あやまち(皆守と葉佩)


 浮かんだ笑顔も、かけられる言葉も、以前となにひとつ変わらないのに。変わらないことが、ただただ哀しかった。


 音を立てて吹き付ける風に、葉佩が身を震わせた。両手で自分を抱いて、しかめっ面でこちらを見遣る。
「みーなかみっ。寒いんだけど」
 屋上の手すりに手をかけたまま、皆守はちらりと横目で葉佩を見た。
「寒いなら戻ればいいだろう」
 校舎の中には、葉佩の帰りを待つ者がいくらでもいるはずだ。
 皆守の素っ気ない返答に、葉佩が口を尖らせる。
「戻るなら、一緒にだろ」
 くいくいと、制服のすそを引っ張られた。その手を外させると、皆守は身体ごと葉佩を振り向く。
 ようやく戻る気になったのかと、葉佩が口の端をあげた。
 こうして向けられる笑顔は、自分の身を案じる言葉は、変わらないのに。何も変わっていないことに、皆守の胸が痛む。


 あの日、あの場所で。皆守は、墓守という役目から解放された。目の前にいる、葉佩のお陰で。
 副会長という役職についていることを隠し、親友という立場から葉佩をずっと監視していたことを知ったはずなのに。葉佩は、なにひとつ文句を言わなかった。
 なにひとつ言葉もかけられず、それについては触れられず、二人は今またこうして以前と変わらない関係にある。
 それが、皆守の心を苛んでいた。
 裏切り者だと、責められたほうがまだマシだ。何故、なにも言わないのか。言う必要もないと思われているのか。
 葉佩の考えていることが、わからなかった。


 一歩進んだところで、葉佩が振り向く。手すりにもたれたままの皆守に、首をかしげた。
「皆守〜? 戻るんじゃないの」
「どうして、お前は」
「え?」
 突然なにを言うのかと、葉佩が目を丸くする。迷って、どうせ口にしてしまったのだからと、皆守は言葉を続けた。
「……どうして、責めない?」
 短い言葉だったが、葉佩には通じたらしい。
「皆守は、責められたいの?」
 静かな口調で問い返され、皆守は目を見張る。図星をつかれたような気がした。
 責められ、口汚く罵られれば、自分の気は済んだのかも知れない。それは決して、葉佩のためではないはずだ。
「九龍……」
 葉佩が、せつなげに目を伏せる。手を伸ばせば触れられる距離にいるというのに、何故か遠く感じられ、皆守は動けなかった。
「だってオレ達、理解し合えなかっただろう?」
「え?」
 何を思うのか、葉佩がきつく拳を握る。
「皆守が、言ってくれたこと。……覚えてるか? 中庭で、オレに」
「ああ……」
 いつだったか、執行委員と戦った後、一人中庭で膝を抱えていた葉佩に自分が言った言葉。
 ──それでも、いいじゃねえか。戦うことででも、理解し合えるなら。なにひとつわかりあえず、袂を分かつよりは。ずっと、マシだ。
 確か、そんなことを言ったはずだ。それがどうかしたのかと、皆守は葉佩に視線を戻す。
「オレ、皆守と戦わなくちゃいけなくなって、すごく哀しかった」
「……」
「でも、それでも、皆守が言ってくれたこと思い出して。この戦いを通じて、きっと自分たちは、もっとちゃんと理解しあえるんだって……」
「九龍?」
 顔を上げ、葉佩は笑った。その笑顔に、皆守は見覚えがあった。自分と対峙したあのとき、確かに葉佩は笑っていたのだ。あのときはわからなかったが、もしかして、自分と理解を深められることに対しての喜びだったのだろうか。
 不意に笑みを消すと、葉佩は首を振った。
「でもあのあと、皆守が阿門と残るって言ったとき、わかったんだよ。オレ達は、なにひとつお互いを理解することなんて出来なかったんだって」
「何を、言って……」
「だって、オレのことわかってくれたなら、オレがあのとき、どんな気持ちでいたかもわかったはずだろ? お前はあのとき、残されるオレのことなんか、これっぽっちも考えちゃくれなかった。お前は、オレのことなんて、どうでもよかったんだ」
 きっぱりと言い切られ、皆守は違うと言えなかった。今更否定したところで、葉佩の考えは変わらないのだと、その強い口調からわかる。
 そうだ。あのとき、崩れ落ちる遺跡の向こうで、泣きそうに顔を歪めている葉佩の姿を見たような気がした。思わず手を伸ばした自分の目の前で、葉佩は踵を返し、そばにいた取手の胸に飛び込んだのだ。震える葉佩の背を撫でる取手の手を、皆守は黙って見ていることしかできなかった。その場に残る自分にしてやれることなど、もうないのだと思ったから。


 自分を見据える葉佩に、皆守は何も言えずにいた。
 やがて、戻らない葉佩を心配したのか、取手が顔を覗かせる。
「風邪引いたら大変だよ。中に、入ろう?」
「あー。うん、そうだね」
 皆守と取手の顔を見比べると、葉佩は迷わず取手の手をとった。
「皆守も、早く戻れよ」
 それだけ言い残し、取手と並んで去っていく。
 葉佩の肩に自然とまわされた長い腕に、皆守は目眩を覚えた。


 あの場所に立っていたのは、自分だったかも知れないのに。
 自分は、どうして間違えてしまったのだろう。
 たった一度の過ちが、取り返しのつかない事態を引き起こすこともあるのだ。
 ありえたかも知れない未来を想像し、皆守はきつく目を瞑った。


【完】


2004 10/11