理由(皆守と葉佩)
先刻の様子が普段と違っていたような気がして、皆守は葉佩の部屋を訪ねた。ノックをしたものの、一向に返事は返らない。
「さっきの今で寝たってことはないよな……」
遺跡に潜り、執行委員の一人と戦闘を行った。それはとても激しいものだったが、風呂にも入らず寝てしまうほど疲労したとは思えない。
──大丈夫か?
地上へ戻る途中、思わずそう聞いてしまったのは、葉佩が泣いているような気がしたからだ。
前を、常に誰よりも前を歩く葉佩の背中が、いつもよりひとまわりもふたまわりも小さく感じられて。小刻みに震える肩に、泣いているのだと思った。
だが振り向いた葉佩の顔は、いつものそれと何ら変わりはなかった。
──特に怪我はしていない。
そう返されて、自分が気にしているのはそんなことではないと言えなかった。あいつが隠そうとしていることを、無理矢理暴くような真似はしたくなかった。
いや、本当は怖かったのかも知れない。聞いても教えてもらえないかも知れないことが。
お前には関係ないと、切り捨てられることが。
「九龍……」
扉に手をかけ、皆守は小さく呟いた。
「葉佩くんなら」
「……っ」
突然かけられた声に振り向くと、いつの間にやって来たのか取手が立っている。表情の読めない顔で、口を開いた。
「さっき、外に出るのが見えたけど」
「外に……? 遺跡に向かった時じゃなくて?」
「帰ってきた後。多分、中庭にいるんじゃないかな? 彼は、いつもそうだから」
訳知り顔の取手に、皆守は動揺を隠せない。
「お前は、……知ってるのか?」
葉佩がおかしかった理由を。自分の知らないあいつを。
皆守から目を逸らすと、取手は僅かに首を振る。
「直接、彼に聞いたわけじゃない。僕が勝手に心配して見に行ったんだ。彼は誰かと戦った後はいつも、……きっと僕と戦った後もそうだったんだと思う。ひとり、暗い場所で膝を抱えているんだ」
あいつが。遺跡の中では常に冷静で、淡々と物事をこなすあいつが。敵対する執行委員と対峙した時だって、あいつはただ、哀しげに目を伏せるだけだ。
その葉佩が、ひとりで子どものように座り込んでいるだなんて、皆守には想像が出来なかった。
「君なら、彼に言葉をかけてあげられるんじゃないかな。ううん、かけてあげて欲しい。……僕には、無理だったから」
きゅっと唇を結び、取手はそれきり黙り込んだ。ただ静かな目で、皆守を見つめてくる。
皆守は、何かを言わなくてはならない気がして口を開いた。
「俺は別に、そんな大したモンじゃない。あいつを慰めてやれるような言葉を、持っている訳でもない」
だが、それでも。あいつが、ひとりで何かを抱え込んでいるというのなら。
「……行ってくる」
「うん」
気持ちが伝わったのか、取手は一つ頷いて皆守を送り出した。
中庭といっても広さはそれなりのもので、捜すのに苦労するかと思われたが、葉佩はすぐそこにいた。石段に腰掛け、揃えた両膝に手を置いてその上に頭を伏せている。
自分が来たことになど、とうに気づいているだろうに、何も反応はなかった。
これは、一人にしておいてくれということなのか。声をかけられなかったという取手の気持ちが、皆守にもわかったような気がした。
もしも葉佩に拒絶されたら、自分は耐えられるだろうか。彼が屈託のない笑みを見せるのは、日の光の下でだけだ。今、月明かりの下では、どんな対応をされるかわからない。
微動だにしない葉佩の背に、一歩、また一歩と近づいていく。
あと一歩というところで、葉佩が首を振った。
「来ないで、くれないか」
それが、命令ではなくお願いであったことに、皆守はいささか安堵する。パイプをくわえ直すと、どうしてと訊ねた。
「今、一人反省会中だから」
「反省会?」
思ってもみなかった言葉が返ってきて、皆守は目を丸くする。落ち込んでいるのかと思ったが、どうやら反省しているだけらしい。
なんだか拍子抜けして、皆守は視線をあたりに巡らせた。
「そ。あのトラップは発動前に回避できたんじゃないかとか、あそこはもっと手際よく倒せたんじゃないかとか、……どうして、戦う前に説得できなかったんだろう、とか」
「九龍……」
目を見張る皆守の前で、葉佩はゆっくりと顔を上げ、振り向いた。その顔には、なんとも言えない笑みが浮かんでいる。
「言葉持たぬ≪化人≫を倒すことに、躊躇いはない。時には人を撃つ必要もあるのだと、協会で教わった。でもそれは、秘宝を巡って争う相手に関してのことだ。……あいつらは、違う」
あいつらというのは、今まで戦ってきた執行委員達のことを示しているのだろう。
くしゃりと、葉佩の顔が歪んだ。
「言葉は、通じるのに。話せばわかる、だなんて理想だということはわかってる。それでも、戦うことでしか理解し合えないのが、……つらいんだ」
今にも泣き出しそうな顔で、それでも葉佩は泣かなかった。
「所詮、自分はただのトレジャーハンターで。秘宝を手に入れることにしか能がないんだって、思い知らされる」
一息に言うと、葉佩は再び背を向けて顔を隠してしまう。一瞬ためらって、皆守は隣に座り込んだ。
葉佩の震える肩を引き寄せ、乱暴に頭をかき混ぜてやる。
「それでも、いいじゃねえか。戦うことででも、理解し合えるなら。なにひとつわかりあえず、袂を分かつよりは。ずっと、マシだ」
強く、強く葉佩の身体を押さえ込んで、皆守は胸を痛めた。
自分がこんなことを言うのは、果たして本当に葉佩のためなのだろうか。
いつか必ずやってくる、葉佩と敵対する日。
それが無駄なことではないのだと、葉佩にとっても意味のあることなのだと、思って欲しいだけなのではないだろうか。
何も言わない葉佩の身体を、皆守はいつまでも抱いていた。
【完】
2004 10/08