21:自己紹介(跡部と忍足とジローと宍戸)


 一人で東京に行くと決まったとき、まず心配したのが言葉の壁だった。とにかく東京者は冷たい、少しでも異質なものは排除されるなどと周囲から散々吹き込まれていたため、関西弁ではなく標準語で話すべきだろうかと悩んだ。実は、ほんの少しだけ標準語の発音を練習したりもした。
 結局は、そのまま関西人キャラを押し通すことに決めたのだが。


 忍足は、スポーツ推薦で氷帝学園の中等部へ編入した。氷帝はほとんどが幼稚舎からの持ち上がりなため、外部から入ってきた忍足は何かと目立つ存在だった。あまり注目されることを得意としない忍足は、何をしても噂されることに辟易していた。直接話しかけてくるならともかく、ひそひそと関西がどうのテニスがどうのと聞こえてくるのには参る。


 その日も、忍足は囁く声から逃げるように弁当を片手に教室を出た。どこへ行くというあてもなかったが、とにかくあの場にはいたくなかったのだ。
 少し歩いて、中庭のベンチが目に入った。天気も良く、過ごしやすそうだと思う。忍足は、導かれるように中庭へ出た。ベンチへ腰掛けると、ぼんやりと空を見上げる。そこへ、ばたばたと足音が近づいてきた。
「りょーおちゃん! こっちこっち!」
「走るこたねえだろ、ジロー」
「だってだって!」
 忍足の目の前まで転がるように駆けてきた少年が、口を「あ」の字にして立ち止まる。くるくるの金髪が、眩しかった。
「ねえねえ、ここ誰かくる?」
「え?」
 ベンチを指さされ、忍足は慌てて首を振る。にっこりと笑みを浮かべると、少年は早くと校舎のほうへ手招きした。長い髪の男が、わかったわかったと呆れた顔で歩いてくる。にこにこと愛らしい少年と、目つきの悪い長髪男の取り合わせは、なんだか奇異に映った。だが二人は気にする様子もなく忍足の隣に座り込む。
「ん。なんか男三人で並ぶのもキモイよな」
 そう言って、長髪がベンチから降りて向かいの芝生に腰を下ろした。
「そーすると亮ちゃんのがちっちゃいみたい! かわいー!」
「うっせえぞジロー」
 長髪が、金髪の足を蹴り飛ばす。それから、忍足に目をとめた。
「お前誰? 見かけねえ面だな」
 その目つきの悪さと口調から、もしかしてこれがいわゆるヤンキーというものだろうかと思う。まじまじと見つめた忍足に、隣で金髪が駄目だよと手を振った。
「亮ちゃん、まず自分から名乗るんだよ!」
 それから忍足を振り向いて、金髪が手を挙げる。
「俺は、芥川慈郎! ジローって呼んでね!」
「あ、ああ……」
 勢いで返答し、忍足も口を開いた。
「俺は、忍足。忍足侑士や」
 その声に、長髪が顔を上げる。
「お前、関西人?」
「……そうやけど?」
 こういう反応には慣れていた。何を言われるかと身構えた忍足に、長髪が目を細める。
「お前、テニス推薦なんだって? 負けねえからな!」
 一瞬言われた意味がわからず、忍足は目を丸くした。こんな反応は、予想外だ。
「亮ちゃんってばあ。ごめんねえ、亮ちゃんテニス馬鹿だから」
「誰が馬鹿だ!」
 フォローするように笑ったジローに、長髪が怒鳴る。
「はあ、テニス馬鹿……」
 呆けた顔で見つめると、怒りのためか長髪が顔を赤くした。
「だから違うっつってんだろ!」
 単純な奴らしいと、忍足は思わず吹き出す。裏表のある人間は苦手だが、この男は違うようだ。
「じゃあ、りょうちゃんって呼んだらええ?」
 わざとらしくウインクしてみせると、「りょうちゃん」が更に顔を赤くした。
「亮ちゃんって呼ぶな! 俺は宍戸だ! 宍戸亮!」
「あっそう、亮ちゃんなあ」
「死なすぞ忍足……!」
「あ、俺の名前覚えてくれてん? 嬉しいわあ」
 にこにこ笑う忍足に、もういいと宍戸は弁当の包みをとく。ジローが、二人ばかり仲良くしてずるいと頬をふくらませた。


 弁当を頬張りながら、ジローが明るい声で言う。
「俺と亮ちゃんは、家が近くって幼なじみなの! あと跡部もね〜」
「そうなんや」
 跡部という名には、聞き覚えがあった。確か忍足と同じクラスだったはずだったが、どこか人を寄せ付けない雰囲気があり、声をかける者など見たことがない。
 明るくて人なつっこいジローと、口は悪いが人の好さそうな宍戸と。あの跡部が、幼なじみ。しかも、ジローの口振りからすると相当仲がよいようだ。
 どうにも想像がつかず、忍足は首を傾げる。
「忍足って一人暮らし? かっちょいー!」
「気楽でええけど、家事が面倒や」
 楽しそうに手を叩くジローに、忍足は苦笑した。
「あー、わかる。俺んちも共働きだから、飯とか作らされんだ」
 面倒だよなあと、飯粒を頬につけたまま宍戸が笑う。笑うと年より幼く見え、つられるように忍足も微笑んだ。


「あ、跡部だ」
「え?」
 ジローが、校舎に向かって大きく手を振った。窓の向こうに、跡部の端正な顔が見える。
「跡部〜! 一緒に食べよ〜!」
 跡部は一瞬顔をしかめ、窓を開けた。
「うるせえよ。いちいち叫ぶな」
 跡部とは、こんな声をしていたのか。いままでも授業中など聞く機会はあったはずだが、そのどれとも違う声のように聞こえた。相手が、幼なじみだからであろうか。
 ジローは立ち上がると、跡部の元へ駆けていく。窓枠から身を乗り出して、跡部の服を引っ張った。苦虫をかみつぶしたような顔をしながらも、跡部はされるがままになっている。
「へえ……」
 何を言われたのか、跡部が微かに笑った。あんな顔もする奴だったのか。教室では、いつも無表情か不機嫌そうな顔で本を読んでいるというのに。珍しいものを見たと、忍足は感慨深く目を瞬かせた。
「ジロー! 早く食わねえと昼休み終わるぞ!」
 宍戸が芝生に座ったまま叫ぶと、ジローが慌てたように跡部の腕をとる。跡部は来ないだろうと、忍足は思った。いくら幼なじみの誘いでも、あの跡部が芝生やベンチに座るとはとてもじゃないが思えない。そう思って見ていると、跡部がこちらへ視線を向け、目があった。一瞬、睨まれたような気がする。
 跡部はすぐに顔を背けると、そのまま昇降口へ行ってしまった。どうやら、律儀に外履きへ履き替えてくるつもりらしい。
「ようわからんやっちゃ」
 跡部と話したことはないが、一目見ただけで住む世界の違う人間だとわかった。忍足の父親も医師をしており、それなりに裕福ではあったが、跡部と比べたら桁違いだ。わざわざこんな薄汚れたベンチまで来なくとも、幼なじみならいくらでも会う機会はあるだろうに。ジローが誘うのは、まあそういう性格なのだろうと納得できるのだが。
 戻ってくると、ジローはベンチではなく宍戸の隣へ座った。ベンチは跡部のためにあけておくつもりらしい。程なくやってきた跡部が、当然のようにベンチへ腰掛ける。忍足など、まるで存在しないかのように無視された。
「跡部ご飯は食べたの〜?」
「ああ」
 ジローの問いに簡潔に答えると、跡部は持ってきた文庫本を広げる。本当に、ここへ来る必要などなかっただろうに。金持ちの考えることはわからないと、忍足は食事に集中することにした。


 ジローにおかずをとられたりしつつ、三人は食事を終えた。予鈴が鳴って、跡部が立ち上がる。結局、最後まで跡部はほとんど会話もせずに本を読んでいた。おかしな奴だと思いながら、忍足は跡部について校舎に戻る。
 昇降口へまわった跡部を見ていると、ジローに袖を引かれた。
「忍足、跡部と同じクラスだよね?」
「そうや」
 低い身長のせいなのか、幼い顔立ちのせいなのか、つい子どもに接するようにジローに話しかけてしまう。だから、その言葉につい頷いてしまったのはそのせいだったのだと思う。
「跡部のこと、よろしくね!」
 手を振りながら去っていくジローに目を向けると、宍戸が振り向いた。
「あいつ根性悪ィけど、いいとこもあっから」
 誰のことを言っているのかわかって、忍足は仕方なく手を挙げる。宍戸が、満足したように大きく頷いた。
「待ってろなんて頼んでねえぞ」
 背後からかかった声に、宍戸に気をとられていた忍足は飛び上がりそうになる。
「跡部」
 跡部はじろりと忍足をにらみ付け、そのまま大股で歩いていった。二人に頼まれたしと、内心言い訳しながら、忍足は跡部についていく。
「なー跡部、跡部ってば」
 いくら話しかけても、跡部は黙りを決め込んでいた。忍足は肩をすくめ、呟く。
「宍戸やって、もうちょい愛想あったで?」
 ぴくりと、前を歩く跡部の背が揺れた。
「おい」
「なんやの」
 前を向いたまま、跡部が焦れったそうに問いかけてくる。
「お前、なんであいつといたんだ」
「はあ?」
 跡部の言っていることがわからず、忍足は間抜けな声で返した。
「あいつって、どっち?」
 恐らく、ジローか宍戸のどちらかだろうということまではわかるのだが。忍足の問いには答えず、跡部はもういいと歩調を早める。それを見つめながら、忍足は気づいた。
 跡部に睨まれたとき、自分が誰とともにいたか。そして、何故跡部が急にこんなことを聞いてきたのか、何故あの場に黙って存在したのか。
 全てが、理解できたような気がする。
 忍足は明るい顔になると、跡部を追いかけた。
「宍戸って、意外とべっぴんさんやんな?」
「ついてくんな」
「やって、同じクラスやし〜。ジローと宍戸にも頼まれたしな?」
 跡部はそれきり黙って、どんどん歩いていく。


 それに、と忍足は心の中でつけくわえた。
 こんなおもしろい見せ物、近くで見なかったら勿体ない。
 忍足は、このとき初めて東京へ出てきてよかったと心から思った。


【完】


2005 03/06 あとがき