無敵の笑顔(切原と丸井)


「さーてと、なにして遊ぼうかねえ」
 放課後、意気揚々と部室へ赴いた切原は、そこで本日の部活動が中止になったことを告げられた。
 練習づくめの毎日も、嫌いではなかったが。
 不意に転がり込んできた休息に、浮かれないはずがなかった。
 クラスの奴はもう帰っちゃっただろうなあ。それとも、寄り道とかしてるだろうか。
 電話してみようかと、携帯に手を伸ばしたとき、切原の視界に何かが入った。
 うーん。あれは、なんだろう。校門に、見慣れた赤い頭が見えるような。なんか、こっちに向かってものすごい笑顔を向けているような。さらに、おっきく手まで振っているような。
 なんだか、嫌な予感がして、切原はその場で踵を返す。
 俺は、なにも見なかった。
 そう、心の中で呟きながら。
 裏門へ向かって歩き出したその背中に、鈍い衝撃が走った。
「おいおい、人の顔見て逃げ出すってどーゆーこったよ!」
「……なんか用っすか、丸井先輩?」
 どうやら、背後から突撃されたらしい、丸井がしがみついていた。
 丸井ブン太は、切原にとってテニス部の先輩である。
 だが、丸井といて良い目にあった試しがないので、あまり近寄りたくはなかった。
 ぶらさがったままの丸井を振り落とすと、切原は振り向く。
「俺、約束あるんで!」
 それだけ言って駆けだそうとした足を、何かにとられて転びそうになった。
 なんとか堪えて足下を見ると、丸井のものらしいカバンが目に入る。
「な、何の真似っすか! 俺今転びそうになったっすよ! ありえねえ!」
「っひひ。妙技・足止めの術!」
「どこが妙技なんすか、どこが」
 カバンの脇にしゃがみ込むと、丸井はにいっと笑ったまま切原を見上げてきた。
 切原の中で、先程感じた嫌な予感が急速に膨れあがる。
「お、俺、」
「赤也〜、お前、先週な〜んもくれんかったろ?」
「先週?」
「そ。先週、4/20。丸井ブン太様の、」
 その言葉に、切原は口を「あ」の形に開いた。
 そういえば、四月二十日は、丸井の誕生日だったような。
 その前の週から「来週誕生日だからシクヨロ!」などと宣伝してまわっていたお陰か、当日はたくさんプレゼントを持って歩いているのを見た覚えがある。
 そんなことはすっかり忘れていた切原は、一日中丸井に見つからないよう逃げ回っていたのだ。
「あーあー、そんなこともありましたっけ?」
「なー。ひっでー後輩もいたもんだよな? あのジャッカルですらケーキ奢ってくれたってのに!」
「いや、その言い方はジャッカル先輩に失礼だと思うっす……」
 丸井の言いぐさに、切原は呆れてため息を吐いた。
 と、丸井が笑顔で両手を差し出してきたので、切原は咄嗟にぺしっと叩いてしまう。
 無意識の行動に、切原は自分でも驚いたが、丸井のほうが驚きが大きかったのだろう、こぼれ落ちそうなぐらい目を大きく開けている。
 ちょっと悪いことをしたかなと、切原が謝罪の言葉を口にしようとしたそのとき、丸井は自分の携帯を開いて叫びだした。
「幸村ーーーーーーーーー!! 幸村!! 幸村聞いて!! 赤也が酷いの! 酷い! すげー酷い! 幸村ーーーーーーーー!!!」
「なっ! なにしてんすかあんた!!」
 このぐらいのことで入院中の部長を煩わすだなんて、あまりにも非常識だ。
 だが、やりかねないのが丸井の恐ろしいところ。
 切原は、慌てて丸井の手から携帯を奪うと、
「部長! なんでもないっすから! ぶちょ……っ」
 携帯からは、何の音も聞こえては来なかった。
 どうやら、最初から電話をかけてはいなかったらしい。
 まんまと騙されたと、切原は怒りで顔を赤くして丸井を睨み付ける。
「おいおい、いっくら俺だって、病人に言いつけたりしませーん。心配かけたら悪いかんね〜! まあ、俺が言えば幸村だってわかってくれるだろうけど? 俺ちょう愛されてるし? いっつもケーキとかくれるし?」
「いや、それはただ単に餌付けされてるだけなんじゃ……」
 餌付けというか、美味しそうに食べる様を見て楽しまれているというか。
 あれは、幸村の趣味である、と切原は思う。
 まあ、お互いの利害が一致しているのだから問題はないのだろう。
「てな訳で、赤也はなに食わせてくれんのかな〜?」
「なんで勝手に話がまとまってんすか!」
「なんだよなんだよ! 15の誕生日は一回きりなんだぞ!? それを祝わせてやるっつってんのに、お前は何が不満なんだ!」
「全てが!! 大体あんた、去年だって一昨年だって、俺の誕生日祝ってくれたことなんかなかったでしょう!?」
 切原が勢いで怒鳴り返すと、丸井はなんだか微妙な顔つきになる。
 やばい、怒らせただろうか。
 こんなんでも、一応先輩だからなあ。
 真田副部長にでも知れたら、もっと先輩を敬えと怒鳴られそうだ。
「赤也、……俺に、祝ってほしかったのか……?」
「へっ」
 丸井が頬を染め、もじもじと身体を動かしている。
「知らなかった、赤也がそんなに俺を好きだったなんて」
「な、なにゆってるんすかっ」
「そりゃあ初耳じゃ」
「ぎゃ! に、仁王先輩!?」
 偶然通りがかったらしい、仁王が興味深げに切原と丸井を交互に眺めた。
 それから、何を納得したのか、ふーんと一人頷くと、ぽんと切原の頭に手を乗せる。
「丸井はあほじゃが、手懐けるなぁ難しいからな」
「……は?」
 なんだか、これっぽっちも理解できない言葉を言われたような気がする。
 満足げに去っていく仁王に、切原は誤解だと叫んだ。
「でもなあ。赤也は、そーゆーキャラじゃないから」
「はいい?」
 切原が仁王に構われている間に、丸井の中では話が進んでいたらしい、何やら妙なことを主張しだした。
「ほら、俺とか見てみ? どっからどー見ても愛くるしいだろ? 愛されキャラだろ? 萌えキャラだろ?」
「……はあ……?」
「お前はそーゆーんじゃないから、無理無理! お祝いねだったところで、ゴミ投げつけられるのがオチ!」
「いや、いくらなんでもそれは酷すぎるんじゃないっすか?」
 愛されキャラを目指すなら、とりあえず背を縮めること!
 などと満面の笑みで助言のようなものをされ、切原は頭を抱えた。
 なんだかどんどん、取り返しのつかない方向へいってしまっているような。
 切原は、再度逃げ出すことを試みた。
「じゃあ、そういうことで!」
「行ってもいいけど、お前の財布はここにあったりして?」
「なっ、いつの間に!」
「さっきお前が、仁王と俺の話題で盛り上がってたときにね〜」
「誰がいつあんたの話題で盛り上がったってゆーんすか!!」
 自分にとって都合のよい話しか耳に届かないのだろう、丸井は素知らぬ顔で切原の財布を開けた。
「わー! 無理っす! 小遣い日前で、ジャンプ買う金しかないっす〜!!」
「わー。びんぼー」
「余計なお世話っす!」
 丸井は容赦のない蹴りで切原を足止めすると、財布からとある紙切れを取り出す。
 丸井の手にあるものが何であるか悟り、切原は顔を青くした。
「そ、それは、姉ちゃんに命令されて、死ぬ思いで手に入れた、」
「ホテルのバイキング券! わお! ここってちょう人気で、予約もいっぱいなんだよね〜! やたっ! 俺のため? 俺のため?」
「や、だから姉ちゃんのだってゆってるじゃないっすか!!!」
「やったやった、赤也大好き〜! ちゅーしちゃおう! ちゅー!」
「ぎゃあああああああああああ!!」
 切原の周囲を飛び回っていた丸井が、言葉通り口づけようとしてきたのを何とかかわすと、切原は死相の浮かんだ顔で訊ねる。
「あの、それ、やっぱ、持ってっちゃうんっすか……?」
「いひひ!」
「や、答えになってないっす」
 そんな、気色悪い笑顔見せられても。
 でもなんかもう、今更取り返すことなど出来そうにないような。
 (今度こそほんとに幸村部長に電話されても困るし)
 (真田副部長に怒られてもやだし)
 (仁王先輩には妙な誤解されるし)


 もう、諦めるべきだろうか。
「あー。いいっす、いいっす。それあげるっす。じゃ、」
 俺はこれで、と財布だけ取り返そうとした腕を、掴まれた。
 なんだか、すごい力でしがみつかれているような。
 丸井が、至近距離まで顔を近づけて、笑った。
「二枚あるし。赤也も、行こう?」
 や、それ、元々俺のだし。
 とは、何故か言えなかった。



 【完】



2004 05/04 あとがき