今日はアラシ(取手と葉佩)


 激しい風雨に、窓が音を立てて揺れた。台風が直撃するからと、今日は休校になっている。思いがけない休日に、生徒達は皆、寮の中で思い思いの時間を過ごしていた。
「ここにも、いない……」
 談話室を覗いた取手は、テレビを観ている者の中に尋ね人の姿がないことを確認し、嘆息する。一体彼は、どこに行ってしまったのだろう。
 休校の知らせを聞いた取手は、まず彼のことを思い浮かべた。それでも朝から訪ねるのは迷惑になるのではと昼過ぎまで自室で大人しくしていて、つい先ほどようやく彼の部屋へ向かったところ、既に中は空っぽだったのだ。
 次に皆守の部屋を訪ね、そこにもいないことを確かめた。心当たりは全て回ったつもりだが、どこにも姿が見えないのだ。
 まさか、この嵐のなか墓地へ向かったということはないと思いたい。幾ら彼でも台風には勝てまいとは思うのだが、暴風雨のなか突き進む彼の姿が容易に想像でき、取手は足早にエントランスへ向かった。


 ガラス戸のこちら側に見知った背中を見つけ、取手は安堵のため息を吐く。一心に外を見つめる彼に、声をかけようか迷っていると、向こうから声をかけられた。
「こんな雨の中、外に出るのは危ないよ」
「えっ。あ、う、ううん。違うんだ」
 どうやら、取手が外に出ようとしていると勘違いしたらしい、葉佩が困ったような顔で振り向く。
 自分が彼を捜していただなんて、これっぽっちも考えていないのだろう。ちくりと、取手の胸が痛んだ。
「ならいいんだけど」
 微かに笑みを浮かべると、葉佩は再び外へ目を向けた。おずおずと隣に立つと、取手は外の嵐と葉佩の顔を見比べる。
 何を見ているのか、葉佩はひどく真剣な顔をしていた。
 普段お喋りな彼が口をきかないので、取手は居心地の悪さを感じる。自分は、もしかして邪魔なのだろうか。
 一人になりたくて、わざわざ彼はここまで来たのかも知れない。
 戻ったほうがいいのかも知れないと思ったものの、きっかけが掴めず取手は立ちつくした。
「寒くない?」
 やがて葉佩が口を開いたので、取手はホッとする。
「僕は、大丈夫。葉佩くんこそ……」
 よく見たら、葉佩は部屋着のままだ。着替えもせず、ここに来たのだろうか。
 窓にかかった葉佩の手がいつもより白く映って、取手は思わず自分の手を重ねてしまう。その冷たさに、ぎょっとした。
「いつから、ここにいたの? こんなに、冷たくなって……」
「大丈夫、鍛えてるから」
 そういう問題ではないと、取手は両手で葉佩の手を包み込む。こんなに冷えていては、感覚があるのかすら怪しかった。
「部屋に戻ったほうがいい」
 取手が勧めても、葉佩は首を振るばかりだ。
「見てなくちゃ、いけないんだ」
「……何を?」
「嵐」
「……好き、なの?」
 首をかしげる取手に、葉佩は目を伏せる。
「嫌い。というか、苦手? ……怖いんだ、嵐が」
「怖い……」
 葉佩には似つかわしくない単語のような気がして、取手は繰り返した。
「嵐が、怖いの?」
 こくりと、葉佩が頷く。その横顔がわずかに翳りを帯びているのは、自分の気のせいではないだろう。思わず可愛いと思ってしまった自分を心の中で叱りつけ、取手は持ったままだった葉佩の手を引いた。
 引っ張られるままに、葉佩の身体がこちらを向く。
「怖いのに、見るの?」
「怖いから、見るんだ。負けたくない、から」
「そう。そうなんだ……」
 強い人だと、思った。怖いものから逃げるのではなく、立ち向かおうとする彼を。同時に、とても哀しいと思った。
 どうして、彼は一人で戦わなくてはならないのだろう。
「僕は……、僕が、いるから」
 思わず口走った言葉に、葉佩が顔を上げる。
「君が怖いなら、僕が手を引いてあげる。君が僕にしてくれたように、今度は僕が。だから、」
 だから、怖がらないで。どうか、ひとりで震えていないで。
「すっごい風吹いてるし、一緒に吹き飛ばされちゃうよ?」
「君と、二人なら。……僕は、構わないんだけど……」
 次第に弱くなる語尾に、葉佩が声をあげて笑った。
「そうだね。君と二人なら、それもいいかも知れない」
「えっ」
「えって、なんでそこで驚くんだよ……」
「だ、だって、そんな風に言ってくれるとは、思わなくて……」
 勝手に赤くなる顔を隠すように、取手は頭を振る。
「なんかそれって、オレがすげーやな奴みたいじゃない?」
「ご、ごめんっ」
 拗ねたようにそっぽを向いてしまった葉佩に、取手は慌てて謝った。
 葉佩はしばらく無言でいたが、その内ぽつりと呟いた。
「だって、嬉しかったんだ」
 だからありがとう、と葉佩が顔を背けたまま口にする。それが彼なりの恥じらいなのだとわかって、取手は大きく頷いた。


【完】


2004 10/09