しあわせな夢(取手と葉佩)
夢を、見ていた。
やわらかな毛布にくるまって、あたたかなぬくもりを感じて。
そこには、僕を見てしあわせそうに笑う君がいて。
なんて、なんてしあわせな夢。
でもそれは、叶うはずのないこと。
だから僕は、夢なのだと思った。
──取手くん。
夢の中の君が、僕の名前を呼んだ。
とても、とても愛しいもののように。
そんなはず、ないのに。
だって君には、僕よりも大切な人がいるはずなんだもの。
でも、とても嬉しかったから、僕は笑ったんだと思う。
そうしたら君は、急につらそうな顔になって。
僕は、そんな顔をしないで欲しいと言った。
彼は黙って首を振ると、ごめんと謝って。
──約束を、守れなくてごめん。
言葉と同時に、唇が降りてきて。
やっぱり、夢なのだと思った。
僕はずっと、君とこうすることを夢見ていたけれど。
君がそんな風に思っていたはずはないから。
これはきっと、僕にとって都合のいい夢。
とてもとても、しあわせな夢。
君が、泣いているような気がして。
僕は夢の中、動かない手で必死に頬を撫でてあげた。
泣かないで。泣かないで、お願いだから。
僕が君に笑顔を貰ったように。
僕も君に、笑顔をあげられたらいいのに。
──もう、もらった。
そう言って、君が笑った。
そのあと、まだ何か言われた気がしたけれど、僕の耳には届かなかった。
物音を聞いたような気がして、取手は目を覚ました。
「夢……?」
今まで見ていた夢の内容を思い出し、一人顔を赤らめる。
あんな夢を見るほど、自分は彼に心を奪われているのだ。そう思ったら、恥ずかしいようなくすぐったいような、そんな気持ちになった。
初めて出来た、友だち。それ以上に、大切な人。姉以外で、唯一心を開ける相手。
「約束、……」
夢の中の彼が言っていた約束というのは、なんのことだろう。
取手には、彼と約束をした覚えはなかった。
不意に吹き込んできた寒風に、取手は身を震わせる。寝る前に閉めたはずの窓が微かに開いて、カーテンを揺らしていた。
「なんで窓が」
窓を閉めようと手をかけて、ある可能性にたどり着いた。
まさか、という思いと、きっと、という思いがせめぎ合って、取手の心臓がこれまでにないほど早鐘を打つ。
まさか、まさか彼は。
早朝だということも忘れ、取手は部屋を飛び出した。廊下を走って、端の部屋までたどり着く。
二学期から転入してきた彼にあてがわれたそこは、すっかり彼が来る前の状態に戻っていた。ご丁寧に、ネームプレートまではずされている。
「うそ……」
最早立っていられず、扉に手をかけたまま取手はずるりとその場に膝をついた。
走ったせいなのか動揺のためなのか、吐く息が荒い。
「どうして……っ。だって、だって、一緒に卒業するって……」
──約束を、守れなくてごめん。
夢の中で彼が言っていた言葉がよみがえる。守れなかった約束というのは、このことだったのだろうか。
「それじゃあ、……もう」
もう、彼がここへ戻ってくることは、二度とないのだ。
そう理解して、取手は固く拳を握りしめた。
あの後、物音を聞いて集まってきた彼の仲間と別れ、取手は一人自室に戻ってきた。大丈夫かと心配されたが、彼以外の人に慰められるのはつらいだけだ。
ベッドに腰掛け、取手は膝を抱える。彼はよく、この部屋を訪れてくれた。
他愛もない話をして、二人で笑い合った。
彼がいつも座っていた場所をなでつけると、じんわりと愛しさがこみ上げてくる。
「どうしよう……」
まだ、こんなに好きなのに。
きっと、彼以上に想える人なんて、この先現れはしないのに。
机の上に立てかけておいた羽根ペンが目に入り、そういえばこの羽根は彼に貰ったものだと思い出す。
突然のお願いに気を悪くすることもなく、ちょっと待っててとわざわざ部屋まで戻って取ってきてくれた。
誰よりも、やさしい人。強いとか、勇ましいとか。彼を形容する言葉はたくさんあるけれど。
一番しっくりくるのは、やさしいだと取手は思う。
それから、メールもたくさん貰った。友だちとメールをするなんて初めてのことで、すごく緊張して、すごく楽しかった。
携帯を開いて、新着メールが届いていることに気づく。
「……っ」
彼からの、メッセージ。彼が残していってくれた、最後の言葉。
震える指で、取手はメールを開いた。
取手くんへ
部屋に忍び込んだりして、ごめん。
でも君には、直接会って言いたかったんだ。
約束、守れなくてごめんって。
それから、さようならって。
形あるものを残していくことは許されないから、
かわりにこのメールを残していきます。
どうか元気で。そして、しあわせになってください。
いつまでも、君が笑顔でいられるよう祈っています。
葉佩九龍
ぽたりと、熱い涙がこぼれ落ちる。
君のいない未来で、僕がしあわせになれることなんて、あるのだろうか。
でもそれが、君の願いだというのなら。
僕はきっと、叶えてみせる。
いつかまた、会えるときがきたら。
僕はきっと、とびきりの笑顔を見せるから。
だから君も、それ以上の笑顔を見せて欲しい。
彼に貰った言葉を胸に抱いて、取手は次から次へとあふれる涙に、きつく目を瞑った。
──もう、もらった。
──オレは取手くんに会えて、今まで知らなかった感情を知ることができたんだから。
──好きだよ、取手くん。君が好きだ。そばにいることはできないけれど、きっといつまでも。
──君が、好きだ。
──誰よりも、君のしあわせを祈ってる。
──……さようなら。
(ほんとうは)
(もしも、ゆるされることなら)
(自分の手で、しあわせにしたかったんだ)
【完】
2004 10/09