夏の終わりに(跡部と宍戸)


 風呂から出て部屋に戻ると、宍戸はまだ濡れたままの髪をタオルで乱暴に拭った。以前より短くなった髪は、適当に扱ってもすぐに乾くので楽だ。
 宍戸は、置きっぱなしになっていたペットボトルに口を付ける。入浴したての身体はほてって暑かったが、クーラーをつけるほどではない。
 窓を開けようと、宍戸はベッドに膝をついた。カーテンを開け、窓に手をかけたところで、宍戸はふと外の景色に目をとめた。
 宍戸の部屋の窓は裏道に面しており、ほとんど人通りがない。だからそこに人影を見つけ、無意識に違和感を覚えたのだろう。
 誰かが、電柱の陰に隠れるようにして立っている。
 変質者の類だろうかと、宍戸は目を凝らしてじっと見た。その視線に気づいたのか、相手は陰から出てくる。
 通りへ向かうその背中に、宍戸は見覚えがあった。
 相手が誰なのか気づくと同時に、宍戸は部屋を飛び出していた。


 サンダルをひっかけて表へ出ると、辺りを見渡す。少し離れたところに先ほどの背中を見つけ、宍戸は一気に距離を詰めた。
「……おいっ」
 肩を掴むと、無理矢理こちらを振り向かせる。さらりと相手の前髪が揺れて、青い双眸が現れる。
 無言で見つめられ、宍戸は息が詰まった。
「お前、こんなとこで何してんだよ?」
「散歩だ」
 それだけ言うと、相手はさっさと歩き出す。慌てて追いかけると、宍戸は隣に並んだ。相手は、黙ったまま優雅な足取りで進んでいく。
 隣を歩く男は、跡部景吾といって宍戸の幼なじみだ。近所に住んでいるといっても、跡部の家は大通りを挟んだ向こう側、所謂「高級住宅街」にある。
 大きな邸宅ばかりあるその場所でも、跡部の屋敷は一際豪華で目立つ。移動は全て車でという環境で育った跡部が、何の目的もなく自分の足でここまで歩いてくるとは考えにくい。
 本人に問いただしたい気持ちはあったが、何故か口にすることは憚られた。


 ある場所まで来て、宍戸は跡部がどこに向かっているのかわかった気がした。この先の角を曲がれば、ジャングルジムが見えるはずだ。その小さな公園は、まだ二人が幼かった頃、もう一人の幼なじみであるジローと連れだって遊んだ場所だ。
 自宅の庭にプールやらテニスコートやらある跡部は、初めここまで来ることを嫌がった。宍戸とジローで左右から手を引いて、半ば無理矢理連れ出したのだ。
 日に焼けない跡部には、あの屋敷の中が一番相応しい場所だったのかも知れない。それでも、跡部一人をあそこへ置いておくことはどうしても出来なかったのだ。
 ジローと三人で、日が暮れるまで走り回って遊んだ。夕飯の時間になると、どこからともなく迎えの車が来た。それに乗る跡部の顔は、どこか満足そうな表情を浮かべていた気がする。


 公園の中に入る跡部に、やはり目的地はここだったのだと宍戸は思う。
 成長した三人は、いつしかこの場所へ立ち入ることもなくなった。進級するにしたがい、それぞれ別の友人が出来たこともあったし、この公園が通学路から外れたこともあった。
 だが一番の理由は、時間が合わなくなったことだろう。跡部はテニスのほかにも色々と習い事をしていて、今では滅多に学校以外で顔を合わすことが無くなった。
 数年ぶりに目にした遊具は、どれも小さく感じられる。成長したということなのだろうが、宍戸はなんだか自分が取り残されたような気がして淋しくなった。
 跡部はしばらく滑り台を眺めていたが、登る気にはならなかったらしい、首を振って目線を逸らした。
 思いついて、宍戸は跡部の手を引いた。
「宍戸?」
「こっちこっち」
 幼い頃は気軽に繋げた手が、今はなんだか触れているだけで恥ずかしい。そんな気持ちを悟られないよう、宍戸は跡部の顔を見ないようにして公園の端へと引っ張っていく。
「いっつも、最後はこれだったよな?」
「……ああ」
 三人並んで乗っても一つ余るそれは、お互いの顔を見ながら遊ぶこともできて、ちょうど良かったのだろう。もう帰る時間だというとき、決まって最後に乗ったのはブランコだった。
 跡部も覚えていたのか、ブランコを見て目を細める。
 並んで腰掛けると、改めてその低さに驚いた。
「こんな低かったんだな、これ」
「当たり前だ。低年齢対象の遊具だぞ」
「そりゃわかってるけどよ」
 つべこべ言わずにこげと、宍戸は大きく跡部の背中を押した。


 一体何のためにここまで来たのかはわからなかったが、どこか穏やかな顔でこぐ跡部に、これで良かったのだと宍戸は思った。
「今度さあ」
「あ?」
「ジローも連れて、三人で来ようぜ」
 宍戸が笑いながら言うと、跡部は一瞬表情を失った。それから肩をすくめると、諦めたようにそうだなと口の端を上げる。
「きっと、三人のほうがもっと楽しいだろうな」
「……だよなっ」
 楽しい、と。
 自分といる時間を楽しいと言う跡部に、宍戸はなんだかとても嬉しくなった。
 高揚した気持ちのまま、宍戸は限界まで高く上がったブランコから飛び降りる。見事着地を決め、振り返ってピースをしてみせると、ガキだなてめえは、と跡部が苦笑した。
 それから、倣うように跡部も飛び降りる。
 その着地が華麗に決まったことは、言うまでもない。


【完】




2004 08/26 あとがき