一緒にお風呂(墨木と葉佩)


 力強い腕が、墨木の身体を地上へと引き上げてくれた。墓地の一角を踏みしめ、墨木は腕の主を見遣る。
「ミッション終了ってか?」
 楽しそうに笑いかけられ、離れてゆく体温に一抹の淋しさを覚えながら、墨木は敬礼した。
「ご苦労様でありマスッ!」
「墨木も、お疲れさま」
 相変わらず楽しげに、葉佩はぴらぴらと手を振る。それから、天に向かって大きく伸びをした。
 月明かりの下で見る葉佩は、とてもきれいだ。意識せずとも浮かんだ考えに、墨木は慌てて首を振る。
「どうした?」
「な、なんでもないでありマス……」
 動揺の見える墨木に、葉佩が首をかしげた。しばしの沈黙の後、そうかと葉佩は顔を明るくする。
「寒いもんな。早く帰って風呂入ろう」
「はっ、はいっ」
 ゆっくりと歩き出した葉佩の後を墨木は追いかけた。


 寮のエントランスの鍵を元通りかけると、二人並んで三階まであがっていく。
 音を立てないよう廊下を歩きながら、葉佩が声をひそめて聞いてきた。
「そういえば墨木は、大浴場いったことあるか?」
「い、いえ……」
 天香學園には大浴場もあったが、人前でガスマスクをはずせない墨木が利用するのは、一人ずつ仕切のあるシャワー室のほうだった。それすらも、万一を恐れてひとけのない深夜に訪れることが多い。
「そっか。オレもこの間夜会の前に初めて行ったんだけどさ、なかなかよかったぜ」
「葉佩ドノも、いつもはシャワー室を利用されるでありマスか?」
 自分と違って、どこも隠す必要はないはずなのに、何故大浴場を利用しないのだろう。
「ん。風呂に時間かけてらんないし、それに……」
「それに」
 気になって、墨木は思わず顔をのぞき込んでしまった。葉佩が、驚いたように顔を引く。
「しっ、失礼したでありマス!」
「ああ、うん。別に」
 いつもとは違う固い表情に、怒らせてしまったのかと心配になった。
「でも、冬だし」
「ハイ」
「今日みたいな日には、ゆっくり湯船に浸かるのも悪くないよな?」
「自分もそう思うでありマス」
 確か大浴場は、朝まで入れたはずだ。遺跡探索で疲労しているであろう葉佩には、ぜひとも湯船に浸かって疲れをとって欲しいと、墨木は力強く頷く。
 すると、葉佩がにこりと笑って振り向いた。
「んじゃ、決まり! 部屋戻って用意したら、大浴場で待ち合わせなっ」
「ハイっ! ……えっ!? あ、あのっ」
 反射的に返答してから、言われた内容を理解して墨木はひとり焦る。止める前に、葉佩は自分の部屋へ入ってしまった。


 言われたとおり風呂の支度はしてきたものの、墨木は大浴場の前で立ちつくしていた。待ち合わせといったからには、きっと自分と一緒に入るつもりなのだろう、あの人は。自分がこのマスクをはずせないことは知っているはずなのに、どうするつもりなのか。
「悪い、待たせた?」
「あ、い、いえっ」
 背後から声をかけられ、墨木は振り向く。葉佩が、着替えを持った手を軽くあげた。
 脱衣場に入って、墨木はどうしたものかと葉佩を横目で見る。普段は衣服に隠れている部分が次第に露わになって、見てはいけないと思うのに目が離せなくなった。
「……気になる?」
「はっ、ハイ!? いえっ、そのッ」
 じっと見ていたことを葉佩に知られ、墨木はマスクの下で顔を赤くする。
 自分の身体をみおろし、葉佩が苦笑した。
「だからオレ、あんまこっち入らないんだよな」
「ハイ?」
「普通のこーこーせーは、こんな傷ついてないだろ?」
「あ……」
 言われてみれば、葉佩の身体には無数の傷跡がある。それはきっと、葉佩の職業柄仕方ないもので。
「自分は、誇りに思うでありマス」
「ほこり?」
「ハイ! その傷は、葉佩ドノが過酷な任務をこなしてきた証でありマス。だから、誇りに思うでありマス!」
「……ははっ」
 きょとんとした顔で墨木の言葉を黙って聞いていた葉佩が、不意に笑い出した。なにかおかしなことを口走っただろうかと、墨木は目を丸くする。
「ありがとうな、墨木。うん、やっぱり好きだ」
「は、はイッ!?」
 なんだか、さらりと凄いことを言われたような。呆然とする墨木に、葉佩はそうだと何かを差し出した。
「これ、は……?」
 黒くて、細長い布のようなもの。とりあえず受け取ったものの、これをどうすればよいのかわからず、墨木は葉佩をうかがった。
「これでさ、目隠しして」
「ハイ!?」
「あ、オレにね。そーすれば、マスクはずしても平気だろ? オレなんも見えないし」
「え、ええっと……」
 恩人である葉佩に対して、そんなことをしてもよいものだろうか。でもなんだか嬉しそうににこにこ笑っているし、これを拒否したらきっと彼を落胆させてしまうのだろう。そう思って、墨木は葉佩の言うとおりにしようと決心する。
「ええと、では、失礼するでありマス」
「うん。ぎゅーってやっていいよ」
 くるりと後ろを向いた葉佩に、墨木は痛くないよう気を遣いながら目隠しをした。
「これでいいでしょうカ?」
「うん、ばっちり」
 先に入っていると、恐らく扉に手をかけようとしたのだろう、葉佩が何もない空間に手をやって転びかける。
「葉佩ドノ!」
 咄嗟に手を伸ばし、墨木は葉佩の身体を支えた。
「大丈夫でありマスか?」
「う、うん。ありがとう」
「少し待って欲しいでありマス!」
 葉佩が大人しくしているのを確認すると、墨木は慌てて服を脱ぐ。少しためらって、顔のマスクも外した。
 葉佩の手をとって、浴場へ導く。いつもとは逆だと思って、墨木は微かに笑った。
 隣に座らせると、シャワーのコックに葉佩の手を持っていく。
「ここをひねるでありマス。石けんはここに」
「うん……」
 急にしおらしくなった葉佩に、墨木は首をひねった。見えないから、不安なのだろうか。
「葉佩ドノ?」
「あ、うん、なんか子どもみたいに扱われて、ちょっと恥ずかしいかなって」
「不快な思いをさせてしまったでしょうカ……」
「えっ、違うって、大丈夫」
 首を振って、葉佩はシャワーを浴びる。一人でも大丈夫そうだと判断して、墨木も顔を洗うことにした。
 大浴場といっても、旅館やホテルのそれ並みに広いわけではない。数人入ればいっぱいになってしまうであろうそこは、暖かで、なんだかとても居心地が良かった。それはきっと、誰よりも信頼している葉佩と一緒にいるからなのだろう。
 そんなことを考えながら身体を洗っていると、隣で何かを叩く音が聞こえた。
「葉佩ドノ?」
「墨木〜。せっけんどこ?」
 どうやら、手探りでせっけんを取ろうとして飛ばしてしまったらしい、葉佩が困ったような顔でこちらを向く。その顔があまりに情けなく映って、墨木は手助けしてやりたい気持ちになった。
「自分に背中を流させてほしいでありマス」
 言うが早いか、墨木は葉佩の背後に屈み込んで身体を洗い出す。最初はくすぐったそうに身じろぎしていたが、その内大人しくなった。
「なんか、ほんとに小さい子どもになった気分」
「葉佩ドノも、小さい頃はこうして洗ってもらったでありマスか?」
 子どもの頃はよく兄と一緒に風呂に入っていたことを思い出し、墨木はそう訊ねる。葉佩は一瞬言葉を詰まらせ、軽く首を振った。
「う〜ん。よく覚えてないな」
「そうでありマスか」
 泡を流し終えると、葉佩が礼を言う間もなく今度は頭を洗い出す。
「す、墨木〜?」
「自分に洗わせてほしいでありマス」
「いいけど……」
 自分とは違うやわらかな感触の髪に、墨木は丁寧に指を通した。いつもしてもらってばかりいる自分が、葉佩のために出来ることがある。それが、何よりも嬉しかった。


 並んで湯船に浸かると、葉佩はあらぬ方向へ向けて話し出す。
「さっき洗ってもらっててさあ、あんまり気持ちいいから寝そうになっちゃった」
「葉佩ドノはお疲れでありマスから……」
 見えないのだから仕方ないとはいえ、こちらを見ようとしない葉佩に墨木の胸は痛んだ。見られると逃げ出したくなるくせに、見てもらえないと淋しいだなんて。あまりにも自分勝手だと、墨木は自己嫌悪する。
「二人だけだと足伸ばせていいよな? 前入った時なんてぎゅうぎゅうでさあ。まあ、あれはあれで楽しかったけど」
 墨木もいつか皆と入れるといいな。そう言って笑う葉佩に、どうしようもなく自分を見て欲しくなって、墨木は肩を掴んで強引にこちらを向かせた。
「……墨木?」
「自分は、ここにいるでありマス」
「あー。悪い、声反響するから、いまいちどこにいるかわかんなくって」
 これじゃあトレジャーハンター失格かなと、葉佩が照れたように笑う。何を言えばいいのかわからず、墨木は黙っていた。
 しばらくの沈黙の後、肩を掴んだままだった腕をたどって、葉佩の手が墨木の身体に触れた。
「は、葉佩ドノ……!?」
「触ってもいい? って、もう触ってんだけど」
「え、ええと」
 意図がわからず墨木が固まっていると、葉佩の右手が頬を撫でた。
「触る、とは、顔のことでありマスか……?」
「え? うん。触ったら、なんとなくどんな顔かわかるかなあって」
「そ、そうでありマスカ……」
 輪郭をなぞる葉佩の指に、墨木はびくりと身体を揺らす。
「くすぐったい?」
「だ、大丈夫でありマス」
 思わず上擦ってしまった声が恥ずかしくて、今すぐにでも逃げ去りたかったが、真剣な顔の葉佩を置いていくことは出来なかった。
 どんな鍵でも開けてしまう葉佩の手が、今は自分に触れている。顔が熱を持ってしまうのは、こんなにも動悸が激しいのは、風呂に浸かっているせいだけではないのだろう。
 どうしてこんなに緊張してしまうのか、もう少しでその理由がわかるような気がした。
「目は……一重かな、二重?」
「ええと、」
「あ、いいよ言わなくて。いつか、見せてもらうときのお楽しみにしとく」
 ほんとうに嬉しそうに葉佩が笑い、墨木は一瞬見とれてしまう。その隙に、葉佩の指が唇を辿った。
「これは……墨木の、くちびる?」
 そう呟いた唇の動きに、墨木の腕が自分の意志とは無関係に動く。
「わっ!?」
 ざぶりと音を立ててこぼれ落ちる湯には構わず、墨木は葉佩の身体をかき抱いた。何が起こったのかわからないであろう葉佩に、自分の唇を無理矢理押しつける。初めての経験なばかりか、今の今までそんなことをしたいと思ったことすらなかったので勝手がわからず、墨木はただ夢中で貪った。
 抵抗する気配はなかったが、手を離したら消えてしまいそうな気がして、力を込めて葉佩の身体を押さえつける。
 どのくらいそうしていたのか、腕の中で葉佩がずるりと後ろに傾いた。
「……葉佩ドノ?」
「さ、酸欠……っ」
 つらそうに呼吸をし出した葉佩に、墨木は我に返る。自分は今、何をしていたのか。憧れの人を相手に、一体何を。
「し、失礼するでありマス!!」
「えっ、墨木!?」
 勢い良く立ち上がると、墨木はそのまま浴室を後にした。


 残された葉佩は、一体どんな結び方をされたのか一向に解けない目隠しをしたまま、どうやって部屋に戻ろうか途方に暮れる。
 結局自力で解くことはかなわず、皆が寝静まった頃を見計らって入浴しに来た鴉室に見つかってえらい目に遭わされかけたことは、また別の話。


【完】


2004 10/14