタ……! 何考えてんすか!」
 苛立っていた夷澤は気づかなかったが、どうやらここはつい先日まで敵対関係にあった葉佩の部屋だったらしい、振り向くとにこやかに手を振られた。
「や、だーって。思い切り殺気放ってたからさあ。敵襲かなあ、と思うじゃん?」
 オレは悪くない、と胸を張る葉佩に、怒りが沸いてきた夷澤は勢いのまま詰め寄る。
「アンタ、オレの気配ぐらいわかんないんすか!?」
「……びみょう」
「微妙ってなんすか、微妙って! 何回遺跡に同行したと思ってんすか!?」
 夷澤が力を貸すと言ってから大して日が経ってないというのに、同行した回数は既に二桁に上っていた。葉佩は、自分が戦う姿もじゅうぶん知っているはずだ。
 それなのに、いくら扉越しとはいえ、自分だと気づかないばかりか、敵だと勘違いするとはどういうことか。一体この人は、自分をなんだと思っているのだろう。
「もういいっすよ。どうせ、オレなんていてもいなくても同じってことっすよね!」
 葉佩が言葉を挟む隙を与えないまま、夷澤は怒りにまかせて続ける。
「もう、アンタなんかに協力してやりませんから!」
「だめ!」
 言い捨てて帰ろうとした身体を、後ろから引き止められた。先ほど拘束されたときのように身動きを封じられた訳ではないのに、何故か先ほどより必死に感じられるのは、掴んでくる指先が微かに震えているせいだろうか。
「だめ、だめだって。オレ、夷澤がいなかったら……」
 まるで泣いているような声音に、夷澤は足を止める。続きが、気になった。
「いなかったら……? オレがいなかったら、なんですか」
 夷澤がわざと冷たい口調で言うと、制服を掴んでくる葉佩の指先に、更に力がこもる。
「夷澤が、いなかったら……」
 なんだか、時間の流れが遅くなったように夷澤は感じた。どくどくと、身体中が心臓になったように、うるさくて仕方がない。
「……溶岩のとこで、暑くて死ぬだろ、オレ」
「……」
「……」
「……」
 夷澤は、無言で部屋を後にしようとした。
「離してください!」
「いーやーだー!!! 絶対離すもんかーーーーーー!!!」
「オレはクーラーじゃないって言ったでしょうが!!」
「似たようなもんだろーーーーー!!」
 人間と冷房を一緒にするとは、一体どんな思考回路をしているのか。ぎゅうぎゅうと遠慮なく締め付けてくる両腕に苦戦しながら、夷澤はなんだか泣きたくなる。
「もう、いーかげんオレだって寝たいんすから!」
「まだ22時だよ!? これからが夜本番だよ!? 寝てどうすんの若者が!」
「とっくに消灯時間過ぎてます!」
「堅いこと言うなよ〜」
「生徒会役員が堅くなくてどーすんすか!」
 夷澤は抵抗を続けたが、力の差なのか、どんどん部屋の奥へと引きずり込まれていった。
「ちょっ、離してくださいってば!」
「もー、あんまりうるさいとお仕置きするぞ?」
「はあ!? なんでオレが……っ」
「いいから黙って聞け!」
 無理矢理ベッドの上に座らされ、夷澤は目の前に立ちはだかった葉佩を見上げる。ぺちぺちと夷澤の頭を叩きながら、葉佩は視線をあちこちに彷徨わせていた。
「オレは、こう見えても暑さに弱いんだ。なんせ冬生まれだしな」
 それがどうした、と内心思いながらも、夷澤は言われたとおり黙って聞く。
「さすがに遺跡の中じゃ騒いだりしないけど、ほんとうは、暑いんじゃぼけー!って叫びながら素粒子爆弾をばらまきたいぐらい、暑いのが嫌いだ」
「……」
 だんだん物騒な話になってきたぞと思いつつ、夷澤は黙っていた。
「だから、たとえ夏じゃなくても、ちょっとでも暑いと感じたら、オレはクーラーをつける」
 なんて不経済な、と夷澤は顔をしかめる。
「もはやクーラーなしでは生きていけないと言っても過言ではないだろう」
 そこで言葉を切ると、葉佩は何故か照れたような顔で夷澤を見下ろしてきた。
「わかるだろ?」
 いやさっぱり、という気持ちを込め、夷澤は首を振る。それを見た葉佩の顔がゆがんだ。
「なんでわかんないんだ! だからオレは、夷澤がいないと生きてけないってゆってんだろうが!!! さっきから!!!!!」
 一体いつの間にそんな話になっていたのか。夷澤は、何を言っているのだこの人は、と目を丸くする。
 葉佩が、むっとしたように口をとがらせた。
「ひ、人がここまで言ってやってるのに、なんのリアクションもなしか! もういい、オレは扇風機とともに生きてゆく!」
 机に置いてあった小型扇風機を胸にかき抱くと、葉佩はそのままどこかへ走り去ろうとする。とっさに夷澤は立ち上がると、葉佩の腕を掴んで引き止めた。勢いで、背後から抱きしめる形になる。
「は、はなせよ……っ!」
 言葉の代わりに、夷澤は腕に力を込めて意思表示をした。相変わらず心臓は落ち着かなかったが、それは葉佩も同じらしいと気づいて安堵する。
 自分よりも背の高い葉佩の肩に額を押しつけると、宥めるように腕をさすってやった。
 いつもとは逆の立場であることに心が弾むのは、自分の気のせいだろうか。
 やがて落ち着いたのか、葉佩がぽつりと呟く。
「だから……オレは、お前がいないと、だめなんだって……」
「……」
「……なんか、言えよ」
 こんな状況で、自分の気持ちなどとうにわかっているだろうに、それでも言葉を求めてくる葉佩がおかしくて、──そこまでこの人に想われているのだという事実が嬉しくて、夷澤は微かに笑った。
「な、なに笑ってんだよ!」
「黙って聞けって言ったのは、アンタでしょうが」
「……っ! そんなん、臨機応変に対応すればいいだろ! お前は言われたとおりにしか動けないのか! この教科書人間!」
 その後も夷澤を罵倒する言葉が続いたが、照れ隠しだということがわかっていたので、全く腹は立たない。
「そんなオレがいないと生きてけないのは、どこの誰っすか?」
「お前なあ……。いい加減にしないと、泣くぞ!」
「……どんな脅し文句っすか、それ……」
 むしろ泣かせてみたいんすけどと思いながらも、お楽しみは後にとっておくことにして。
「オレも、アンタがいないと生きてけないんで。一生、そばにいてくださいよ?」
 とりあえず、そう耳元でささやいてみた。


【完】


2004 12/05