出会いは運命(ジローと宍戸と跡部)


 宍戸が目覚めると、既に日が高くなっていた。寝坊したかと慌てて身体を起こしてから休みであることを思い出し、再びベッドに沈む。すりすりと寄ってきた体温に、いつの間に来たのかジローが潜り込んでいることに気づいた。
「ジロー。寝てんのか?」
 左腕に押しつけられたふわふわの金髪に手を伸ばし、ぐしゃぐしゃとかき混ぜる。すやすやと、気持ちよさそうな寝息が耳に届いた。誘われるようにあくびをすると、宍戸はもう一度目を閉じる。
 カーテン越しの光がやわらかくて、ジローに出会った日もこんな日差しだったことを思い出した。


 幼稚園から帰ってきた宍戸は、おやつを食べるために手を洗っていた。冷蔵庫を開けようとしたら母親に呼ばれ、仕方なく玄関へ向かう。玄関には、見たことのない女性が立っていた。
「ご近所に引っ越されてきた芥川さん。駅前の商店街でクリーニング屋さんをやってるのよ。亮も何度か行ったことがあるでしょう」
 そう言われても、宍戸には誰だかわからなかったが、きれいな人だなあと思う。
「この子は慈郎って言うの。亮くんと同じ年だから仲良くしてね」
 そう微笑まれて、宍戸はようやく女性の陰に男の子がいることに気づいた。黄色い頭の男の子が、大きな目で宍戸を見つめている。宍戸よりも少し小さく、自分と同じ年の子を近所で見かけたことのなかった宍戸は、家に帰ってからも一緒に遊ぶことのできる相手ができたと嬉しくなった。
「じろ?」
 うまく発音できなかったが、宍戸の呼びかけにジローは花が咲いたような笑顔で、こくりと首を動かす。ジローがあんまり嬉しそうなので、宍戸はなんだかとてもよいことをした気分になった。
 その後芥川親子はリビングに通され、母親同士でなにやら盛り上がっている。おやつを食べていなかったことを思い出し、宍戸は冷蔵庫へ向かった。ジローが、ちょこちょことついてくる。宍戸は大きな冷蔵庫へよじのぼって、中から苺のパックを取り出した。
「じろ、いちごすき?」
「だいすき!」
 二人で苺を食べていると、ジローが思い出したように言う。
「りょーちゃんは、すごいねえ」
「なにが?」
「れいぞうこ、あけられるんだもん」
 すごいすごいと手放しで褒められ、兄がしているのを真似ただけだったが、宍戸は得意になった。弟がいるって、こんな感じなのだろうか。ジローのべたべたになった口の周りを拭いてやると、今度はジローの母親に褒められる。照れくさくなって、宍戸は立ち上がるとジローの手を引いた。
「公園いこう」
「こうえん?」
「すべりだいとかあるよ」
「ブランコも?」
 ああと頷くと、ジローがやったあと飛び上がる。母親たちに断って、二人は家を出た。


 まだ学校が終わるには早い時間のせいか、公園には誰もいなかった。砂場に手を突っ込んだジローが、冷たくて気持ちいいと教えてくれる。宍戸も真似をして、本当だと感心した。二人で大きな山を作り、トンネルを掘る。反対側から二人がかりで掘っていくと、やがて砂の中で相手の手に当たった。
「じろの手だ!」
「りょうちゃんの手〜」
 べたべたと触られて、くすぐったさに宍戸は身をよじる。
「あっ」
「あ〜!」
 宍戸が動いたはずみで、山は崩れてしまった。あーあとため息をついて、二人は顔を見合わせる。
「もっかい作る?」
「次はぶらんこ!」
「よーし」
 宍戸がブランコまで走ると、ジローが待ってとついてきた。後ろから追いかけてくる足音が嬉しくて、宍戸はどんどんと走っていく。ブランコまでたどり着くと、勢い余ったのかジローが抱きついてきた。
「りょうちゃん、あしはやいね!」
「まあな! かけっこでもいちばんだもん」
「すごいすごい!」
 きゃあきゃあと息を弾ませながら笑っていると、公園の入り口に誰かが立っていることに気づく。見慣れない、どこかの制服を着た男の子だ。
「だれだろう。じろしってる?」
「しらない。あそびたいのかな?」
 黙ったままこちらを見つめている男の子に、二人は恐る恐る近づいた。自然と手を繋ぎ、身を寄せるようにして歩いていく。
 近くで見ると、男の子は全体的に色素が薄く、青い目をしていた。
「だれ?」
「なにしてるの?」
 二人で話しかけると、男の子は一瞬驚いたような顔をして、車を待っているとそっぽを向く。
「くるま?」
「故障して、途中でおろされた」
「おむかえまってるんだ?」
 ジローの言葉に、幼稚園でなかなか迎えが来ずに遊びながら待っている子を思い出し、宍戸は言った。
「むかえがくるまであそぼう」
 宍戸の隣で、ジローが目を輝かせる。
「あそぼう!」
 男の子は、困ったような顔で小さく呟いた。
「服が、汚れる」
 言われて、二人はお互いの格好を見る。宍戸もジローも、砂遊びをしたせいで服が泥だらけになっていた。怒られるだろうかと思ったが、ジローがだいじょうぶだと胸を叩く。
「おれんち、くりーにんぐやさんだから、すぐきれいになるよ!」
 だから遊ぼうと手を差し出したジローに、安心して宍戸も男の子の手を掴んだ。二人に引きずられるようにして、男の子も公園に足を踏み入れた。


「おれ、じろう。こっちがりょうちゃん」
 自分と宍戸を順に指さし、ジローが紹介をした。
「おれは、景吾。跡部景吾」
「けえご?」
「けーご?」
「景吾だ。けいご」
 跡部は訂正したが、二人はけーごけーごと連発する。
「気安く呼ぶな」
「きやす……? けーご、なにいってるかわかんねえ」
「わかんなーい」
 あははと笑って、ジローがブランコに飛び乗った。宍戸が隣に乗って跡部を見ると、鎖に掴まったまま、どうしたらいいかわからないという顔をしている。
「けーごブランコしらねえの?」
「ねえの?」
 宍戸の語尾を真似て、ジローがブランコから降りた。
「ここにすわるんだよ。たってもいいけど、あぶないからだめってゆわれる」
 ジローが跡部に教えてやるのを見て、宍戸もブランコから降りる。
「おしてやるから、すわれ」
 汚れていると渋る跡部を無理矢理座らせると、二人はかわるがわるその背を押した。最初は怯えていた跡部が、次第に気持ちよさそうな顔になって、二人はますますはしゃいだ。
 ひとしきり遊んで、三人は砂場に戻る。最初は少し離れた場所で見ていた跡部も、不格好な山が出来上がったのを機会に加わってきた。
「お前ら、へたくそだな」
「なんだと?」
 宍戸はムッとしたが、跡部が砂山を綺麗に整えるのを見て、すごいと感嘆する。
「けーご、じょーずじゃん」
「すごいすごーい!」
 口々に褒められ、跡部が得意げに笑った。服が汚れるのにも構わず、三人で穴を掘り始める。今度こそ、無事にトンネルは開通した。
 三人でトンネルを眺め、満足そうに笑い合う。
「けーご、おててまっくろ!」
 ジローが笑うと、お前こそ泥だらけだと跡部も笑った。手を洗って、もう一度ブランコに乗ることにする。三人並んでこぐと、ブランコは高く上がった。
「けーご、こげるようになったんだ」
「当然だろ」
 ふふんと偉そうに笑う跡部に、二人も嬉しくなって笑う。
「景吾様!」
 笑い声を遮るように、慌てた声が届いた。見ると、スーツに身を包んだ男が走ってやってくる。
 跡部はすっと表情をなくすと、ブランコを止めて降りた。
「こちらにいらしたんですか、捜しました」
「遅かったな」
「申し訳ありません」
 跡部に向かって頭を下げる大人に、宍戸とジローは目を丸くする。二人もブランコを止めて降りると、跡部が二人を振り向いた。
「けーご、かえんの?」
「かえっちゃうの?」
「ああ。迎えが来たからな」
 服に付いた泥をはらいながら、跡部がなんでもないことのように言う。その表情がどこか淋しそうに見えて、宍戸は口を開いた。
「またあそびにこいよ」
「うん、あそぼー!」
 宍戸に続けて、ジローがそう叫ぶ。一瞬目を見張って、跡部は表情を和らげる。
「ジロー。お前の店、どこにあるんだ?」
「おれんち? えきまえのとこだよ!」
「制服出すから、ちゃんときれいにしろよ」
 くしゃりと、跡部がジローの髪をかき混ぜた。
「うん! おかあさんにたのんどくね!」
「ああ」
 跡部の手が、今度は宍戸に伸びてくる。乱暴に鼻をこすられ、少し痛んだ。
「なんだよ?」
「鼻、よごれてた」
 それだけ言うと、跡部は二人に背を向けて歩き出した。迎えに来た男が、二人に一礼して跡部の後に続く。去っていく跡部に、二人は大きく手を振った。
「またな〜!」
「またね〜!」
 車を乗る前に、跡部が顔だけをこちらに向けてくる。
「今日は、割と楽しかった」
「うん!」
「おれも!」
 二人の答えに、跡部から笑みがこぼれた。誰かの笑顔をきれいだと思ったのは、それが初めてだったかも知れない。
 印象的な笑みを残して、跡部は去っていった。
 それから、跡部はたまに公園へやってくるようになった。跡部がテニスを始めたと言えば二人も始め、氷帝の幼稚舎にいくと言えば二人も一生懸命勉強した。ずっとずっと、三人は一緒だった。


「あの頃から、生意気だったよなあ」
「なにがあ?」
 独り言のつもりで呟いた言葉に反応があり、宍戸は驚いて布団の中をのぞき込む。ジローが、もぞもぞと顔を出した。
「なんのお話〜?」
「お前、起きてたのか?」
 今起きた、とジローが抱きついてくる。ジローの、こういうところも変わらないなと宍戸は笑った。
「ジロー、いつ来たんだよ?」
「さっき。跡部んちにお届け物頼まれて、亮ちゃんも一緒に行くと思って」
「届け物?」
「これ」
 ジローがベッドの脇から取り出した袋に、宍戸は吹き出す。袋には、クリーニングの文字が書かれていた。
「跡部、相変わらずお前んちに出してんのかよ?」
「そうだよ〜。大事なお得意さまだからね〜」
 袋を抱いてベッドを転がるジローに、しわになるぞと突っ込みを入れながら起きあがる。
「んじゃ、行くか」
「うん!」
 二人は、仲良く手を繋いで跡部の家へ向かった。


【完】


2005 03/18 あとがき