79:冬休み(忍足と宍戸と跡部)


 冬休みに突入して数日が経ったある日、珍しく止められていなかった忍足の携帯が鳴った。
 一人暮らしで節約生活を強いられている忍足は、どうしても支払いが滞ってしまうため、携帯を止められることが多々ある。
 まだ動いていることに忍足自身驚いたため、相手を確認しないまま通話ボタンを押してしまった。
「もしもし」
『あー。忍足?』
 電話の向こうから聞こえてきた声は、忍足もよく知っている相手だ。数日ぶりに聴いた声に、忍足は布団をかぶったまま起きあがる。
 暖房器具を使うと電気代がかかるので、日の高くなった今も忍足は布団にくるまって過ごしていたのだ。
「宍戸か?」
『ああ』
 電話の相手は、部活仲間でクラスメートでもある宍戸だった。
「どないしたん?」
『んー』
 いつになく言葉をためらう宍戸に、なにかあったのかと忍足は心配になる。はっきりしないことを嫌う宍戸が、こんな風に言いよどむことなど今まであっただろうか。
 やがて、ひどく言いづらいことを口にするという声音で、宍戸が問いかけてきた。
『あのさあ。今日、お前んち行っていいか?』
 どんな無理難題を言われるのかと身構えていた忍足は、聞こえた言葉に一気に脱力する。
「ああ。構わんけど……」
 宍戸の幼なじみであるジローなどは、いきなり押し掛けてくることがよくあるのだが、そういえば宍戸はいつも事前にこちらの都合を訊ねてきたような覚えがある。
 三年になって同じクラスになってから、たいていいつも一緒にいて、流れで学校帰りに忍足のアパートへ来ることが多かったから、気にしていなかっただけで。
 律儀なやつだと、忍足は笑みを漏らした。
『なに笑ってんだよ?』
 宍戸がむっとしたような気配が伝わって、忍足は慌てて誤魔化す。
「やって、言いづらそうにしとるから、何言われんのか思て」
『べ、別に……普通だろ』
 顔を赤くしている宍戸の姿が浮かび、忍足はふたたび漏れそうになった笑いを堪えた。
「今から?」
『ああ。飯まだだろ? なんか買ってく』
「頼むわ」
 電話を切ると、忍足は時刻を確認する。まだ昼過ぎだ。朝からなにも食べていなかったので、途端に身体が空腹を訴えた。
「宍戸が来るまでの辛抱やで」
 腹をさすりながらなだめると、忍足は部屋を片づけるべく立ち上がる。さすがに男二人でくるまる訳にもいかず、布団は丸めて端に寄せた。
「久々の出番やな」
 休みに入ってから使われることのなかったコタツを引っ張り出すと、部屋の中央へ置く。実家から送ってきてくれたミカンを乗せれば、あっという間に日本の冬のできあがりだ。
 そうこうしているうちに、玄関のチャイムが鳴った。
「はいは〜い」
「よお」
「……」
 扉の外に立っている人間に目を向け、忍足は無言で扉を閉める。
「ちょっと待て忍足! 気持ちはわかる! 気持ちはわかるけど! だからって閉めるな!」
 宍戸が、焦りながら閉じかけの扉の間に身体を滑り込ませてきた。
「やって宍戸! 一人じゃなかったんか!?」
「そのつもりだったんだけどよ! ついてきちまったんだから仕方ねえだろ!」
 宍戸は、一人ではなかった。ついてきたのがジローあたりなら忍足も喜んで迎え入れたところだが、宍戸の背後に立っていたのは、忍足が氷帝で一番苦手としている、跡部景吾だったのだ。
「うるせえな。寒い中わざわざ来てやったんだ、ありがたく思いな」
「頼んでへんし!」
 勢いで怒鳴り返した忍足に、すっと跡部の目が細くなる。生命の危機を感じた忍足が青ざめると、宍戸が困ったように名前を呼んだ。
「忍足」
 心底すまなそうな顔の宍戸にほだされ、忍足は仕方なく二人を部屋にあげてやる。
 六畳一間のアパートが珍しいのか、跡部は部屋中をきょろきょろと見回した。
「跡部。いいから座れって」
「ソファーはどこだ」
「ねえよ」
 忍足の代わりに答えると、早速コタツに入っていた宍戸は自分の隣を手でたたく。
「ここに座るのか?」
 跡部の端正な顔がひきつった。
「文句があるなら帰れ」
 どうせならこのまま帰ってはくれまいかと、忍足はわずかな希望にすがる。だが跡部が宍戸を置いて帰るわけもなく、不機嫌そうな顔で座り込んだ。
「足入れるんだって」
 コタツ布団の上に正座してしまった跡部に、宍戸が苦笑しながら教えてやった。言われたとおり足を布団の中に入れ、中が暖かいことに驚いたのか、布団をめくってのぞき込んでいる。
 真顔でそんなことをする跡部がおかしかったらしく、宍戸が吹き出した。つられて笑う忍足に、正面から跡部の蹴りが入った。
「おー。ミカンがあんじゃん」
 コタツの上のミカンに目をとめ、宍戸がカゴに手を伸ばす。皮をむいて、欠片を口に放り込みながら幸せそうな顔をした。
「これぞ日本の冬って感じだよな〜」
「せやな」
 うなずき返しながら、忍足は宍戸の買ってきてくれたレトルトをレンジに入れる。その間も、跡部は不思議そうな顔でコタツをいじっていた。
「壊すなよ」
 冷たい口調でとがめる宍戸に、そしたら最高級品を買ってやるよなどと、跡部はいかにもなことを口にする。
「跡部、コタツ初めてなん?」
「そうだっけな」
 答えない跡部のかわりに宍戸がミカンを食べながら言った。
「宍戸の家にもあるんちゃうの、コタツ」
「あるけど、俺の部屋にはないし。こいつ俺の家には来ねえしな」
 二人は幼なじみであると忍足は聞いていたが、遊ぶときは跡部の家に行くことがほとんどで、跡部が宍戸の家に入ることはないらしいと、宍戸の口振りからわかった。
 温まったレトルトを開けると、三人は食事にとりかかる。食べないかと思われたが、跡部も興味深そうに口に入れた。
「こーゆうんは食べるんや」
「俺がよく肉まんとか食うから、なれたんだろ」
「なんやノロケか」
「なっ」
 居づらい空気やわ〜と忍足が大げさな動きで天井を仰ぐと、宍戸が顔を赤くして言葉に詰まる。
「なんだお前、ノロケたかったのか?」
 気をよくしたのか、跡部が勝ち誇ったような顔で宍戸の頬を撫でた。
 その手を払いのけると、宍戸は違ーよ、ばかと吐き捨てる。
「照れてんのか」
「お前もう帰れ!」
 すり寄せてくる跡部の身体を押し返すと、宍戸はペットボトルに口を付けた。
 豪快に飲む宍戸の喉が動く様から忍足が目を離せずにいると、コタツの中で足を蹴られる。跡部が、口の端をあげていた。
 目が笑っていないことに気づいて、忍足は乾いた笑みを浮かべる。
 このままでは、本当に命を散らすことになるかも知れない。
 大体、宍戸だけならともかく跡部まで居座るとなっては、住み慣れた部屋だというのに、忍足は居心地が悪くてならなかった。
「お前ら、何しに来たん?」
 当然の疑問を口にする忍足に、拗ねたような顔で宍戸がそっぽを向く。
「なんだよ。用がなきゃ来ちゃいけねえのかよ」
 二人きりの時なら大歓迎である宍戸の台詞も、今この状況では忍足の寿命を縮めるだけだった。
 跡部の顔から、完全に笑みが消えている。
「忍足。てめえ、実家に帰らねえのかよ」
 今すぐ帰れと言わんばかりの刺々しい口調で言いながら、跡部が忍足をにらみ付けてきた。
 なぜ自分の部屋で、せっかくの休みにこんな思いをしなくてはならないのだろうと、忍足は己の運の悪さを呪う。
 宍戸が答えをうかがうように顔をあげたので、忍足は苦笑しながら口を開いた。
「まあ、正月には帰る予定やけど。姉ちゃんおるけど、一応長男やしな」
「今すぐ帰ってもいいんだぜ? なんならうちの車で送ってやろうか」
「遠慮するわ。後が怖いしな」
 忍足に極端に冷たい跡部のことだ、車代などという名目でどれだけ莫大な料金を請求されることかわかったものではない。
「忍足、正月いねえの?」
 当然のようにいると思っていたらしい、宍戸が目を丸くしている。
 そんな顔をすると普段より幼く見え、忍足はなんだか悪いことをした気分になった。
「テニス部の奴で初詣行く予定だったのに。なんだ、忍足は行かないのか」
 宍戸が残念そうに呟くと、跡部の顔色が変わる。
「ちょっと待て宍戸。そんな話、俺は聞いてねえぞ」
 すっかり宍戸と過ごすつもりだったらしい跡部が、余裕のない表情で宍戸の肩を掴んだ。
 跡部を一瞥すると、宍戸は肩をすくめながら何でもないことのように言った。
「だってお前、集団で騒ぐの好きじゃねえだろ」
 だから初めから誘わなかったのだと言う宍戸に、ばかかてめえはと跡部は額を指先で弾く。
「いてっ! ばかとはなんだ、ばかとは」
「正月っつったら、恋人である俺様と過ごすに決まってんだろうが」
 跡部がぬけぬけと言い放つと、宍戸はふたたび頬を染めて金魚のように口をぱくぱくとさせた。
 今更のように宍戸は黙り込んでいる忍足に目を向け、それから跡部に向き直る。
「な、に言ってんだ、お前は……」
 だんだん小さくなっていく語尾に、肯定も否定もできない宍戸の心情が表れているようだった。
「なんだ。ジローもいねえと不満か?」
 もう一人の幼なじみであるジローがいることは構わないらしく、跡部が譲歩すると、宍戸は弱々しく首を振る。
「そうじゃなくて」
「じゃあなんだ」
 言うまでは逃さないという顔の跡部に、宍戸はすがるような視線を忍足に向けてきた。
 ここはやはり、庇ってやってこそ男だろうかと思った忍足が口を開くより先に、跡部がコタツに拳をたたきつける。
「てめえ、まさか忍足とデキてんじゃねえだろうな……?」
「なんでそんな話になんねん……」
 とんだ濡れ衣だと、忍足は泣きそうな声を漏らした。
 そんな事実があったら、自分が今生きているはずがない。跡部の宍戸への執着を身をもって知っている忍足は、ありえへんとうなだれる。
「違えよ、ばか」
「誰がばかだ」
「お前に決まってんだろ、ばか」
 世界広しと言えども、跡部にここまで暴言を吐いて許されるのは、宍戸かジローぐらいのものだろう。
 とばっちりがこちらに来なければよいのだがと、先ほど向けられた跡部の突き刺さるような視線を思い返し、忍足は体を震わせた。
 しばらく言い合っていた二人は、このままでは話が進まないことに気づいたのか、どちらからともなく口を閉じる。
 少しの沈黙の後、宍戸がぽつりと漏らした。
「正月、会うとしたってお前んちだろ?」
「なんだ、あったかいとこがいいか? それならこないだ買った別荘が……」
「だからそれがやなんだって!」
 どこか海外にでも買ったらしい別荘について語り始めた跡部を、宍戸がいささか乱暴に遮る。
 怒鳴られた跡部は、一瞬ぽかんとした表情を浮かべ、やがて意味を理解したのか顔をしかめた。
「なんだよ、旅費なら心配する必要ねえぜ?」
「だから、お前んちとか別荘はやなんだって」
 そういうことではないと、宍戸が嫌そうに顔の前で手を振る。
「なんやの、贅沢すんのがいやなん?」
 いくら跡部家の金がありあまっているからといっても、世話になってばかりでは男の矜持が許さないのだろうと忍足は見当をつけた。
 ちょっと違うけどと前置きして、宍戸は話し始める。
「なんつーか、ちっちぇー頃はあんま気になんなかったんだけど、俺どーも跡部の家って落ち着かねえんだよな」
 宍戸は、ちらちらと隣の跡部の様子をうかがいながら続けた。
「なんかどこもかしこもぴかぴかしてて、何億って絵とか訳わかんねーツボとか置いてあって、割らないかこええし、もの食ってても絨毯とか汚したらどうしようとか気になって。いまさらなんだけどよ」
「ジローなんか平気でよだれたらしてるじゃねえか」
「そりゃまあ、ジローだからな」
 不思議とジローだけは何をしても許されるような雰囲気があるのは頷けるのか、跡部も異論は唱えずにいる。
 言い分はわかったと一つ息を吐くと、跡部は気だるそうな顔で宍戸を見遣った。
「汚すとか、そんなん今更じゃねえの?」
 その言葉に含まれたニュアンスに何を感じ取ったのか、三度宍戸の顔が赤くなる。
「だから! いまさらだけどっつっただろう!!」
 これ以上何も言わせまいとするかのように、宍戸が跡部の襟元に掴みかかりながら叫んだ。
「なんや宍戸、跡部んち汚すようなことしたんか?」
 なんとなく察しがついて、忍足はわざと下卑た笑いを浮かべてみせる。
 話に乗ろうとする跡部を突き飛ばすと、宍戸がぺしぺしと音を立ててコタツをたたいた。
「お前ら、そろいもそろって俺のおこたになんの恨みがあんねん……」
 忍足がたたくなと制しても聞いていないようで、宍戸は跡部をにらみ付けたままだ。
「俺はなあ、こーゆーコタツでみかんとか、そーゆー正月がいいんだ! ごろごろ寝てたいの! もしくは初詣行きたい! おみくじが引きたい!」
 興奮のあまり子供じみた口調になった宍戸を忍足が内心かわいいと思っていると、跡部も同じなのか口元をゆるめる。
「わかった。最高級のコタツとみかんを用意させる」
 したり顔で告げた跡部に、宍戸が脱力しながらつっこみを入れた。
「……絶対わかってねえだろ、お前……」
 どうやら宍戸が自分の家を訪ねてきたのは、跡部の邸宅の華美さに気疲れしたかららしいと悟って、忍足は肩をすくめる。
「ほんま、やってられんわ」
 跡部の言うとおり、さっさと実家に帰ってしまおうか。そんなことを思いながら、忍足はみかんをむき始めた。


【完】

2004 12/23 あとがき