84:大晦日(跡部と宍戸とジロー)


 まだ雪の残る道を踏みしめながら、宍戸は身体を震わせた。
 急に冷え込んできたと思ったら、雪まで降るだなんて。
「東京だってのに」
 しかめっ面で、持たされた荷物を落とさないよう抱え直すと、再び歩き始める。
 数軒先で立ち止まり、チャイムを押した。そこは幼なじみのジローの家で、今夜は一緒に跡部の家に向かう約束をしている。
 程なくどたどたと走ってくる足音とともに扉が開かれ、ジローの金色の髪が覗いた。
「りょーちゃん! 明けましておめでとう!」
 宍戸の顔を見るなり、満面の笑みを浮かべて言ったジローに、苦笑して宍戸は突っ込んだ。
「まだ明けてねえし。はええよ」
「あ、そっか! やべー! 間違えたしー」
 えへへ、と照れ笑いをして、ジローは靴を履いて外へ出てくる。
 首に巻かれたマフラーがほどけかけていることに気づいて、直してやった。
「ありがとー亮ちゃん! 大好き!」
「ほんとに脈絡ねえのな、お前」
 だが不快ではなく、宍戸はあいているほうの手でジローの手をとる。
 子供のようにあたたかいそれに、冷えていた手がぬくもった。
「亮ちゃんずっとお外にいたの?」
「出ようとしたら、これ持ってけって待たされた」
 ジローに見えるように荷物を掲げ、宍戸は肩をすくめる。
「なあにそれ? お菓子?」
「おせちとかだろ」
「おせち! 甘いの入ってる?」
「入ってんじゃね、栗とか、豆とか?」
 やったーと大喜びのジローに、こんなもの食べないだろうと置いてきてしまうつもりだった宍戸は、持ってきてよかったと無理矢理持たせてくれた母に感謝した。
「雪すごいね〜。俺寝てたから、足跡つけらんなくてつまんないよ」
 日が暮れてから大分経っているせいか、どこもかしこも足跡やタイヤの跡でいっぱいだ。
 少し考えて、おそらく一つも足跡のついていないであろう場所があることに思い当たる。ちょうど、これから行く場所だ。
「跡部んちでつけりゃいーだろ」
「跡部んち?」
 聞き返して、ジローにもわかったのだろう、そうだねと嬉しそうに笑った。
「跡部んちのお庭なら、きっと跡ついてないよね!」
「ああ。踏み放題だろ」
「やったやった! 楽しみ〜!」
 跡部の家の庭園なら、さぞかし踏みがいがあることだろう。
 真っ白い庭をはしゃぎながら歩き回るジローを想像し、宍戸は笑みを浮かべた。


 二人を出迎えた跡部は、いつもより機嫌が良さそうに見えた。
 いや、機嫌が良いことを隠そうとしないと言ったほうが正しいだろうか。
 そういうしつけをされたのか、跡部はあまり感情の起伏を表に出そうとはしなかった。
 怒ったときも目つきが鋭くなるぐらいで、──忍足に言わせれば、それはお前が相手だからだということらしいが、あいにく宍戸は跡部が他の人間に対して怒っているところを見たことがなかった──、大抵は無表情だ。
 笑うときも口の端をあげるぐらいだというのに、今は顔を見なくとも相当ご機嫌なことが宍戸にもわかる。
 前を歩く跡部の背を見ながら、宍戸はジローに耳打ちした。
「なんか跡部、機嫌いいよな」
「そうだね」
「なんかいーことあったのかな」
 何気なく言った宍戸に、ジローが相変わらずだねと繋いだままだった手をはなす。
「なんだよ?」
「亮ちゃんは、相変わらず鈍いってこと!」
「はあ?」
 ジローが何を言っているのかわからず、宍戸は首を傾げた。
 二、三歩前に出ると、ジローは振り向いて宍戸の姿を上から下まで、大げさな動作で眺める。
「な、なんだよ」
 意図がわからず戸惑う宍戸に、ジローは己のマフラーを引っ張った。
 ジローのマフラーは、クリスマスに跡部がプレゼントしたものだ。
 そこでようやく、宍戸は自分が今日着てきたコートが跡部に貰ったものであることを思い出す。
 宍戸にはよくわからなかったが、有名なブランドでオーダーしたものだとかで、相当値が張り、また手に入れるのも困難なものであるらしいと忍足から聞いた。
 こんなものを貰っていいのかと宍戸は困り果てたが、受け取ったときの跡部の嬉しそうな顔を思い出すと突き返すわけにもいかず、かといって気軽に着て歩くこともできずに、とりあえず今日までクローゼットの中へしまっておいたのだ。
 今夜出かけるときになって、ふと思い出して引っ張り出したそれは、普通のコートよりあたたかいのに驚くほど軽く、いつサイズを調べたのか、宍戸にぴったりの大きさだった。
 一度着てしまうと他のものを身につける気にはなれず、そのまま着てきただけのことなのだが。
「亮ちゃん、それ着るのはじめてでしょう?」
「ああ、そーだけど……」
「俺、てっきり跡部を喜ばすのに着てきたのかと思ったよ」
「……んなわけねーだろ……」
 言葉を返しながら、ほんとうに跡部はそれぐらいのことでここまで機嫌を良くしているのだろうかと、宍戸は跡部に視線を向ける。
 部屋の前で立ち止まり、跡部が二人を手招いた。
 転がるようにして入っていったジローに宍戸が続こうとすると、跡部に腕を掴まれる。
 何だと顔を上げる前に、あごを持ち上げられ、唇を掠めとられた。
「なっ」
 顔を赤らめた宍戸の頭を二、三度軽く叩くと、跡部は何も言わずに部屋へ入っていく。
 跡部の向かった先では、ジローが跡部の部屋でこれまで見たことのない、こたつがあることに驚いていた。
 宍戸は、よっぽど怒鳴ってやろうかと思ったが、大晦日に喧嘩するのもどうかと思ったし、楽しそうなジローに水を差すのも悪いと思ったので、ぐっと堪える。
 けっして、いつになく浮かれた足取りで歩く跡部を見て、自分まで嬉しくなったからではないと心の中で言い訳しながら、宍戸は後に続いた。


【完】


2005 01/02 あとがき