23:生徒手帳(岳人と忍足と跡部)


 音楽室から戻る途中、向日は何かを蹴り飛ばした。誰かゴミでも投げ捨てたのかと、廊下の端に目を向ける。落ちていたのは、青い手帳だった。どこかで見たような気がして手を伸ばして、気づく。向日も、全く同じものを持っているのだ。
 青い手帳は、氷帝学園中等部の生徒手帳だった。
「向日? どーしたー」
「早く戻って飯にしようぜ」
 クラスメイトに声をかけられ、向日はとりあえず拾った手帳をポケットにしまい込む。ぱたぱたと足音を立て、階段を上り始めたクラスメイトを追った。


 昼食を食べ終えた向日は、クラスメイトとサッカーをして遊ぼうと中庭へ出た。ボールを蹴ったところで、何かがポケットから転がり落ちる。
「あ?」
 そういえば、拾った手帳を入れたままだったことを思い出し、向日は慌てて拾った。一体誰のものかとひっくり返したそこには、向日もよく知っている名前が書いてある。
「なーんだ」
 部活の時にでも渡してやるか。再びポケットに入れようとして、自分のものとどこか違うことに気づいた。向日の生徒手帳は貰ったときからカバンに入れたままだったが、もっと薄かったような気がする。何か挟まっているのかと、何気なく開いて──向日は、見たことを後悔した。


 部室へ向かおうとする忍足を、呼び止める者があった。クラスの違う向日が、教室から顔だけ出して手招きをしている。何の悪戯かと思ったが、向日のこわばった顔に忍足も真面目な顔になった。
「どないしたん?」
「ひとりか?」
 囁くように喋る向日につられ、忍足も自然と声をひそめる。
「そうやけど」
 同じクラスの宍戸は、いまごろ掃除当番をさせられているはずだ。向日が、ぐいっと教室内へ忍足を引き込む。途端に忍足くん、と色めき立った女生徒たちに手を振りながら、忍足は教室の隅まで連れて行かれた。
「いいか侑士、落ち着いて聞け」
「はあ」
「絶対絶対、誰にも内緒だぞ」
「なんやのがっくん」
 いつになく真面目な顔つきの向日が、そっと忍足の手に何かを握らせてくる。怖々見ると、青い生徒手帳だった。
「これ……宍戸のやん。ぱちったん?」
「拾った」
 いつもなら蹴りの一つも入るのだが、今日はそれどころではないらしい、向日は真顔で否定する。これは余程のことらしいと、忍足は眉をひそめた。
「これがどうしてん?」
「なか、見てみ」
「はあ……」
 ぱらぱらとめくって、何の変哲もないことを確認する。
「そこ!」
「え?」
 向日に止められた場所は、最後のページだった。青いカバーから、何かがはみ出していることに気づく。
「お、なんや女の写真か〜?」
 にやにやと笑いながら、忍足は写真を引っ張り出した。向日が、それならよかったんだけどと呟く。引き出した写真には、それだけはありえないだろうという人物が写っていた。
「……」
「……な?」
「……」
「……びびんだろ?」
 思わず無言になった自分を必死な様子で見上げてくる向日の頭に手を置いて、忍足は片手で手帳を閉じた。そのまま向日に突き返すと、忍足は神妙な面もちで一つ頷いてみせる。
「俺は、なんも見んかった」
 一瞬間をおいて、向日が大きく口を開けた。
「うそ! ずりいぞ侑士!」
 踵を返そうとした忍足の背に、向日が張り付いてくる。
「一緒に悩もうぜ〜! 相方だろ!」
「俺には荷が重すぎやって!」
「俺ひとりじゃ無理だって!」
 向日を引きずったまま、忍足は部室へ向かう羽目になった。


 部室へは、まだ誰も来ていなかった。二人は顔をつきあわせ、これをどうするべきか話し合う。
「何も言わんと、宍戸に返したらええんとちゃう?」
「でもよお、どーすんだよ、宍戸が慌てたりしたら」
 想像したのか、向日が困った顔になった。ついいつものノリで、忍足も軽口を叩く。
「顔赤らめちゃったりしてな?」
「やめろー! そんなんなったら、俺もうまともに宍戸の顔見らんねえし!」
 向日が、クッションを抱えてソファーに転がった。かちゃりと、ドアの開く音がして跡部が顔を覗かせる。室内の二人を一瞥し、顔をしかめた。
「うるせえぞ」
「あ、跡部……!」
 驚愕する向日には構わず、跡部は自分のロッカーへと向かう。侑士どうしよう、と向日が泣きそうな顔で忍足を見た。手帳を手に、忍足が立ち上がる。
「跡部、これなんやと思う?」
「アーン?」
 差し出された手帳と写真に、跡部は眉間のしわを深くした。
「なんでてめえが、んなもん持ってやがる」
「拾ったんやって!」
 鉄拳制裁だけは勘弁と、忍足が身を引く。なりゆきを見守っている向日へ、忍足は片目を瞑ってみせた。
「そんで、これについてなんかコメントはないんか?」
「ああ?」
 にやにやと笑いながら手帳を振る忍足に、跡部が片眉を上げる。ここぞとばかりに、忍足は笑みを深めて跡部に迫った。
「嬉しいとか恥ずかしいとか、なんやあるやろ」
「別にねえよ」
 しれっとした表情で着替える跡部に、おかしいなあと忍足は首を傾げる。宍戸に執着している跡部のことだから、もっとおもしろい反応が返ってくると思ったのだが。
 宍戸の手帳に挟まっていた写真には、跡部が写っていたのだ。それも、いつもの傲慢な笑みではなく、優しい笑顔を浮かべた跡部の姿が。
 忍足が岳人に向かって首を振っていると、着替えを終えた跡部が振り向いた。
「いいものを見せてやろうか?」
「は?」
 愉快そうに笑う跡部が、青い手帳を差し出してくる。跡部の生徒手帳だった。反射的に受け取った忍足は、視線に促され開く。宍戸の手帳と同じ場所に、やはり写真が入っていた。
「これって、まさか」
「なんだよ侑士?」
 耐えきれなくなったのか、向日が横からのぞき込んでくる。引っ張り出した写真には、同じく満面の笑みを浮かべた宍戸が写っていた。
「えええええええええ!」
「なんやの、これ……?」
 思わぬ事態だと困惑する二人に、跡部が口の端をあげる。
「ジローだよ」
「は?」
「ジローが入れたんだ。俺たちがずっと仲良しでいられますように、だとよ」
 ジローの手帳には俺たち二人の写真が入っているはずだと、跡部が教えてくれた。
「……なあんだ」
「そーゆーことやったんか」
 二人から手帳を取り戻すと、跡部は元通りハンガーへかけた制服の胸ポケットへしまい込む。そんな理由だったのかと項垂れてしまった二人は、気づかなかった。


「まさか、まだ入れてるとは思わなかったけどよ」
 そう言って、部室を出ていった跡部が上機嫌だったことに。


【完】


2005 03/07 あとがき