セクハラ(仁王と丸井)
今日も暑くなるのだろうか。
そんなことを考えながら、仁王は窓の外を見つめる。
これだけ暑いと、やる気が出ない。
それでも入院中の幸村のことを考えればさぼる訳にもいかず、部室へと足を進めた。
部室まで続く廊下を歩きながら、誰かの叫び声が聞こえてくることに気づく。
声の主に、仁王は心当たりがあった。
あの二人は、毎日飽きもせず口げんかをくり返している。
今日の原因は、一体何だろう。
仁王が扉を開けたことにも気づかず、二人は口論を続けていた。
「絶対! 俺のほうがかわいいっての!」
「だから、何であんたはそんな自信満々なんっすか!」
丸井と切原が、顔をつきあわせて怒鳴りあっている。
予想通りの光景に、仁王は肩をすくめた。
切原など、余程夢中になっているのか、まだ制服のままだ。
「何を喧嘩しちゅう」
ようやく仁王に気づいた二人が、言い合いをやめてこちらへ向き直る。
「聞ーてくださいよ! 俺が『あややかわいー』っつったら、この人が『俺のほうがかわいい』っつって!」
「本当のことなんだから仕方ねえだろ!」
一歩も引く気はないらしい、丸井がムッとした表情で言い返した。
あやや、というのはアイドルのことだろうか。
芸能事情にさほど詳しくない仁王は、あややを思い浮かべようと試みて失敗した。
そうこうしている内に、二人の間では話が進んでいたらしい、今度は仁王に質問をしてくる。
「仁王だって、そう思うだろう!?」
丸井がそう言えば、
「あややのが断っ然! かわいいっすよね!!」
と、切原も負けじと口を開く。
どうやら、自分が答えるまで終わらないらしい。
あやや、とやらがどんな顔かまでは思い出せなかったが、何故か丸井の機嫌を損ねる気にはなれなかったので、とりあえず丸井のほうがかわいいと答えてみた。
途端に明るい顔になった丸井に、仁王はなんだかとてつもなく良いことをした気分になる。
うん、やっぱり丸井は、怒った顔もいいけれど、笑った顔が一番かわいい。
仁王は一人頷きながら、着替えようとロッカーを開けた。
そこへ、切原が更に質問をぶつけてくる。
「丸井先輩の、どこがあややよりかわいいっつーんですか!」
いい加減、着替えたいのだが。
そう思いつつも、このまま放っておくと延々絡んできそうなので、仁王は考えながら質問に答える。
丸井の、かわいいところ。
「うーん、そうやな……。髪が赤いところが目立ってええと思うし」
「そんなん染めてっだけじゃないっすか!」
切原の突っ込みに、どうやら本気で答えないと駄目らしいと悟った。
仁王が改めて向き直ると、丸井はどこか嬉しそうな表情で見上げてくる。
先程の答えが、お気に召したのだろうか。
ちょっとしたことで、ころころと表情を変える丸井は、やっぱり可愛いと思う。
何故、切原は納得しないのだろうか。
仁王は首を傾げつつ、
「丸井は目がでかいから、見てると吸い込まれそうな気がするぜよ。あ、目自体綺麗なんじゃか?」
もっと近くで見てみようと、仁王は無造作に丸井のあごへ手を添え、ぐいっと顔を近づけた。
あ、やっぱり目が大きい。それから、睫毛も長い。意外だ。ぷにぷにした頬も、触り心地がよい。
「それから、日焼けしてるところも、しょう健康的でよか。白いとことの差も、そそるぜよ」
あごから手を離すと、今度はユニフォームの裾をめくる。
露わになった白い肌に、仁王は目を細めた。
指先で撫でると、くすぐったいのか、丸井がびくりと身体を強ばらせる。
「むちむちしとるから、抱き心地も良さそうやし」
するりと、手を下ろして、ユニフォームから伸びた足へ触れる。
ぐいっと太股を持ち上げると、その肉付きの良さに感心した。
「うまそうな足しよって」
そこでようやく、仁王は室内がいつの間にか静まりかえっていることに気づいた。
自分の説明に、切原も納得がいったのだろうか。
顔を上げると、切原の赤い顔が目に入り、仁王は首をひねる。
どうしたのかと声をかけようとして、突然頬に痛みを感じた。
どうやら、丸井に叩かれたらしい、乾いた音が耳に届いた。
驚いて見ると、丸井が切原よりも顔を赤くして、涙目になってこちらを睨んでいる。
なんて、かわいいのだろう。
ぐらりと、仁王は目眩がするのを感じた。
そうこうしている内に、丸井は部室を出て行ってしまう。
去り際、ひときわ大きな声で、
「仁王のすけべおやじーーーーーーー!!」
と叫ばれた。
まったく身に覚えのない仁王は、真顔で切原に向き直る。
「俺は、丸井に何かわりことをしよったか?」
「……あんた、自覚ないんすか……」
まだ赤い顔の切原が、力無くうなだれた。
「仁王が! 仁王が俺に! 仁王が!」
「落ち着いて、ブン太。ちゃんと聞くから。ね?」
幸村の言葉に、丸井は泣きながらこくりと小さく頷いた。
「仁王が、俺に、セクハラ行為を! 俺があんまりかわいいから! あややよりかわいいから! もっと殴ればよかった!」
「そうか。俺からも注意しておこう」
「うんっ」
幸村が優しく言うと、丸井はごしごしと乱暴に涙を拭う。
そんなに強く擦ったら跡にならないかなあと思いつつ、幸村は丸井の喜びそうなことを口にした。
「ブン太は、魅力的だから」
「……だよな! まあ、仕方ないっちゃー仕方ないんだけどな! 俺が! あんまりかわいいから!」
泣いたと思ったら、次の瞬間にはころっと機嫌を直す。
ほんとうに、見てて飽きないよ。
幸村は、丸井と出会えたことの幸福を、一人噛みしめていた。
【完】