温度差(取手と葉佩)


 床に座り込んだ葉佩は、普段取手が眠っているベッドにもたれるような姿勢で目を閉じている。
 いくら暖房をきかせているとはいえ、カーペットも敷いていない床なのだ。冷たいだろうと思うのだが、一度ベッドに座るよう勧めたところ、だってそれじゃあ帰りたくなくなるだろうと真面目な顔で返され、取手はそれ以上何も言うことができなくなった。
 実家から送ってもらったクッションを置いても、床の冷たさが心地良いのだと、葉佩が真新しいそれを使うことはない。
 せめて身体の内側からあたたまってもらおうと火にかけていたミルクが湯気をたて、取手は慌てて火を止める。取手が動いた気配を感じたのか、葉佩がうっすらと目を開けた。
「起こしちゃったかな」
 ううんと首を振って、葉佩は大きくのびをする。
「別に寝てたんじゃないよ。目を閉じてただけ」
 寝そうにはなったけれど、と照れたように、葉佩は窓際に置かれたコンポを指さした。コンポから流れている曲は、葉佩曰く「聴いていると眠くなる」クラシックのものだ。
「あ、ごめん。他のジャンルにしようか」
「いいんだ。聴いてると、取手くんの部屋なんだなあって気がして、落ち着くから」
「そうかい……?」
 にこりと微笑んだ葉佩に安堵し、取手も笑みを漏らす。
 思い出して、鍋からマグカップにミルクを注いだ。マグカップを手渡すとき僅かに触れた指先に、取手はどうしようもなく胸を痛めた。
 葉佩のほうから部屋を訪ねてくれて、落ち着くと言ってもらえて。それだけでとても嬉しいことなのに、それだけで我慢しなくちゃいけないのに、どうして自分はそれ以上を望んでしまうのだろう。
 ふうふうとミルクに息を吹きかける葉佩を見ながら、取手は椅子に腰掛ける。部屋の中で、床に座る葉佩から不自然じゃなく一番距離のとれる場所。ここが、取手の定位置だった。
 自分のマグカップに口を付けると、取手は嘆息する。それはとても小さなもので、部屋に流れる曲にかき消されるはずだった。
 だが、葉佩がつられたように顔を上げ、取手に目を向けてくる。その、もの言いたげな視線に耐えきれず、取手は目をそらした。
「葉佩……くんは」
「うん」
 迷いながら、取手は言葉を紡ぐ。一度口にしてしまったら、もう後戻りはできないのだとわかっていて。
「遺跡に眠る秘宝を見つけたら、ここを去ってしまうんだよね」
 躊躇われるかと思われた返答は、予想外に淡々と返ってきた。
「そのつもりだけど」
 それがどうかしたのかと言外に問われたような気がして、取手は目を伏せる。
 やっぱり。彼と出会えたことを運命のように感じているのは自分だけなのだと、そう突きつけられたような気がした。
 震えそうになる身体を押さえるように抱きながら、取手は床に視線を落とす。
「どうして君は。……ハンターを、やってるんだい?」
「どうして、と言われてもねえ」
 困ったように呟くと、葉佩はマグカップを床に置いた。
 取手は、このまま誤魔化されてしまうのではないかと不安になって、更に問いを重ねる。
「君は、何を探しているの」
 取手にしてみれば、単純に葉佩には何か探し物があって世界中を飛び回っているのだと思っただけのことだ。しかし、その言葉が何かに触れてしまったらしく、葉佩は顔をこわばらせた。初めて見る表情に、取手の目は釘付けになる。
 ややあって、葉佩の顔が苦笑の形にゆがめられた。
「……オレの中の、真実を。なーんて」
 はき出された声音に嘘の響きを感じ取り、取手もまた苦笑する。


 彼にとって自分は、本当のことを言う価値もない相手なのだろう。
 取手は、知っていた。葉佩が決して取手のベッドへ腰掛けようとしないのは、頑固に冷たい床へ座り続けるのは、心の底から気を抜いてしまわないためなのだということを。


 どれだけぬくもりを与えようとしても、相手が受け入れてくれなければ、それは全く意味のない行動でしかない。


【完】


2004 11/26