いつかきっと(取手と葉佩)


 単純に、知り合った時期が遅いからなのだと思った。クラスが違うことも、きっと理由の一つなのだと。


 今では恒例となった、彼と過ごす昼休み。マミーズのテーブル席で向かいに腰掛けた葉佩が、楽しそうに笑いながら話している。
 口べたな取手はただ聞いているだけのことが多かったが、葉佩は気にしないようだった。
「それでさ、皆守が〜」
「俺がどうしたって?」
「あ、皆守」
 二人より遅れて姿を現した皆守が、あらかじめ決まっていたことのように葉佩の隣へ腰を下ろす。無意識に目で追っていた取手は、皆守に何事か声をかけられ我に返った。
「ごめん、なに?」
 聞いていなかった取手が申し訳なさそうに問い返すと、皆守は呆れた顔で頭をかく。
「お前は……」
「いらっしゃいませ〜! ご注文をどうぞ」
 タイミング良く割り込んできた舞草のお陰で、取手がその続きを聞くことはなかった。
「何メニュー見てんだよ皆守。どーせお前はカレーに決まってんだろ」
「うるさい。ほっとけ」
 メニューを広げる皆守に、すかさず葉佩が突っ込みを入れる。その口元には意地悪げな笑みが浮かんでいて、取手はなんだか疎外感を覚えた。
「取手くん、どうかした? 食欲ない?」
 箸を止めてしまった取手に、葉佩が心配そうな視線を向けてくる。
「ああ、……うん、大丈夫。ちょっと量が多かったかな」
「取手くんて、あんま食べないしねえ。でも、その割に身体おっきいし。いいなあ」
 小柄と言うほどでもないが、それでも取手より十センチ以上低い葉佩が、羨ましそうな顔をした。
「あ。う、うん、えっと……」
 じっと見つめられ、その視線のまっすぐさに取手は動揺する。かちゃかちゃと、意味もなく箸を動かした。
「お前こそ、食わないなら貰うぞ」
「あっ! やめろよ! 誰も食わないなんて言ってないだろー」
 多分フォローしてくれたのだろう、葉佩の持っていたスプーンを取り上げた皆守が、意味深な視線をよこす。曖昧に頷くと、取手は箸を口に運んだ。
 とうに味などわからなくなっていたが目の前の彼に心配をかけたくなかったので、取手は機械的に口を動かし続けた。


 放課後、取手は一人音楽室にいた。ピアノを弾くでもなく、ただぼんやりと窓の外を見つめながら。
「どうしてなんだろう……」
「なにが?」
「わあっ」
 不意にかけられた声に、取手は飛び上がらんばかりに驚く。声をかけた葉佩も、取手のあまりの驚きように目を見開いていた。
「は、葉佩くん、来てたんだ。ごめんね、気づかなくて」
「いんや。オレこそ、なんかびっくりさせたみたいで悪い」
 頬をかきながら、葉佩が近づいてくる。取手のとなりに並び立つと、同じように窓の外を見つめた。
「なにか、面白いものが見える?」
 彼の目に映る景色は、きっと自分が見ているものとは異なるのだろう。そんな気がして、取手はそう問いかけた。
「どうだろう」
 そう呟いて、葉佩は取手を見上げてくる。一瞬目が合うと、それはすぐに伏せられてしまった。物怖じしない彼にしては珍しい態度に、どうしたのかと取手は首をかしげる。
「葉佩くん?」
「オレは、ただ、」
「?」
 葉佩は、一体自分に何を伝えたいのだろう。欠片もわからないことがもどかしくて、取手は一心に葉佩の唇を見つめた。
「ただ、取手くんが見ていたものが見たかったんだ」
「……え?」
 自分が葉佩の見ているものを知りたいと思ったのと同じように、彼も自分が何を見ていたのか知りたいと思ってくれたのだろうか。
 そう思った途端、取手の心臓は跳ね上がった。
「あ、あの、それって?」
 それでもきっと、彼の想いと自分の気持ちは同じではないのだと、取手は望みを捨てようとする。どうせ傷つくのなら、初めから期待などしてはいけない。そう、思っていても、声が震えて仕方なかった。
 葉佩の静かな目でとらえられ、取手は身動きが出来なくなる。
「取手くんは、オレといると何だかつらそうな顔をするから」
 葉佩の言葉に、取手は小さく首を振った。自覚がなかったわけではない。だが、それは彼と過ごす時間を苦痛に感じているからではないのだ。
「もしかして、昼誘ったり、迷惑だったならごめん」
 自分よりもつらそうな顔で、葉佩が俯く。そんな顔を、させたかったのではない。
「ちがう、ちがうんだ」
 そっと、禁忌に触れるかのように恐る恐る、取手は葉佩の肩に手を伸ばす。布越しに感じる体温に、自分はこれを求めていたのだと悟った。
「ただ、ずっと、気になっていて」
「うん」
「名前を……」
「え?」
 予想外の言葉だったのか、葉佩が顔を上げる。 
 取手にとってとても言いづらいことだったが、彼にこんな顔をさせているよりはと口を開いた。彼の目に映る自分の姿が、ひどく情けないものに見える。
「葉佩くん、僕のことをなんて呼ぶ?」
「とりでくん……?」
「皆守くんのことは」
「皆守?」
 それが、ずっと心に引っかかっていた。他人から見れば些細なことでしかないのだろうが、取手にとっては重要なことだ。
 単純に、知り合った時期が遅いからなのだと思った。クラスが違うことも、きっと理由の一つなのだと。
 その内、時が経てば自然と呼び捨てにしてくれるものだと信じていた。
 それなのに、いつまで経っても呼び方は変わらず、それが自分と彼とを隔てている壁のように思えて。
「僕のことも、……取手って、呼んで欲しかったんだ、ずっと」
 ずっと口に出来ずにいた願い。でもそれは、頼んで呼んで貰っても意味のないこと。彼の口から、自発的にそう呼んで貰いたかった。自分を、皆守と同じくらい特別な人間なのだと認識して欲しかった。
「あー……と。えーと、それは、だなあ」
 いつになく難しい顔をして、葉佩が小さく唸る。口元に手を当て、何かを考え込んでいるようだ。
「……ごめん。聞かなかったことに、してくれないかな」
 やはり、言わない方が良かった。胸の内で後悔しながら、取手は葉佩から手を離す。その手を、葉佩が引き寄せた。
「葉佩……くん?」
「オレは別に、皆守を贔屓してたとかじゃなくて。ただ、取手くんが最初から『葉佩くん』て呼んでくれたから、取手くんはそういう呼び方をする習慣があるんだと思って。そのほうが好きなんだと思って、それで、……取手くんって呼んでただけなんだけど」
 一気にそれだけ言うと、葉佩は照れたように顔を逸らす。言われた取手は、呆然と葉佩を見下ろした。
 彼は、意識して自分を隔てていた訳ではなく。むしろ、自分が喜ぶだろうと合わせてくれていただけだったのか。
 自分が考えていたより、ずっと。彼は自分のことを見ていてくれたのだ。
「あ、あの……、じゃあ、その……っ」
 言葉が見つからない取手をせかすでもなく、ただ葉佩は目を向けてくる。どれだけ時間がかかろうと、彼は待っていてくれるのだろう。それに勇気づけられ、取手は言葉をつむぐ。
「ぼ、僕も葉佩って呼ぶ……から、」
「じゃあオレも、取手って」
「あ、やっぱり駄目だ」
「え?」
 慌てて手を振る取手に、葉佩が目を丸くした。
「あの、ごめん。やっぱり僕、今すぐには、無理……みたいなんだ」
 呼び方ひとつで、これだけ意識してしまうのは、きっと相手が彼だからだ。
 顔を真っ赤にして謝る取手に、葉佩がくすりと笑いかける。
「ん。じゃあ、いつかきっと、な?」
「う、うん。いつか、きっと。ね」
 約束を交わして、ようやく取手は久方ぶりの笑顔を見せた。


【完】


2004 10/06