いいから黙って(ジローと跡部と宍戸)


 まるで、機械のようだ。なんでも人並み以上にこなす跡部を見て、そう言った人がいる。その言葉は的確なようでいて、まるで的はずれだとジローは思った。


 中等部にあがって、日常生活が忙しくなった。授業時間が延びた上、部活の時間も長い。そのほとんどを寝て過ごすジローにはあまり関係のないことだったが、他の者には別なようだ。特に、跡部にとっては。
 成績は常にトップだったし、品行方正さに目をとめられ、生徒会役員に推薦された。更に、テニス部でも一年生では異例の正レギュラー入りを果たしたのだ。その上、跡部は将来家を継ぐための勉強もこなさねばならない。一度、跡部の一日のスケジュールを聞いて忍足がめまいを覚えたことがあるほどだった。
 それでも、跡部が弱音を吐くところを見た者はいない。どれだけ疲労していようと、顔色が悪かろうと、跡部はただいつも傲慢に存在していた。
 常に誰よりも強く、誰よりも上に立ち、誰よりも己に厳しかった。そういう性分なのだと、人は思った。好きでそうしているのだと、そう噂された。
 それはあながち間違ってはいないと、ジローは思った。


 弁当を口にしながら、宍戸が行儀悪く喋る。
「最近跡部見ないよなあ」
 早々に食べ終わり、寝転がっていたジローはそっと宍戸の顔を盗み見た。宍戸は屋上のフェンスに背をつけ、向かいに座った忍足へ箸を向けている。
「ちょお、箸で指さんといて」
「おお、悪ぃ」
 面食らったように謝って、お前って結構細かいよなあと宍戸が笑った。噛みちぎったパンの欠片を飲み込むと、忍足が首をひねる。
「見かけんて、部活でおるやん。コートちゃうけど」
 一年で唯一の正レギュラーである跡部は、一般部員である宍戸達とは部室はおろかコートも別だった。
「まあ、そーなんだけどよ」
 箸をくわえたまま、宍戸ががしがしと乱暴に頭をかく。
「跡部って侑士と同じクラスだっけ?」
 忍足の隣に座り、ジュースのパックを開けようと苦戦していた向日が聞いた。
「せやけど、教室でもあんまり見んわ。さすがに授業んときはおるけどな」
「ふーん」
 ようやくきれいに開いたパックへ口を付け、向日が気のない返事をする。
「なんかあいつ、忙しくしてるよな?」
 ご飯をかき込みながら首を傾げた宍戸へ、今頃気づいたのかと忍足が呆れたように視線を向けた。
「そりゃそうやろ。なんせ生徒会役員にテニス部正レギュラー様や」
 忍足が肩をすくめてみせると、宍戸が口をとがらせる。
「ちぇー。俺だって、そのうち」
 宍戸はそこで言葉を切ったが、その場にいた者には聞かなくとも続きがわかった。
「なんや宍戸、跡部の心配しとるんとちゃうの?」
「心配?」
 忍足の問いに、宍戸が目を丸くする。
「あれだけ忙しゅうしとったら、いくら跡部でもそのうち倒れるんちゃうか」
 子供に言い聞かせるように、忍足がゆっくりとした口調で言った。エビフライを噛みながら、宍戸が考え込む仕草をする。
「んー。でもまあ、跡部だしな」
 心配いらないだろうと笑う宍戸に、話にならないと忍足が校舎にもたれた。
「あの跡部が、自分から疲れたなんてゆうわけないやろ……」
 誰にともなく、忍足がぽつりと呟く。ジローは、全くその通りだと思った。忍足のほうが、よっぽど跡部のことを理解している。
 いつだって真っ直ぐで本音しか口にしない宍戸は、他人もそうであると思いこんでいる節があった。他者の発する言葉に、裏の意味があるなどとは考えもしないのだ。それは宍戸の長所であったが、同時に短所でもあった。


 人の気配を感じ、ジローは目を覚ました。校舎の裏、お気に入りの木陰で昼寝をしていたことを思い出す。目を上げると、跡部が傍らのベンチに腰掛けているのが見えた。ジローには気づいていないのか、困憊した面もちで目を閉じている。
「跡部」
 声をかけると、跡部がぱっと振り向いた。その顔からは、既に疲労の色は消えている。自然と曇りそうになる顔へ無理矢理笑みを浮かべ、跡部の顔を見上げるようにジローはぺたりとベンチに両手と顔を乗せた。
「おはよー」
「今、何時だと思ってやがる」
「だって、いま起きたんだもーん。だから、おはよう?」
 子供じみたことを言うジローに、跡部が口の端をあげる。おはようのかわりか、頭をかき混ぜられた。
 隣に座り、ジローはぶらぶらと足を遊ばせる。跡部のことを思えば、いますぐこの場を立ち去るべきなのだ。いや、声をかけることすらしないほうがよかったのだろう。わかっていて、それでもジローは跡部を一人にしておくことができなかった。
「跡部」
「なんだ?」
 何を口にするか迷って、ジローは視線を彷徨わせる。
「俺は」
 ぎゅっと、膝に乗せた手に力がこもった。
「俺と亮ちゃんは、跡部のことが好きだからね」
「ジロー?」
 ジローの声音に真剣な響きを感じ取ったのか、跡部が目を見張る。
「跡部が何をしても、どんなことになっても、ぜったいぜったい、跡部の味方だから」
 だから、そんなに無理をしなくていいし、完璧であろうとしなくてもいいんだ。口から出かかった言葉を飲み込むと、ジローは立ち上がった。
「お腹空いたし、俺帰るね」
「ああ……」
 腑に落ちない表情で、跡部が頷く。手をあげて応えると、ジローは昇降口まで駆けだした。


 跡部はすごいと、誰かが言った。跡部には敵わないと。それを、どこか誇らしげに、どこか悔しそうに聞く人がいた。
 跡部は俺の目標だと、その人は言った。いつか必ず越えてやるのだと。それはとても純粋で、とても残酷な言葉だとジローは思った。


 その人が追いつくまで、跡部は足を止めることが出来なくなった。倒れることも、くじけることも、弱音を吐くことも、諦めることも出来なくなった。
 弱い部分を全て捨て、常に強者であろうとする。それはどれだけ困難で、孤独な道だろう。


 慰めも、同情も、労りの言葉も、跡部は必要とはしない。跡部が必要とするものは、後にも先にも、たった一人だけなのだ。
 それはとても美しく、とても哀しいことだとジローは思った。


【完】


2005 04/10 あとがき