かおり(皆守と取手と葉佩)


 絶え間なく続く鈍い音に、皆守は目を覚ました。部屋の中は、まだ暗い。携帯に手を伸ばし時刻を確認する。まだ夜明け前だ。
 そうしている間にも、遠慮なく扉は叩かれ続けていた。こんな時間に活動している人間を、皆守は一人だけ知っている。
「俺なら寝てるぞ」
 扉越しに声をかけると、ようやくノックの音がおさまった。かわりに、葉佩の間延びした声が届く。
「じゃあそれ、寝言って言い張るんだ〜?」
 開けて、と今度は控えめに扉を叩かれた。
 黙っていると、低い声で物騒なことを呟かれる。
「オレの得意科目、なんだか知ってる? 最近は、数学がんばっちゃってるんだよね〜」
 葉佩の言う数学とは、鍵を開ける能力のことを指していた。こじ開けられてはたまらない。皆守は起きあがると、仕方なく扉を開けてやる。
 満面の笑みを浮かべた葉佩に、皆守は仏頂面で答えた。
「普通、どれだけ数学が得意でも鍵開けは上達しない」
「はっくしょん!」
「……なにやってんだ、お前」
 よく見たら、葉佩は下だけはかろうじてジャージをはいているものの、上半身裸のままタオルを首にかけている。風呂上がりなのか、まだ髪が湿っていた。
「今が何月かわかってんのか?」
「だからあ、部屋入れてって」
 皆守を押しのけるようにして、葉佩が部屋に入ってくる。室内の暖かな空気に触れ人心地ついたらしい、嬉しそうに笑った。
「また潜ってたのか?」
 こんな時間に風呂に入っていたとなれば、理由は一つしかないだろう。頷く葉佩に、皆守は嘆息した。
「このところ毎日じゃないか。少しは休めよ」
「そう! それなんだよ!」
 我が意を得たりとばかりに、葉佩が目を輝かせる。びしりと、こちらを指さしながら。
「……なにが」
「やー、毎日真面目に学校行って、帰ってからご飯食べて探索行くじゃん? 洗濯する暇なくってさあ、気づいたら着る服がなかったんだ」
 だからなんか着るもの貸して、と葉佩は両手を差し出した。
 そのためにこんな時間に自分をたたき起こしたのかと、皆守は怒りにまかせてけり出してやろうかと思う。が、寒さに震えさせるのも可哀想だと思い直し、クローゼットを漁った。
「これで我慢しろ」
 皆守が投げたシャツを受け取ると、葉佩は充分だと笑う。早速袖を通そうと広げて、動きを止めた。
「……九龍?」
 広げたシャツを元通り畳み直すと、葉佩は不審がる皆守にシャツを返そうとする。
「なんだよ?」
「気持ちだけ受け取っとく。ありがとな!」
 気持ちで寒さがしのげるはずないというのに、葉佩はそのまま去ろうとした。
「待てって、なんだよいきなり……」
「だってお前、それ……」
 言いづらそうに、葉佩が顔を背ける。続きが気になって、皆守は葉佩の肩を掴んだ。
「アロマ臭い」
「……は?」
「アロマ臭いから、着たくない。というか、そんなん着たらオレの人格が疑われる」
「そりゃあ、聞き捨てならないなあ?」
 こいつは一体人のことをなんだと思っているのか。とうとう切れた皆守は、無理矢理にでも着させてやると、葉佩の身体を押さえつけた。
「やーだーっ! やめろ! 匂う! 匂うからそれ! あっ、しかもなんかカレーの匂いまでするしっ!! はーなーせー!!」
「うるさい。黙って俺の言うことを聞け」
「いーやーだー! ぎゃあああああああ! 誰か助けてー!!」
 深夜だということも忘れ激しくもみ合う二人の目の前で、扉が開かれる。顔を覗かせたのは、やはりというかなんというか、葉佩のピンチにはどこからともなく現れる、取手鎌治その人であった。
「鎌治くん! 助けてっ!」
 拘束する力が弱まったことに気づき、葉佩が取手の胸に飛び込んだ。
「逃がすか!」
 追おうとした皆守は、取手に向けられた冷たい視線に怯む。
「お、おい……?」
「九龍くんをこんな格好にさせて、何をするつもりだったんだい?」
「こんな格好って、」
 取手の腕におさまって、憎たらしい顔でばーかばーかと罵ってくる葉佩は、そういえば上半身裸のままだった。
「ち、違うぞ? こいつは初めからこの格好で」
「行こう、九龍くん」
「うん!」
 取手に連れられて、葉佩は今度こそ皆守の部屋を後にする。
「なんでこうなるんだ……」
 残された皆守は、取手にどう勘違いされたのか悟って頭を抱えた。


 部屋に戻り、葉佩から一部始終を聞いた取手は、そうだったのかと安堵のため息を吐く。
「それなら、僕のところへ来てくれたら良かったのに」
「んー。でも鎌治くん、もう寝てるかなって思って」
「そんなの、べつに……」
 気にしなくていいのに。でも、気にしてしまうのが彼なのだろうな。
 まだ濡れている葉佩の髪を拭ってあげると、取手は何か彼でも着られるものはないかとクローゼットを開けた。
「僕のだと、多分ちょっとおっきいと思うんだけど」
 取手は身長も高かったが、人より腕も長い。袖の余った格好の葉佩を想像して、くすりと笑みを浮かべる。
 それには気づかず、葉佩が背後で嬉しそうな声をあげた。
「えっ! 鎌治くん、貸してくれるの?」
「う、うん。君が嫌じゃなければ……」
「嫌なわけないじゃん! ありがと〜!」
 勢いで後ろから飛びつかれ、取手は硬直する。嬉しいのだけれど、心臓がどくどくと落ち着かない。服を探さなければと思いながらも、触れている体温にばかり意識が集中してしまう。
 迷っているのだと勘違いしたのか、葉佩がどれでもいいよと耳元で囁いた。
「うわっ」
「わっ!」
 過剰に反応した取手は思わず立ち上がってしまい、しがみついていた葉佩が床に転がり落ちる。
「った……」
「ご、ごめん! 怪我はないかい?」
「不意打ちすぎるよ鎌治くん」
「ごめん、ごめんね……」
 おろおろと、謝罪の言葉をくり返すしかない取手に、葉佩が何かを思いついたという顔で見上げてきた。
「じゃあ、罰としてー」
「う、うん」
 何を言われるのかと、取手は神妙な面もちで葉佩の言葉を待つ。
「今日泊めてっ」
「え!?」
 にっこり笑って、葉佩は取手のベッドに潜り込んだ。
「ま、待って九龍くん、あのっ」
「もう部屋戻るのめんどいしー。おやすみなさーい」
「えっ、あ、あの、……」
 ベッドの端に寝転がった葉佩に、鎌治くんもおいでと隣を叩かれる。嬉しさよりも恥ずかしさが勝って、取手は一気に顔を赤くした。
「で、でも、あの、服はどうするの……?」
「くっついて寝ればあったかいから大丈夫!」
「くっついて……」
 この場合くっつくのは、やっぱり、自分と彼なのだろうか。
 固まったまま動こうとしない取手を見ていた葉佩が、不意に小さく欠伸をした。連日の探索に疲労しているのだろう。そう思ったら待たせるのも悪くて、取手はぎこちない動作で隣に潜り込んだ。
 ぬくもりを求めるようにすり寄ってきた葉佩が、何かに気づいたように顔を出す。
「九龍、くん?」
「なんかいい匂いすると思ったら、鎌治くんの匂いだこれ」
「……っ」
 幸せそうな顔で微笑まれ、取手は何も言えなかった。それきり黙り込んだ葉佩は、そのまま眠ってしまったらしい。
「そんなこと言われて、僕はどうすればいいんだろう……」
 寝息をたてる葉佩の隣で、取手は眠れない夜を過ごした。


【完】


2004 10/13